

私たちは「芸術Art」と「人類学Anthropology」というふたつのよく知られたことばをつなぎあわせて、「芸術人類学Art Anthropology」という耳慣れない新造語をつくり、そのことばに導かれながら、新しい思想の企てをはじめようとしています。「芸術」と「人類学」はどのようにしてひとつに結び合うことができるのでしょうか。またそれが結びついたところに、どんなものが出現してくることになるのでしょうか。それは私たちに何か幸福にみちたものをもたらす力を持っているのでしょうか。こうした疑問に答えるためには、「芸術」と「人類学」というふたつのことばを、そもそもの根源に立ち返って考え直してみる必要があります。
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芸術というものが人類の心に生まれた瞬間から、それは社会をつくりあげているのとはちがう原理に突き動かされていました。社会的なものの外へ越え出ていこうとする衝動が、生まれたばかりの芸術にはすでにそなわっていました。はじまりの芸術活動は暗い洞窟の中でおこなわれていましたが、20世紀になって発見されたそれらの芸術作品を見ると、すでにそこに超越性への衝動が動いていたことを、はっきりと認めることができます。
10万年ほど前のアフリカに、こんにちの私たちと同じ人類が出現しています。それ以前の人類と区別する意味で「新人」と呼ばれることになった人々です。彼らは大変に高度な知的能力をもっていたために、ホモサピエンス・サピエンスとも呼ばれます。それまでいた人類も知的能力が高かったのでホモサピエンスと言われたのですが、それ以上に知的能力が高いという意味で、そう呼ばれたわけです。
アフリカに生まれた新人と呼ばれるこの人類たちが、どういう精神活動をおこなっていたのか、現在のところはまだ十分な記録は発見されていませんが、彼らがその後、地球にどういうふうに広がっていったか、これはだいたいのことがわかっています。アフリカを出たあと、彼らは北上していまのコーカサス山脈の麓あたりにたどり着き、そこで長いこと暮らしたあと、そこから三方向にグループが分かれていったようです。
ひとつのグループは東方へ向かって、南のルートをとりました。インド亜大陸に入り、ヒマラヤ山脈の南麓を迂回しながら、今日の東南アジアへと向かったのです。その当時はベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、ボルネオ、スマトラなどは陸続きで、大きいひとつのスンダランドという大陸をつくっていました。そこからさらにオーストラリア大陸を海路でめざしたグループもありました。いまから5万年から6万年前のことだといわれています。
もうひとつのグループは東方をめざすのに、北方ルートをとりました。山脈を通過してさらにシベリアへ入っていったグループです。彼らの旅はとても厳しかったでしょうね。氷河がすぐ近くにまで迫っていたはずですし、気候は厳しくステップで食料を得ることも難しく暮らしはけっして豊かではなかったと思います。そのため人口もあまり増えず、ゆっくりゆっくりとしか東方への前進の旅は進まなかったことでしょう。
第三のグループは西方に向かいました。コーカサス山脈の麓を出ていまの西ヨーロッパへ入っていったのです。南を経由して地中海まわりののほうへまわっていったのかも知れません。いずれにしても4万年くらい前に、ヨーロッパのピレネー山脈の麓あたりに新しい人類の一グループが到着しています。そしてそこで旧石器を使いながら、新しい生活をはじめています。
こんにちに残された芸術の最初の痕跡は、この第三グループが残したものです。彼らはピレネー山脈の麓から中部フランスの渓谷あたりを生活の場所にしていました。そのあたりを旅したことがありますが、とてもいいところです。渓谷沿いには陽当たりのよいテラスがいくつもあって、そこの岩陰を住まいにしていたようです。そのテラスから谷の底を見渡しますと、そこには深い森があって、春先になるとそこをへら鹿やバイソンの大群が駆け抜けていく様子がよく見えたはずです。彼らはそういう動物を狩りしていました。この人たちが生活の場所にしていたのは、岩肌のテラスのような場所だったのですが、ところが近くにはたくさんの洞窟があり、その洞窟が原初の芸術活動の舞台となりました。
みなさんもラスコー洞窟の名前は聞いたことがあるでしょう。その壁面に、ベンガラに近い発色をする赤い顔料をもちいて壁画が描かれています。この壁画こそが人間がつくりだした最初の芸術の痕跡です。今日の誰が見ても、その壁画はすばらしい芸術です。しかしその壁画の中にある何が、それを原初の芸術たらしめているのでしょうか。これは芸術学と人類学につきつけられた大きな問いかけで、ジョルジュ・バタイユのような思想家が生涯をかけてとりくむことになった難問です。
