修士論文中間発表原稿


芸術学専攻 西 翼


 まずは修士課程での研究テーマを「クレイグ・オーウェンス「アレゴリー的衝動」から考察するポスト・モダニズム芸術」と仮に決定し、本日の研究発表をはじめさせていただきます。      昨年度提出した卒業論文では固有の場所に向けられた芸術表現を考察するために、ロバート・スミッソン、ロバート・アーウィンの作品と著作を研究対象とした。この論文ではある場所で芸術作品を制作する過程で、スミッソンとアーウィン両者がどのような理論や背景をもってそれを行っていたか検討したものである。そのため論の焦点は具体的な場所や条件、状況の分析に終始した。修士課程での研究では、再度ロバート・スミッソンを研究対象とし、固有の場所、サイト・スペシフィックを芸術表現の中に取り入れたスミッソンの制作の背景にある「アレゴリー的」思考を考察する。スミッソンの作品、著作に通底しているものを「アレゴリカル」であると評したクレイグ・オーウェンスの「アレゴリー的衝動」(The Allegorical Impulse: Toward a Theory of Postmodernism1980年)では、ヴァルター・ベンヤミンの著作から引用が行われ、「廃墟」というスミッソンとベンヤミンの共通のモチーフが提示される。(この点は後ほど具体的に検証例として示す。)そこでスミッソンの「アレゴリー的」といわれる思考方法、制作方法への導入として、まずオーウェンスの「アレゴリー的衝動」を分析することが本研究の出発点として位置づけられる。その後、ベンヤミンの著作の中から「アレゴリー的思考」がどのようなものであるか検討する。ベンヤミンの思想はその対象や領域が多岐にわたる為、山口裕之(ひろゆき)著『ベンヤミンのアレゴリー的思考』(人文書院、2003年)で示される要点や構図を参照し文献を選択する。ベンヤミンの著作から「アレゴリー的」であることそれ自体への理解を深め、その実例としてスミッソンの制作活動、執筆活動を分析し、「アレゴリー的衝動」並びにポスト・モダニズム芸術の理論を分析する。

 次に研究の進め方を説明する。オーウェンスがOctober誌に発表した論文「アレゴリー的衝動」でポスト・モダニズム芸術作品の特徴としてアプロプリエーション(盗用)と、サイト・スペシフィシティが挙げられている。この二つの特徴が表題である「アレゴリー的衝動」によって生み出されるという事である。オーウェンスはアレゴリーをもともとは文学の構成要素として捉えており、あるテキストを通して読み取られる別の意味内容を生み出す効果を持つものと考えた。断片的で不完全であっても、そこに示されているものと別のテキストを想起させるものがアレゴリーということである


アプロプリエーション、サイト・スペシフィシティ、儚さ、集積、言説性、混成—こうした様々な戦略が今日の芸術を特徴付け、そしてモダニストの先例と区別するのだ。それらはアレゴリーとの関係で見られた時、一つのまとまりを形成しているとも言える。ポスト・モダニズムの芸術は実は一つの、明確な衝動によって特徴付けられることが指摘される。Craig Owens. The Allegorical Impulse: Toward a Theory of Postmodernism. October 12 (spring, 1980), rpt, in Craig Owens, Beyond Recognition: Representation, Power, and Culture. Berkleley and Los Angeles: University of California Press, 1990.


以上はオーウェンスの「アレゴリー的衝動」からの引用だが、ここでモダニズムとポスト・モダニズム芸術の分岐点が明らかにされ、ポスト・モダニズム芸術をアレゴリー的衝動との関係において考察する必要性が示されている。

 次にレジュメにはありませんが、アレゴリーそのものを検討する一例として、ベンヤミンの「廃墟」とスミッソンの「記念碑」をめぐる思考を検討し、その類似性を検証したい。『ドイツ悲劇の根源』でベンヤミンは廃墟をバロック悲劇の舞台に「自然—歴史(Natur-Geshichte)」のアレゴリーとして登場することを指摘する。


そのような姿(廃墟の姿)を与えられた歴史は、永遠の生の課程としてではなく、むしろとどまるところを知らぬ凋落(ちょうらく)の経過として現われる。(中略)事物の世界において廃墟であるもの、それが、思考の世界におけるアレゴリーにほかならない。ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源 下』浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫、p. 51


ここでアレゴリーとしての廃墟には、それを建設し、使用し、それを破棄した人間の歴史と、崩れて断片化し、なおもその自然による風化の途上にある風景としての廃墟が平行して成立している。続けてスミッソンが「ニュージャージ、パセイック記念碑を巡る旅」(1967)でニューヨーク郊外を訪れた際に造成中の工事現場の描写を引用する。


