多摩美術大学の社会連結カリキュラム案 高橋士郎

あそびたまびまなび2.0

1)はじめに

美的人間

「出来事はみな入りみだれ、ぼやけて見え、数知れぬ不思議な感覚が自分をとらえた。自分はいっぺんに見、触れ、聞き、嗅いだ。そしておのおのの感覚の働きを識別できるようになるまでには、じつに長い時間がいった」メアリー・シェリーは1818年著作の小説のなかで、被創造体クリーチャーの意識が生まれる瞬間を語り出す。

「私は、彼らが話す言葉が、聞く人の心や顔に、喜びや苦痛、微笑みや悲しみを生み出すことにきづいた」ごちゃまぜの感覚の中に心地よいものがあり、心を浸透させる」

人間的な思索は、 色や形、光や動きという感覚的な体験に連鎖して始まります。生活を豊かに彩る、触覚的・視覚的・身体運動的な経験からくる、驚きと喜びは、生きる興味に転換し、子供達にとって、わくわくする心のうごめきは、人間や物にたいする確かな愛着の始まりとなります。

想念と現実とは表裏のことであり、現代の先端的な情報技術によるバーチャル・コミュニケーションの時代において、豊かで健全なコミュニケーションが成立するためには、受け手と送り手のリアルな現実体験による共通感覚が不可欠です。豊かなコミュニケーションは、感覚的な体感に連鎖して始まり、人間的な思索を喚起します。

現代の情報化社会において、情報技術はとどめなく拡大し、通常の人間感覚では理解しえない高度な情報技術が遍在し、ブラックボックス化しています。 秋葉原の無差別殺人事件などの不可解でオカルト的な犯罪が問題視されるのも、仮想と現実の間に大きな断絶を感じるからであろう。

美術大学の使命

野生の人々は聖域を形成して、シャーマンが司る豊かな想念世界を共有してきたが、宗教権威に取って代わった宮廷権威は芸術家を私有し、個人が所有し、見せびらかす事のできる芸術価値を発明した。

しかしながら、近代の機械的世界観による金融支配下の芸術においては、まず最初に、この世に建築される芸術の殿堂(美術館)によって、その芸術価値が担保されることとなり、

次に、現代のデジタルサイバーネットが実現した情報の偏在化技術は、肥大化した大脳皮質の化学シナプスと電気シナプスを外界に漏洩し、あの世とこの世の結界を曖昧にしてしまった。

このような状況下で、多摩美術大学は、情報化社会における創作表現の在り方を探求し、現代の高度な表現媒体と、野生の人間感覚のギャップを連結し、現実社会での豊かなコミュニケーションの再生を図り、人間性を正しく豊なものに発展させる使命を負う。

あそびたまびまなび」プログラムは、多摩美術大学自身が社会と直結する美術創作活動を展開し、美術教育のカリキュラムを開発する。

メディアはメタ認識を発展させる

人間の耳が見過ごしてしまうような意識外の音響をも正確に録音してしまう蓄音機の出現は、表現者の魂を文字言語の約束事から開放した。写真映画の出現以降、芸術家が絵画や彫像などの表象で記録してきた出来事のクライマックスを、平等に記憶されるようになった。

現代のデジタル情報技術は、相互方向性、媒体互換性、即時性、世界規模、動画配信ネットなどを可能とし、大量の情報を簡単に無償で伝達できる。さらに、ハイパーテキストは、リニヤな記述には出来ない、自由な連想を喚起し、より自然な思考方法に近づいているように思える。

個々の親子家族が織りなす美術創作コミュニケーション活動を、ユーチューブやニコニコ動画などのサイトで公開発信する。
(多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コース)

高校生ボランティアのマンパワーに支えられた美術活動は、多摩美術大学で学ぼうとする高校生のキャリア目標となる。
「二子玉川駅」田園都市線・玉川線・大井町線(東京都市大学高等学校)
「橋本駅」京王線・横浜線(都立片倉高校・県立弥栄高校)

オックスフォードやケンブリッジなどの大学創成期にみられる、都市文化を創出してきた伝統的な大学機能を復活させる。

贈与 交換 通貨 商店連合会

イベント・ファシリティ 

仮設的な仕掛けは、その時、その場に応じて随意に空間を装い、陳腐化した日常風景に活気を与え、使用後に取り払われ、「はれ」と「け」の豊かな時空間を演出します。空気膜造形は、あたかも都市が服飾ファッションを羽織るように、現代都市空間を豊かに装い、大仕掛けなスペクタクル夢の世界を、何時でも何処でも、日常の空間に実現します。