この問題にたいして、私はつぎのような視点(その視点を私は別のところで「対称性人類学」と表現しています)からアプローチしてみたいと考えます。こうした壁画が描かれていた洞窟は、いずれも大きく、深く、そして暗いという特徴をそなえています。生やさしい洞窟ではないのですね。そこが真っ暗闇の世界であったということ、これが旧石器時代の人類が生み出した原初の芸術にとって、決定的な意味をもっていたのではないでしょうか。
さきほども言いましたように、家族の生活は陽当たりのよい、渓谷の岸辺にできた岩のテラスでおこなわれていました。そこには男も女も子供もいたはずです。ところが偉大な壁画が描かれた洞窟は、いずれもそういう生活の場所からすこし離れたところにある、近づくこともあまり容易でない藪地などに、入り口があります。たぶんそこは、旧石器の新人たちにとっての「聖なる場所」で、ふだんは厳重な禁足地になっていて、イニシエーションを受けた大人の男だけが、そこに入っていくこと許されていたのではないかと、十分な根拠をもって推測することができます。
大人の男たち(その頃は14・15才と言えばもう立派な大人だったでしょう)だけが特殊な秘密結社のような集まり、これをふだんの生活を送っているときの「共同体」と区別して「組合」と呼ぶことにしますが、この組合的な結社をつくって、厳粛な雰囲気のなか真っ暗闇の洞窟にもぐりこんでいきました。洞窟の奥の方の暗いホールのようなところで、彼らはなにかの宗教的な行為をおこなっていました。まだ詳しいことはわかっていませんが、動物の増殖を祈る儀礼のようなものだったと、推測されています。私たちの生きている現代社会でも、物質的な富の増殖には高い価値づけがあたえられて、広告産業などをつうじて、かたちを変えた儀礼やお祭りがおこなわれていますが、人類が洞窟のなかで最初におこなった宗教的な行為が、原初の資本主義(資本主義というのは、富の増殖を言祝ぐ産業のかたちにほかなりませんからね)を思わせる「増殖儀礼」だったことには、なにかとても意味深長なものが潜んでいるように思えてなりません。
そしてそこで、はじまりの芸術が発生しているのです。真っ暗闇の中で増殖の儀礼をおこなっている組合結社の男たちを岩の壁が取り囲み、その壁面に、今日の芸術家たちもをたじろがせるような、すばらしい絵画が描かれていました。ベンガラによく似た赤い顔料を中心にして、みごとな彩色がほどこされた、生き生きとした動物や人物の姿が描かれているのです。バタイユのような思想家は、そこに芸術発生の秘密が隠されていることを、すぐさま理解しました。人類の心という奥の深い謎を探るためには、芸術発生のこの現場を出発点にしなければならない、と考えたのです。
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真っ暗な洞窟の奥で、イニシエーションを受けた男の組合結社が、なにかをしています。そのとき、人類の心には、いったいどんなことがおこっていたのでしょうか。そのことを探っていくと、私たちは芸術発生の謎についてばかりか、資本主義の発生ということについても、決定的な理解を得ることができるかも知れません。それはいったいどんな出来事だったのでしょう。
真っ暗闇の世界では、いままで目で見ていた外の世界というものが消えてしまいます。外の世界で見ていたあの花も、岩も、木も、鳥も、動物たちも、それに人間たちの姿も、いっさいが見えなくなってしまいます。そしてあるのは自分の心の内面の世界をのぞいている心の働きだけが残されます。内面の世界が広がっていきます。私たちの直接の先祖である新しい人類(ホモサピエンス・サピエンス)の心というものが生まれた根本の場所を、この洞窟のなかに集った人たちは、驚きとともにのぞき込んでいました。
10万年ほど前のアフリカに、それまで生きていた人類とはちがうタイプの人類が生まれています。新人と呼ばれるその新しいタイプの人類は、いったいどこが、それまでの人類(旧人)とちがっていたのでしょうか。新人も旧人も外見はそれほどちがっていません。しかし大脳の内部のニューロンの構造に、決定的なちがいが発生していました。それまで接続ができなかったニューロン同士のあいだに、新しい接続のネットワークがつくられ、それによって人類の心にそれまでなかった新しい領域が出現するようになったのですね。
ニューロンの構造に根本的なつくりかえがおこって、それまでは間に壁がそっておたがいの交通がおこらなかった脳の働き同士のあいだに、通路が発生したおかげで、私たち人類の心の働きがおこるようになりました。多次元的に複雑に結び合ったニューロンの通路をとうして、「心」としかいいようのないなにかの働きが、縦横無尽に流動しはじめます。その結果、それまでは別々の領域に分離されてあった心の働きが、ひとつにつながって、そこに比喩や象徴を生み出すことのできる、異質なものの重なり合った「表現」をおこなえる心がつくられるようになりました。そしてそれといっしょに、そこに芸術が発生したのです。
