資料6-2

改組転換のキャンペーンポスタ

 

media@tamabi

 未来の学校を考える時、私はいつもエーリッヒ・ケストナーがナチスの時代に書いた『飛ぶ教室』を思い浮かべてしまう。“飛ぶ教室”というのは実はドイツのギムナジウムの少年たちが発表会で演じる劇のタイトルで、飛行機に乗って、地理や社会や歴史の現地授業をするという意味である。そこでは授業が現場検証となる。少年たちは飛行機でベスビアス火山の火口に着陸し、火山の実態についてのレクチュアを聞き、ギゼーのピラミッドの近くに降りて、王の墓の建設について想像し、北極に舞い降り地軸が雪のなかからそびえたつのを目撃し、ただちに電送写真でそのイメージを送る。飛行機と電送写真という当時の最先端のテクノロジーを活用し、リアルタイムで運動や現象や事件を把握してゆく。少年たちは不穏と暴力の時代のただなかで、学校というものが将来どんなふうに運営されていくのかということ、未来の学校をそんなふうに予告したのである。
 私にはこのマルチメディアとネットワークの時代に、その“飛ぶ教室”が新しい形で実現してゆくのではないかという予感がある。それも授業が単なる現場検証の場になるというだけでなく、自己創造と自己変革の場になりうるような、そんな新しい場づくりがこれからの時代に求められてゆくと思うのだ。そうした場づくりの大きな要因となるのが、コラボレーションということである。
 今、急速な技術革新が現実に浸透し、我々はそれに対応しようと悪戦苦闘しているが、テクノロジーの関わりのすべてと歩調をあわせてゆくのは不可能だし、そこにはたいした意味はない。大切なのは人間の物質的な必要と同じように、人間の精神的な必要を理解し、そのことをふまえたテクノロジーや他者とのコラボレーションを志向することである。そのコラボレーションが次々とリンクし、ある共同性のパルスを発してくる。
 『飛ぶ教室』と同時代のバウハウスの教授陣の一人であるパウル・クレーは自分がバウハウスという教育機関に参加して、これまでにない相互性や融合性を感じることができたと回想して次のように言っている。
 「我々は一人一人が持っているものを捧げる共同体をバウハウスで始めた。それ以上のことを我々はできないのだ」
 あの個性的な表現を繰り広げたクレーでさえ、そうした共同性の場をバウハウスという学校に希求していたのである。
 本来メディアという言葉は情報伝達媒体という意味で、メディアは情報を時間的に記憶したり、空間的に移動したりする役割を持つものだった。しかし考えてみれば我々の身体や言葉そのものもまたインターネットやCD-ROMと同じようなメディアである。我々はまず、今、ここに存在する自己という最小単位のメディアの生成を確認しながら、情報の受信、編集、発信を繰り返し、連結し、融合し、交通し、人間が本質的に持っていたメディアの機能を最大限に活用させてゆかねばならないだろう。技術と思想の両方を多彩なメディアを駆使して学習し、現場で学びながら創造し、共感する心を育てることをめざし、一方通行のティーチングではなく、ダイアローグとイマジネーションを重視した新しい場、そんな未来の学校をつくりあげたいと思う。
(伊藤 俊治)

graphic design@tamabi

  美の不思議な力●一般大学と違う美術大学の最大の特徴は、美術という人類にとっての「不思議な力」を学び、そして研究、創作する場である。つまり美術大学は、「美の神」が宿っている神聖な唯一の場なのである。それは、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館、大英博物館など世界の名だたる美術館を訪れればこの美術という人類にとっての「不思議な力」を肌で感じ、理解し読み取ることは、容易に可能だ。
 グラフィックデザイン教育●多摩美術大学のグラフィックデザイン教育は創立以来、「美の造形」に貫かれている。それは創立60周年記念展(’95年・日本橋三越)「広告デザインの誕生から現代まで」(デザインの先駆者、杉浦非水・山名文夫と多摩美術大学のグラフィックデザインの群像)の展覧会で十分解る。美術大学だからこそ成し遂げられたユニークな教育のあり方が一望できた。しかも、激動する時代の変化にも適応し「美の不思議な力」をもってヴィジュアルコミュニケーションの魅力ある表現を目の当たりにできた。また、たとえどんなメディアに対しても果敢に挑戦し、昇華するエネルギーに驚かされた。未来に向かって検証するまたとない機会を得た。
 新・グラフィックデザイン学科の今後●新・グラフィックデザイン学科は、印刷媒体における、造形画像による情報伝達デザイナー養成機関として歴史を重ね、’57年以来現在まで、社会に送りだした約五千名の卒業生たちは、その修得した情報伝達能力が高く評価され、多様化した多種の視覚媒体による情報視覚伝達作業全般に亘って、中心的な立場にあり、その活動範囲はもはや印刷媒体に止まらないのが現状である。
 一方、社会・経済の変化や、コンピュータの急激な発達によって、表現・制作・媒体などのデジタル化・マルチ化・ネットワーク化・グローバル化・ボーダレス化など、情報伝達の目的・環境・条件などが激変しつつある。 この二つの事実を前提として、新・グラフィックデザイン学科では、まず、長い伝統と輝かしい業績を踏まえ、従来からの教育方針である、高度な計画性・創造性と、多岐に亘る画像による情報視覚伝達の基礎理論と、多様な画像制作技術を修得させる方向をますます充実・強化することと、それに加えて、デジタル表現・デジタル制作の理論と技術を学習し、デジタル媒体の構造・機能・特性・受け手の受容態度などを理解させることの二つを、教育内容の骨子とした。そのため、デジタル情報機器による情報処理技術の習熟を必修とし、情報視覚伝達全領域における、豊かな創造性と優れた専門的な知識・技術だけでなく、深い教養・広い視野・正確な総合判断力を持つ、新しい情報視覚伝達デザイナーを育成し、来たるべき高度情報化時代の要請に十分に応えることを目的として、新カリキュラムを構築している。そして、人類にとっての「美の不思議な力」は、新・グラフィックデザイン学科の太い柱として息づくことになるだろう。 
(秋山 孝)