空気膜造形は、梱包箱に収納されてどこにでも宅配便されます。従来のイベント方法による切ったり、張ったりの現場施行が不要で、電気コンセントを差し込むだけで、自動的に組立ちます。現場での設営時間は1分、撤収時間は1分です。柔らかく軽量ですので、既存建物の壁面や天井を傷つけることがありません。ゴミを一切ださないので、産業廃棄物の問題もありません。more

 

2)体感コミュニケーション

概念は知覚の視覚的成分・触覚的成分・音響的成分により学習される。

古典的な絵画技法においては、空気感や重力感などのリアリティある表現が課題であった。20世紀の抽象絵画は、空気感と重力感を喪失してアンフォルメルとアンフラマンスに引きこもり、人間の野生感覚を隠すオカルト的な様相をみせる。

額縁の中のキャンバス表層における芸術空間では、地球上の陸上生物が5億年を経て育んできた大気重力の存在が欠如する。文芸や絵画の想念空間においても、現実の物理科学を無視する不合理な表現がまかり通る。

情報芸術のサイバー空間には、空気と重力は存在しない。リアリティーを表現するのがバーチャル・リアリティーであったはずだが、仮想空間での創作が陳腐化するにつれて、現実感覚が退化しはじめる。

あそびたまびまなび」プログラムは、現代の高度な表現媒体と、野生の人間感覚のギャップに注目し、根源的な身体的体験に基ずく、リアリティある豊かな仮想空間を形成し発展させる。


Joan Rovira 

キネチック・アート

SkyArt

マットゲーム

 

3)穏やかなコミュニケーション

20世紀初頭に登場した写真映画技術に影響されて、後期印象派絵画以降の芸術の有様と役割は大きく変貌した。現代のチューリングマシーンは、絵画・彫刻・演劇・演劇・文芸などの伝統的な表現領域に取って代わる新たな表現媒体をシームレスに連結し、ボーダーレスな仮想空間を拡大構築しつつある。現代における芸術の表現領域は、環境的かつ観客参加型のインタラクティブアートにまで拡大されている。

このような状況下で、19世紀的なロマン主義芸術を教条的に信奉しつづけるには限界がある。19世紀の科学思想によって拡大した、新たな人間性の、新たな連結が求められている。

生命ある者が、常に口から出し入れする、眼に見えない空気を、なにか魂のようなものと理解していた人類が、その科学的な組成を解明したのは近代になってからのことである。元気の素である酸素は赤血球と結合し、体の隅々まで運ばれ、細胞の酸化エネルギーとなる。文脈的に考えれば、魂の生気と空気の酸素は同類項であろう。

空中浮遊への欲望は、まず神話のメタファーによって解消され、次にダヴィンチなどの観念的機械の探求を経て、20世紀の科学実験で実証明される。しかしながら、20世紀の強力なエンジンによる飛行は「風の谷のナウシカ」の優雅な飛行とは程遠い。

人類が、ピラミッドやパルテノン神殿のような堅牢な造形や、堅牢で永遠な芸術に憧れるのは、寿命も思想も風船のように儚い自分の存在が嫌だからなのであろう。

あそびたまびまなび」プログラムは、現代技術を身近で親しみやすい素材と同化させる、穏やかな技術により、匿名的消費者コミュニティの穏やかな双方向的コミュニケーションを再生する。


[フェルトン星人]

[ハイパーニット]

ソフト・アート

事務ビルの変貌

 

4)環境コミュニケーション

人類は生息環境を選び,それを守り,さらに再構築する。そして、新たな環境は進化の枠組に波及的影響をおよぼす。

肥大化した大脳皮質を持て余す人類は、理性とか知性とか云う妄想を巡らし、本能を制御する宗教や芸術などを発明して、仮想空間に創造エネルギー放出させてきた。

ところが、近代以降、行き場のなくなった創作エネルギーが、いったん物質界に向かうと、粗野な工業生産物を大量に生産して、地球環境をも破壊しはじめた。

生物の遺骸が腐敗して堆積した豊かな土壌の大地でこそ、生物の再生が営まれる。また大地は、自律直立する反力として、またマイナス電位としても絶対的に機能してきた。

白色という光の波長は無い。地球上の生物が40億年間の進化の過程で、地上に満ちていた波長のある種の分布を、初期値の白色と認識したのである。

あそびたまびまなび」プログラムは、古典な芸術の表現枠から環境的表現を開放し、 生態環境との相互作用を図り、ハレの生気を日常的な現実空間に取り戻す。


体内探険

迷路

洞窟

空気の丘

 

多摩美術大学の実績



生涯学習センタ
海老塚耕一教授
「あそびじゅつ」


メディアセンタ
須永剛司教授
「知の創造」


デザイン研究室
堀内正弘教授
「まちづくり」


情報芸術研究室
森脇裕之准教授
「TECK展」.