「心の流動体」がこんなふうに生命体のなかを自由に動き回れるような状態は、それまでこの地球上ではおこらなかったことです。「心」はどんな原始的な生命体であっても、その身体のなかですでに活動をおこなっています。いや、というよりも、生命をもったもの身体をなかだちにして、「心」というものがこの現実世界で働きを見せるようになった、といったほうがいいでしょう。しかし、新人とも呼ばれる現生人類が出現する以前には、もともと自由な流動性を特徴としている「心」というものが、こんなふうに生命体の内部で自由で多次元的な活動をおこなうというような事態は、おこらなかったようです。
新しい人類が出現するまで、自然界にはこういうことはおこりませんでした。自然のなかの生き物たちは、長い進化の過程をつうじて、しだいしだいに脳を発達させてきました。しかしどこまでも環境世界と自分の生命活動ができるだけ合致できているような、適応行動ができるようになかたちで脳の構造を進化させてきました。そうでなければ、地球上に生き残ることはできなかったはずです。動物ばかりではなく、あらゆる生命には「心」があります。しかしその「心」は現実世界の構造と、なんらかのレヴェルで重なり合うような働きをしています。つまり動物などの行動を見ているとわかりますように、私たちがおここないがちな不自然な行動だとか、妄想に突き動かされた行動などをしません。一見不自然な行動をしているように見えるときでも、大きな視点に立ってみると、ちゃんと現実世界の因果の法則にしたがっているのがわかります。鳥の心に妄想はないのです。人類以外の生物は妄想をいだかない、ということができるでしょう。
妄想とは何かというと、心の内面で考えたことと外界の現実が、対応関係をみいだせない状態のことを言います。頭のなかに発生するイメージや思考が過剰してしまって、その対応物を外の世界にみいだせなくなってしまった状態です。その結果、外の現実世界ではぜったいに起きないこと、起こりえないだろうと思われることが、脳のなかでは起こるようになります。私たちにはこういうことはよくおこりがちですが、鳥や動物では起こらないのです。彼らは進化の過程で、自分たちの感覚器官がとらえている外の世界にある現実と自分の心のなかに起こっている動きを、できるだけ同じ型(ホモモルフィズム)に合わせようとしています。その合わせ方は、生物ごとにみんなちがっています。現実と心を働きを対応させる「射影」関係は、無数に変化していくことができますが、それらのあいだにはちゃんとしたつながりがあって、どれもがなんらかのやり方で、現実世界の構造をなぞっています。そこでたとえば、ミミズはミミズの世界という小さい限定をおこなって、その世界のなかでまちがいなく生きてこれたわけです。
ところが私たちの直接の先祖である人類の心では、ほかの生物にはおこらなかった爆発的な事態がおこって、大脳の構造に根本的な変化が生じて、多次元的に結合したニューロンの通路をとうして、流動的な「心」が縦横無尽な自由な運動をはじめるようになってしまったんですね。そうなりますと、外の世界におこっている現実とヒトの心の内面世界とがまっとうな対応関係を持たないでも、私たちはこの心の内面生活というものを持つことができるようになります。
ここで私たちがとりあえず「流動的な心」と呼んでいるものは、心の働きの異なる領域を自由に横断して、いくつもの領域にまたがる作業をこなしていくことができるわけですから、それ自身にはきまった属性というものがありません。つまり流動的な「心」にはもともとはかたちもなく、色もなく、たとえて言えば光のようなものです。まばゆい純粋光のようなものです。そういう色もなく、かたちももたないものが、私たちの心の中をいまこの瞬間にも駆け抜けているのです。多次元的で、属性をもたない、自由な流動性を特徴としている「心」というものが、生命体の中にはじめて出現したと言ってもいいでしょう。
真っ暗闇の洞窟の中で、新しいタイプの人類が自分の内部にのぞき込んでいたのは、大脳の内部を猛烈な早さと強さをもって流動している、この「心」のむきだしの姿だったのではないでしょうか。真っ暗闇に長時間いると、視神経が自分で振動をはじめて、暗闇の中なのに眼の内部からあふれんばかりの光が出てくる「内部視覚(エントオプティック)」という現象が観察されています。しかもあふれてくる光には、きまったかたちがそなわっています。そのかたちをもった光の動きを、自分の内側に「見ている」と、それが流動する「心」の運動を、直接的に映し出しているようにも思えてきます。
つまり洞窟の中に入った組合結社の男たちは、自分たちホモサピエンス・サピエンスの「心」の本質をのぞき込んでいたわけです。その「流動する心」は、人類の心のさまざまな働きのおおもとをなすものですが、それ自体ではあまりに強力で高次元的で無定形なものなので、洞窟の外にくり広げられている現実世界には、そのままでは生かすことができません。それどころか、共同体の生活や現実生活の営みを破壊してしまう力を秘めています。その頃はまだ、私たちが知っているような「神」は存在していなかったでしょうが、洞窟の中で人類は、日常的な心の作用を越えている「超越的なもの」が、自分たちの心の内部にあることを発見していたのではないでしょうか。