これから建てられることになる全ての建設現場が見せる零度の景観は、反転した廃墟を内包しているように見える。これは「ロマン主義的廃墟」と逆の構図である。なぜなら、建物は後に廃墟として朽ちるのではなく、それらはいずれ建てられるが、むしろ建てられる前に廃墟として立ちあらわれている。Robert Smithson, A Tour of New Monuments of Passaic, New Jersey, 1967


ニューヨークのベットタウンとして宅地開発されたパセイックという街には歴史的背景、つまり過去と呼べるものがほぼ無いに等しい。そのためスミッソンは「反転した廃墟」として建設途中の建物をパセイックにおける「記念碑」とした。これらの「反転した廃墟」には過去や歴史の代わりに未来に経過することになる過程が付与されていることになる。そしてその未来はB級映画で使い古されたようなヴィジョンであるとスミッソンは続けている。

 ベンヤミンとスミッソンの「廃墟」に関する思考をやや図式的ではあるが取り出すならば、まず二つの時代、時間軸があることが分かる。つまりベンヤミンにおいては廃墟になる前の建物を成立させる「歴史」と、崩れて荒廃する「現在」の様態が示される。一方スミッソンにおいては建設されている「現在」の様態と、建設された建物が「未来」に経過する出来事が内包されたものとして反転した廃墟が示される。ここで山口ひろゆきの『ベンヤミンのアレゴリー的思考』に示されたアレゴリー的思考の特性の一つである「時間性が空間性のうちに同時化される」ものを導入するならば、ベンヤミンとスミッソンが二つの時間軸を「廃墟」という空間性の中に見ていることが理解できる。歴史や時間を線的に捉え、不可逆なものとするならば廃墟は朽ちた建物でしかない。だが、ベンヤミンとスミッソンの両者には二つの時間が両立したものと捉える。時間を空間化したもの、つまりアレゴリーとしての「廃墟」がここで成立することになる。

 二つの時間、時代を空間として内包したものとして、ベンヤミンとスミッソンが「廃墟」を位置づけてはいるが、その差異をあげるならば、現在という時間の他にそれぞれが別の時間を含んでいる点である。ベンヤミンにとって廃墟は歴史と現在のアレゴリーとして捉えられているが、一方のスミッソンは未来と現在の混成ととることも出来る。そしてスミッソンがパセイックの宅地造成現場で見ているのは輝かしい未来像というより、使い古され、すでに時代遅れとなった「未来」のヴィジョンであった。このような視点を持ち、スミッソンは開発当初に使用されたが、それ以降必要ないものとしてそこに残された巨大なパイプやフレームを記念碑と称して写真に収めていく。

 二つの別の時間を示しつつも、それを経過としてではなく、同時に捉えようとするアレゴリー的見方の一例がベンヤミン、スミッソンの両者に共通したものとして取り出せる。また同時にスミッソンにおいては、工業化や資本主義により次から次に生み出される製品や「新しさ」や「ユートピア的」ヴィジョンへの関心が明らかになる。この点に関してはベンヤミンの『パサージュ論』を研究することで、ベンヤミンとスミッソンの別の形での接近を考察できるのではないかと考えている。

 以上のようにスミッソンの言説、作品からアレゴリー的思考を取り出し、オーウェンスが「アレゴリカル」と評したスミッソンの才能を考察しまとめることが本論文の本体となる。また、オーウェンスの「アレゴリー的衝動」が、他の批評家にどのように引用され、使用されているか調査することも平行して行い、アレゴリー的衝動による芸術表現の現状分析も視野に入れて研究を進めたい。

 

 

西翼|Tubasa Nishi
多摩美術大学大学院美術研究科芸術学専攻。自宅を週に一度開放し友人の友人たちとプロジェクトを構想するための喫茶スペース「centre」や多摩美術大学大学院生のグループ「POWDER 2011」を共同で企画・運営。

[オルタナティブ・ネットワーク vol.1 ]多摩美術大学芸術学科の西翼くんが住みながら週1回喫茶スペースを運営する「centre」を海老澤彩が取材に行ってきました!03/16/2010放送。

2011年8月6日(土)、7日(日)にえんぱーくで開催されるイベント「shiojiring」専用ブログ◆長野県塩尻市から自然発生したアートフェスへの試み
企画№2 30時間トークマラソン「生きるとは? アートとは?」

特別連載! YCAM 研修日誌 2010 第4回
筆者の西くんが、作品設置作業〜サインの張り込み〜デバイスの組み立てで大忙しのため、写真のみ、投稿します。
なお、西くんは、首にタオルを巻いて、懸命にYCAM内を走っています。

<展覧会設計ゼミ 西 翼>
展覧会設計では、現代美術の展覧会をゼロからつくり上げる実践を経験できる。
アイディア次第で通常の展覧会の枠を超えたプロジェクトを実現することも可能だが、与えられる自由度の分だけ、様々な場面での判断は難しいものになることが多い。
会議を重ね、練り上げていく構想が、展覧会の形で目の前に現れる瞬間を経験することは、貴重な機会といえるだろう。