美術史家 美術学部教授・共通教育教授 大学院美術研究科長
小さい頃からロケットとか大好きで、高校に入った頃は何となく理科系に進学するものと思っていました。基本的に独学が好きな人間で、あれは高校2年のときでしたか、フランスの夭折した天才数学者ガロアの群論を、たまたま家にあった戦前の本で独習したことなど懐かしく思い出されます。自分の頭でたとえ稚拙でも一から段階的に考えていくことに無上の喜びを覚えるのです。論理に紛れのない、あってはならない数学への興味はいまだに尽きることはありません。その一方で、やはり小さい頃からお話を読むことが大好きで、中学の2年か3年のときにヘンリー・ミラーの「南回帰線」など読んでいましたから、観念の肥大した早熟な子どもだったと思います。おそらくそうした観念癖のせいでしょう、やはり高校2年のときに、ガロアに親しむ一方で、どういうわけか哲学や文学への興味が強くなり、進学先を理系から文系に変更することになりました。一浪して大学に入ると、学園紛争が吹き荒れ、いろいろと思い悩むなかで美的なものへの憧れ(むしろ逃避?)がつよまり、きわめて趣味的な美術史を専門的に学ぶことになりました。卒論はオディロン・ルドンで、修論はポール・ゴーガンで書きました。20年ほど美術館員をしていましたが、縁あって1998年から多摩美(共通教育、要するに一般教養)で教鞭をとり、本年から芸術学科の教授を兼務しております。「仕事では手は抜かない」をモットーに、学生諸君にたいしてつねに生真面目で誠実な教員でありつづけたいと思っています。
素顔のワタシ 趣味といえるようなものはないのですが、野球は好きで、さすがに ここ数年はありませんが草野球ではよく投手をつとめました。イチローの成績が毎日気になり、ネットで恐る恐るチェックしています。パソコンのゲームでは戦闘機ものが大好きで、エース級のF6Fヘルキャット3機が背後から迫るのを急旋回してバッタバッタと撃ち落すことに無上の喜びを見出しております。私の愛機は何かですって?それはもちろんゼロ戦―第二次大戦中、撃たれ弱いとはいえ、これほど機能性にとんだ戦闘機はありません(と勝手に思っています)。
略歴
1948年松山市生まれるが、小中学校時代の大部分を札幌、小樽で過ごす。
76年東京大学大学院修士課程(近代美術史)修了。
同年秋東京国立近代美術館に入り、マチス(81年)、ゴーギャン(87年)、ルドン(89年)などの大掛かりな回顧展を手がける一方で、国際的なグループショウ「現代美術への視点―メタファーとシンボル」(84年)を皮切りに、「黒田アキ」(93年)、「辰野登恵子」(94年)の中堅作家展を実現させるなど、現代美術にも意欲的に関わる。企画・資料課長、美術課長をつとめたものの、管理者としての役割に限界を感じ、98年4月多摩美術大学に教授(共通教育)として転じる。2001年より府中市美術館館長を兼務。主な著書として『●▲■の美しさって何?―20世紀美術の発見』(ポプラ社;平凡社)、『キュビスムと抽象美術』(小学館、共・編著)、『絵画の行方』(スカイドア)、『オディロン・ルドン』、『現代日本絵画』(みすず書房)などがある。
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