芸術はそういう洞窟内での体験と密接に結びつきながら生まれ出ています。宗教と芸術の根源はひとつ、と言われることがありますが、その根源とは超越性をそなえた「流動する心」そのものにほかなりません。私たち現生人類の心の構造そのものが、宗教と芸術を生み出したのです。妄想をいだくことがなく、自然と過不足のない対応を実現しているほかの生物は、宗教も芸術もつくろうとしませんでした。ホモエレクトスもホモファーベルもまたネアンデルタール人のような旧人も、宗教や芸術はつくろうとはしませんでした。それは彼らが生命体として劣っていたためではありません。彼らはそれぞれの領域では、生物としての完璧さを実現しています。ただ現生人類だけが、外の現実にしばられることのない自由な「心」の流動性を獲得し、その結果、非現実的なことを思いついたり、実行したりする、「狂った生物」である人類だけが、宗教と芸術を生み出した、とさえ言えるかも知れません。
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ですから、動物とちがって人間は狂いやすいのです。狂気に陥りやすい性質をもっています。さきほども言いましたように、「流動的な心」の働きを本質としているために、外の現実とちゃんとした対応関係を持たない幻想界というものが形成されて、この幻想界をもとにして自己イメージをいだいたり、世界の意味を考えたり、そこで行動したり、あるいは他人の心の内部でおこっていることを推測しようとする、そういう「人間的」な行動をおこなうようになります。人間は妄想を持ちやすい生き物です。「流動的な心」の活動が開かれて、かってないほどに広大な自由があたえられ、外の現実世界をつくっているさまざまな限界づけを超えた心の活動が可能になってくるのと引き替えに、というかその裏面として、幻想性や妄想がたえまなく発生してくるのです。
こういう特質を持った生き物には、自然の法(インド人が「ダルマ」と呼んだものです)とは別に、社会の法、社会の掟が必要になってきます。爆発的な強烈さを秘めている心の活動を制御して、ほかの人間とのあいだにおだやかなつながりをつくり、外の現実とのあまりゆがみのない対応関係をつくることができ、そこで合理的なコミュニケーションをおこなうことのできる社会関係をつくらなければなりません。ものを合理的に理解して、ほかの人間とコミュニケーションをおこなって、社会をつくっていく。社会をつくるというのは、ほかの人間が考えていることと自分の考えていることはだいたい同じですよ、という調停点をみいだしていくことにほかなりません。
目の前に紙があったら、みんながそれを紙だと認めることができなければ、社会はつくれません。みんなが紙だと認めているのに、いや象だという人がいたら、コミュニケーションを実現するのは困難でしょう。しかし流動性をもった「心」には、紙と象を区別している壁を越えていくことなどは容易なことです。ですが、社会的コミュニケーションを実現していくためには、「流動的な心」の働きが直接おもてにあらわれてくるのを押さえなければなりません。私たちはいつもそうやって、ふつうの人、まともな人として生活しようとしているんですね。
ところが、どんなまともな人も心の内面には、まともでないものを抱えもっています。10万年前に出現したホモサピエンス・サピエンスという生き物の心の構造そのものが、社会的コミュニケーションにとっては、まことに「まともでない」動きをしめすのです。社会が必要とするものから過剰してしまい、自分を限界づけ制限づけするものを越えていってしまおうとする、自由な「流動する心」の働きが、誰の心の中にも活動しているからです。そういう「呪われた部分」が人類の心の働きのいちばんの基本をつくっているのですが、それでは社会はつくられません。
ですから私たちは自分の心のほんとうの部分、心のいちばんの源泉になっている部分を抑圧しなければならないのです。それが心の活動の表面にあらわれてこないように「深層」に沈めたり、その活動に制限を加えようとします。そうしないと「合理的」な行動ができないからです。人間の本質を考えるときには、合理性ということがひじょうに重要になってきます。この合理性とは何かといいますと、文法どおりものを語り、そのとおりに考えることができるということに尽きるでしょう。言語というものは、ひじょうに合理的にできています。主語と述語の対立をもとにして複雑に形成されたこの言語というもの、世界中のどんな言語という言語が、同じ基本構造をもっていることがわかっています。どの言語も、合理的な思考を人間に約束してくれているのです。自然言語はどこの言語でも、アフリカで語られている言語でも、オーストラリア原住民が語っている言語でも、アメリカ・インディアンが語っている言語でも、ラテン語でも、サンスクリット語でも、言語の基本構造は同じで、それが人類の「狂いやすい心」を制御して、合理的な心の運用を可能にしているわけです。
こういうことばの構造を使って、自分の心に立ち起こるイメージを整理したり、それを順序立てていくと、外の現実世界をつくっている構造や、そこにこれから起こるであろう出来事の構造と、だいたい同じ型(ホモモルフィズム)で動く構造を、心の中につくりだすことができます。ことばが持っている文の構造は、私たちが自分の心の内部に抱え込んだ爆発的な活動力に方向づけや秩序や構造をあたえて、私たちが妄想や個人的な幻想に陥らないようにして、日常生活がまちがった方向に踏み込んでいかないようにすることに成功してきました。
このようなすばらしいことばの能力によって、人類はこんなにかよわい生命体でありながら、地球上で生き延びることができました。そのために人間にかんするあらゆる学問は、まずこういうこのことばの構造とそれをもとにして形成される社会性をもとにして、人間を理解しようとしてきたわけです。社会学でも経済学でも心理学でも、基本はみなこのことばの構造による合理性にもとづいています。
人間にかんする学問自身が、なにかを恐れているように見えます。自分の本質をのぞき込むのを怖がっているようでもあります。この点において、現代の人間科学は、ラスコー洞窟に潜っていったあの旧石器時代の人類に、はるかに遅れをとっているのではないでしょうか。彼らはそこで、自分たちの存在を可能にしている、自分自身の心の本質をのぞき込もうとしています。そこで彼らの前に出現してきたのは、社会性やことばの合理性を吹き飛ばしてしまうほど強烈な、裸の状態にある「流動的な心」そのものでした。彼らは現代人のように臆病でなかったから、危険をおかしてでも、自分の本質に近づいていこうとする純粋さをもっていたのでしょう。それにくらべると現代の私たちは本当のことを語るのを恐れている、臆病な偽善者のように見えます。
ミッシェル・フーコーは『狂気の歴史』のエピグラフに、パスカルとドストエフスキーによるつぎのようなことばを書きつけています。
パスカル
「人間たちはかくも必然的に気違いであるので、
気違いでないとは、狂気の別のひとめぐりによって、気違いであることである」
ドストエフスキー
「彼の隣人を閉じこめたからといって、ひとは自らの正気を確信できるものではない」
ここに書きつけられたことばは、対称性人類学あるいは芸術人類学の視点から見ても、まったく正しいと思えます。人間科学あるいは人文科学全体がよって立っている土台をひっくりかえして、その全体を新しい土台の上に再編成しなおすという作業は、レヴィ=ストロースやフーコーらの努力にもかかわらず、じつはまだほんのわずかの前進しかしめしていない、というのがほんとうの状況です。
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そういう状況の中で、人類学は例外的に、そういう限界づけに抗おうとしてきた学問だったように思われます。人類学という学問は、自分が生きている社会の外に出てゆき、自分を形成してきた掟や法や習慣の外へいったん出てみて、そこから外からの視点に立って人間を理解しようとしてきた学問です。とくにヨーロッパに生まれた人が、ヨーロッパの世界をつくってきた価値観や倫理観だけを絶対に正しい高い価値をもったものと考えて、ほかの社会の価値を認めないというような態度を取らないというところから、この学問はまず出発しました。
人類学の初期の段階では(私は「初期」ということばで、つい最近までの状態のことを指そうとしているのですが)、他者の眼をもって自分の文化を見直す、ということが重要な主題となりました。人類学者たちは、自分が世界についていだいている感覚や思考の枠組みなどからいったん自由になり、よその世界へ出かけてそこに旅行者とはちがう心構えで長く住んでみて、ほかの社会の人たちが、世界をほかのやり方で見ているそのやり方を学びとってみる努力を積み重ねてきました。その体験を重ねていくといつしか、いままで自分が生きてきた世界がどんなにか狭く堅くるしい仕組みでつくられていたかを実感できるようになります。この広大な宇宙や自然にたいしてだけではなく、人間に対しても動物や植物に対しても、ある種の偏りのあるものの見方しかできてこなかったということが、はっきりと見えてきます。その上で、自分たちの生きてきた世界を、偏りのない眼で見直すことが可能になってくるでしょう。
20世紀の半ば頃まで、人類学はそういう考え方に立って、自分の学問としての存在理由をうち堅めようとしてきました。しかしその試みはすぐに失敗であったことが、あきらかになってしまいました。つまりそういう考え方だけに人類学を限定してしまいますと、すぐに限界につきあたってしまうことが明白になってきたからです。人類学は世界旅行が容易になりはじめた時代のごく初期に、高い意識をもった旅行者の学問としての性格をもって発達してきたわけですが、旅行手段がどんどん発達し、映画やテレビのカメラがふつうの旅行者が尻込みするような奥地にでもずんずん入り込んでいくようになれば、べつに特権的な存在などではなくなってしまうでしょう。
それに、いやそれ以上に、対象としている社会そのものが、地球的な規模で進行していく西欧化の波に触れて、どんどん変質をとげていってしまってしまいました。そうなると、人類学という学問自体が存立の基盤をつきくずされていくことになってしまいます。1930年くらいまではそれでもまだかろうじてきちんと記録されていた社会が、それからわずか数十年ののちにはもうすっかり変質してしまっていました。そのためにそれまで「先住民」とか「原住民」とかひどい場合には「未開社会」と呼ばれていた人々の社会でも、もう昔ながらのものの考え方や世界の感じ方などを、そっくり丸ごと若い世代に伝えるなどということが、まったく不可能になってしまい、人類学自身の解体がおこるようになったのです。そのためにいまでは、大きな書店に出かけても人類学のコーナーを見かける機会はめっきり少なくなり、かわって社会学系のカルチュラルスタディーズやポストコロニアリズムといった若い学問のコーナーが、それにとってかわるようになっています。
それでは、人類学という学問には、もうどんな可能性も残されてはいないのでしょうか。他者や死者の眼をもって、外からの自己認識を人類に迫る学問、そういう学問の萌芽は、現生人類の出現と同時に、洞窟の中でおこなわれていた神秘的な「超越性の探求」の実践として、すでに数万年前から出現していたものですが、そのような「外の思考」の一形態としての近代に生まれ発達してきたこの人類学と呼ばれる学問は、もう未来を切り開く力を失ってしまったのでしょうか。
しかし、私はそうは考えないのです。20世紀の後半に対象を失って、意味をなくしていく学問としての人類学などというものは、まだその学問の本質に触れてもいなかった、まだ過渡期のかたちであったにすぎないのであって、社会の外、人間の外に出て行く学問としての、旧石器時代以来の伝統をもつこの探求は、まだ完成もされていないばかりか、広大な未踏の領野を自分の前方に残している、そういうふうに私は考えているのです。
20世紀の人類学の方向を決定づけた「構造人類学」においては、言語学の方法から借どんな人間社会であろうと、そこには言語というものがあります。そしてこの言語は、どうやら現生人類に共通の、一種の普遍的なモジュールから発達してきたもののようです。モジュールは基本となる構造を持っています。それは人類に世界についての合理的な認識をもたらすために発達してきたものとして、この共通のモジュールからの変形として、理解することができます。ハウサ語もパプア語もタガログ語もイロクォイ語もゲール語もラテン語も、根本で働いている基本モジュールは、どうやらひとつです。進化のプロセスが、このような言語の構造を「役に立つ」ものとして認めてきたからこそ、そういうことがおこるのでしょう。
しかし、人類学の野心は、そういうところにとどまっていません。レヴィ=ストロースは自分のつくりあげている「構造人類学」の中心的な主題は、人類の心の中の「無意識」の領域である、とくりかえし語っています。その領域を探求するために、われわれは言語学の視点からの手助けを借りているのだと、いうのです。ところが、私の見るところ、「無意識」は言語の構造そのままではありません。言語は、世界についての合理的理解をもたらすために、論理の仕組みにしたがって作動しています。その仕組みを最初に深く研究したギリシャの哲学者アリストテレスにちなんで、その仕組みは「アリストテレス論理」と呼ばれていますが、私たちの「無意識」の動作の仕方は、どう考えてもこの「アリストテレス論理」では動いていません。
私はそういう「無意識」の領域で働いている知性の働きを、精神医学者のマッテ・ブランコから借用した言い方で、「対称性思考」とか「対称性論理」とか呼ぼうとしています(詳しいことは私の『対称性人類学』という本と、その本を含む全五巻よりなる「カイエ・ソバージュ」のシリーズをお読みになってください)。対称性の論理にしたがって動いている「無意識」は、言語のモジュールとはちがって、ものごとのカテゴリーを分離するのではなく結びつけてしまおうとしますから、そこでは言語の合理性が一生懸命取り除こうとしている矛盾した思考などというものも、大手をふって通用しています。また日常的な意識をつくる働きをする言語が重きを置いている時間の秩序さえ、「無意識」には存在していません。そこでは過去も現在も未来も、同じ「場所」に共存することができます。
どうやら私たち現生人類の心は、まったく仕組みのちがう、ふたつの思考のシステムの共存として、働き続けているようなのです。ひとつは外の環境世界の構造に適応できるような論理(それがアリストテレス論理というものの本質にほかなりません)の仕組みをもって作動する言語のモジュールで、それにしたがって生きるときには、私たちは合理的な行動ができるようになります。ところが現生人類の心にはそれとままったくちがう、対称性の仕組みで動く層あるいは領域があります。ここでは、言語の論理が分離しておこうとするものをくっつけてしまい、ちがう意味の領域を隔てている壁を突破して、時間の秩序からさえも自由になって、多次元的にさかんに流動していく知性の流れがみられます。つまり、人類の心は、合理的な言語のモジュールにしたがって組織されて非対称の論理で動く層と、現生人類の心を特徴づけている「流動的な心」の流れでできた対称性の論理で動いている層とがひとつに結合している、「複論理=バイロジック」としてつくられているのです。
ふたつの心の働きのうち、どちらが先につくられたかというと、おそらく言語モジュールで動く、合理的な非対称の論理のほうだと思います。なぜならば、現生人類以前の人類たち、宗教も芸術のもたないけれども、すでに完成した石器制作の技術をもち、みごとは狩猟者であり、植物の利用にたけている博物学者であり、また立派な社会をつくっていた社会学者でもあった人類たちの思考を、厳しい自然環境の中でまちがいなく導いていけたのは、現実とみごとにフィットできる非対称の論理のほうでなければならないからです。
ところが大脳の中のニューロンの結合方法に画期的な進化をとげることによって出現した現生人類の心に生まれたのは、それとはちがう対称性の論理で動く「流動的な心」でした。心の働きのその部分は、現実との対応がなくとも、自由に活動することができます。つまり抽象的なことでも自在に考え出すことのできる、きっと将来は数学のような学問を生み出すことのできる心の層が形成されてきたわけですが、同時にそこには、現実との対応関係をもたないでも勝手に肥大していくことのできる幻想界というものがつくられて、妄想もできる狂気にも陥りやすい性質が、あらわれてくるようになります。現生人類は自分のなかに狂気への可能性を開くことによって、はじめてそれまでの人類たちを越えた存在になった、と言えるかも知れません。
私たちの心のなかでは、この異なる論理で作動をおこなうふたつの部分がいつもいっしょに動いています。つまり、このことばの構造によって動かされている「意識的」な領域では、ものごとは論理的に並べられ、整理され、秩序立てられています。ものごとは時間の秩序にしたがって動いています。ところが「無意識」の部分では別の論理が動いています。こちらの層ないし部分にヒトの知性が接近してきますと、そこにはあらゆる意味での「詩的」な表現が生まれてきます。それを外から見ていると、言語の合理的なモジュールのなかに、多次元的な対称性の論理で作動する「無意識」が侵入してきて、ねじまげられてしまい、意味の重層化や音楽化がおこっている、というふうに見えるでしょう。しかしじっさいには、「バイロジック」で動いている私たちの心の、いちばん自然な状態を、「詩的」な表現はあらわしています。つまりそこで、人類の思考の「野生」が生き生きと働いているのです。
こうして、私たちの前に、人類学のまだ開発のされていない未知の沃野が開かれてきます。もしも私たちが、社会的な法や、社会的なものの考え方や、習慣づけられた感受性などに拘束されていると、現生人類の本質をなす「流動的な心」や対称性の論理で動いている「無意識」の働きは、なかなか見えてきません。人類学という学問は、私たちを「外からの視線」によって見ることによって、自分についての認識を揺り動かし、つくりかえていくきっかけをもたらすものだ、と前に言いましたね。そうだとするならば、私たちは合理的な思考によって固められた人間についての学問の「外へ出る」ために、勇気をもって人類の徴である「流動的知性」のなかに、大胆に踏み込んでいく学問として、人類学をつくりなおしていくことができるでしょう。
このような方向に踏み出した構造人類学は、自分のよって立つ方法論を言語学に据えたために、パラドックスにつきあたってしまいました。しかし私たちが構想しているこの新しい人類学では、合理性を越える英知を生み出してきた「流動する心」を土台に据え直すことによって、この学問に未来への生命を取り戻させようとしています。私たちは、古いもののなかから真実新しいものを取り出そうとしているのです。
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ここまで話してきてと、すでにお気づきになった方もいらっしゃると思います。ここで新しい人類学について言われていることは、まさに芸術がおこなおうとしてきた探求の領域に一致しているのです。さきほど詩の例をあげましたが、詩だけにかぎりません。数万年前に人間の最初の芸術活動がはじまったとき、それは人類が自分たちの心の本質に向かいあおうとする最初の試みといっしょでした。そのとき人類は自分たちの心に芽生えた「流動する心」というものに直接触れる体験をもとうとしていましたが、その「流動する心」の働きと一体になった表現技術が、あの壁面にみごとな芸術作品を生み出してみせたのです。そしてそれ以後も、芸術は原初のときにおこったこの純粋な感動から離れることなく、現生人類としての自分の本質に触れる創造の行為に、打ち込んできたのでした。
私たちの心の内部には、まだ「野生」の沃野が残されています。どんなに合理的な社会管理や経済システムが世界を覆う勢いを見せているとはいえ、私たちの心から現生人類への最初の飛躍を記念するあの偉大な徴は、消え去ってはいません。いや、人類が生き残ってあるかぎり、その徴は消えようがありません。芸術は私たちの心の奥底に眠っている、この記憶の領域、いまだに野生を生き続けているこの思考の領域を、表現のなかに取り出してみたいという欲求を抑えることができません。どんなに社会の形態は変化してしまったとはいえ、どうやら現生人類としての私たちの心の本質は不変です。数万年ものあいだ、人類の心の基本構造はいっこうに進化も変化もとげていないのです。私たちは同じ脳の構造を持ち、同じ「バイロジック」を生き続けています。私たちのなかにはいまだに野生の領域が生きています。それどころか、人間としての私たちの本質をつくっているものは、そこにしか存在していません。
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こうして、「芸術人類学」という私たちのはじめようとしている新しい試みの核心部が、はっきりと見えてきました。人類学は人間がほんらいは「バイロジック」によって思考する、複雑で重層的な心をもった生き物であることを強調してきました。その学問は、神話的な思考というものの意味をあきらかにしてきましたが、その研究によると、神話は無時間的でものごとをくっきり分離してしまわない「対称性の論理」と、ものごとを物語の秩序にしたがって配列しながら語っていくことのできる論理能力との結合体にほかなりません。そのために、神話にはふつうの論理には絶対にあらわれない、独特の「ねじれ」をもった神話特有の論理で語られるのです。
伝統的に人類学が対象としてきた社会の人々は、このように「対称性の論理」と合理的判断を可能にしてくれる「非対称的な論理」とを対等な立場において、社会生活の場面場面に応じて、自在に組み合わせて使う能力に恵まれた人たちだったのだ、と言うこともできます。別の言い方をしてみますと、「対称性の論理」というのは一般に「右脳」に特有な働きであり、「非対称的な思考」は「左脳」がつかさどっていると言われていますから、人類学は近代世界で急速に失われてきた、「右脳」と「左脳」の働きのアンバランスを正して、人類に「右脳」と「左脳」のバランスのとれた「バイロジック」を実現しようとしてきた学問である、と考えることもできます。
そういう意味で言ったら、芸術は「バイロジック」の典型的な形態です。「バイロジック」の活動をつうじて、芸術は表現に秩序をあたえる論理的な能力と、そこからあふれ出る流動的で多次元的な、自由な活動をおこなう「流動的な心」というふたつの知性形態を結合し、新しい表現領域を開こうとしているからです。したがって芸術はつねに新しく、そしてつねにもっとも古い知性活動をあらわしている、ということにお気づきになったことと思います。つねに真新しい表現を生み出そうとしているいっぽうで(芸術のなかの無時間的な「無意識」が働いてつくりだされるものは、流行とはかかわりないところで、つねに新しいと言うことができます)、芸術は人類の知的活動のもっとも古い層、人類の心にいまも確実に残されている野生の野に触れているからです。
そればかりではありません。芸術のなかには「バイロジック」さえも突き抜けたところに出現する、超越的な「心」の流動体のほうに向かって、自分を開いていこうとする衝動が抱え込まれています。その点で、芸術は宗教の領域にかぎりなく接近していくことになります。そこであらゆる表現が消滅していく極限点のようなところに、芸術はいつもひかれつづけてきたのでした。その意味では芸術のなかには、神話的思考を越えていく超越性への衝動が潜んでいます。
私たちは「芸術人類学」という新しいことばによって、人間にかんするふたつの偉大な学問の伝統、すなわちいっぽうで「バイロジック」で作動する「野生の思考」を主題に据えてきたレヴィ=ストロースの構造人類学と、もういっぽうで芸術と宗教の起源をめぐる思索をつうじてあらゆる思考の絶する非知の働きを現生人類の心の本質としてみいだしたバタイユの思想、このふたつの思想を結合したところにあらわれてくるはずの、未知の思考の領域を開こうとしています。それによって、私たちは何を求めているのでしょうか。私たちは人類がまだ、自分の心の奥に野生の野を抱えていて、いまではすでに失われてしまったように思われている、その野を開く鍵を再発見することがいまも可能であることを、確実な仕方であきらかにしてみせたいのです。現代においてはめったに見られなくなった無謀な企てに、私たちは乗り出そうとしています。「芸術人類学」の守護神は、それゆえドンキホーテ、その人です。
『芸術人類学』(みすず書房より2006年3月発刊)に収録/
2005年7月23日多摩美術大学における講演に加筆修正

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