product design@tamabi

 哲学や法学などの一般的な学問が、混沌とした現実世界を観察して、抽象的な思想体系を組み立てるのとは反対に、デザインの作業は、抽象的な思想から出発して、具体的な形・色・質感をともなう、現実の表現へと向かう。
 分別のある既存の思想に囚われていては、新しい形態を創造することはできない。陳腐な思想からは、陳腐な形態しか生まれない。新鮮でイノベーティブな形態は、新鮮で創造的な認識や、新しい環境条件、独自の信念から生まれる。形態を論ずることは思想を論ずることでもある。
 芸術家がもっぱら、自らの問題を発見して造形表現するのに比べて、デザイナーは、問題を市場調査などの他者から与えられる場合が多い。しかしながら、芸術家である画家や彫刻家もデザイナーと同様に、制作プロセスにおいては、デザイン能力を発揮する造形の専門家であることにかわりはない。
 現実の形態は、機能性・生産性・材料特性・加工性・人間性・社会性など、混沌とした現実を構成する種々な要素が多次元的に関連して成立しているので、現実の形態を創作するデザインのプロセスは単純なものではない。デザイン演習の初期においては、単純な問題を設定して、美的なデザインを自由に展開し、創造性を開放する。次の段階では、要素が複合する問題を設定して、要素間を調和させ、社会関連の中で秩序ある合理的で善良なシステムをデザインする。
 しかし、デザイン演習の最終段階においては、矛盾する問題を設定して、問題の解決のためにデザイナーが主体的にメリットとデメリットを取捨選択して、製品の仕様を決定し、社会に向かって提案することとなる。矛盾は回避するものではなくて、矛盾する問題にこそ真実への閃きがあるといえる。学生はデザイナー、教授はディレクター、学科長はプロデューサーとなって、一般社会へ向けて新鮮な提案を発信していきたい。
 創造活動には、既成秩序を乱す潜在的な悪が付きまとうし、創造的なデザインが必ずしも社会に順調に受け入れられるわけではない。しかしながら、デザイナーのリアリティある表現力によって、ファンタジーは説得力を発揮し、人々の共感を得て社会のシステムを改革していくこととなる。現代の思想を具現化する創作の現場にデザイナーが居る。そして、人類が過去にデザインした人工物の数よりも、将来に向かってデザインするであろう、まだデザインされていない人工物のほうがはるかに多いにちがいない。
(高橋 士郎) 

 

craft@tamabi

 今、東京は「工芸」分野からの新しい発信を強めています。伝統や工芸素材に恵まれているわけでもないのに何故なのでしょうか。それは、伝統も素材もなく、逆に左に記す文明の状況との取っ組みあいを日常にもちこめるゆえ、と私は観察します。多摩美ではそうした状況への探りを深め、発信を確実にしたいと考えています。
〔状況A〕従来の工芸観からも、西欧美学のFINE ART志向からもはみだしたところの、或いは混交させたところでの造形表現に、私自身、そして多くの学生も、関心を深めているのを教育の現場で実感します。また美術館や画廊もそれに呼応し、従来になかったアートシーンが登場しつつあります。
 その現実は、私達作り・教育する者に、従来の工芸観や西欧美学を成り立たせてきたパラダイムの解体と構築の視点の有無を、そして、時代と文明を検証する思想の有無を、お前はどうなんだ、と問うているのです。
 それゆえ、その状況に、積極的に応えるカリキュラムを充実させたいと考えています。その際日本ゆえの伝統の再生という文脈にも顧慮し、一方、何にもとらわれない、自由で多様なモノづくり文化への回路をも開きたい、と欲張っています。
〔状況B〕時代は非物質、つまり電波や電磁波などによるバーチャルな「情報」を何よりリアルと受けとめる文明を展開しています。
 『人類はコンピューターによって、人間の神経系を拡大させ、パソコンやネットワークは視覚や聴覚、さらには頭脳の人工的拡張を続けている』*1
 このように人間をサイボーグ的に転変させる文明にあって、あたかも逆行するかのように「実材を重視」し、「手」で、「モノを造る」ことに拘泥するヒトが出てくるのは何故なのでしょうか。
 それは高度近代化が「無用」として廃棄したモノやコトへの郷愁なのでしょうか。そう単純なことではなさそうです。「有用の用」のみをあくことなく追求する文明にあって、ヒトは「無用の用」にも価値を認め、感性に平衡と正常を求めたいのではないでしょうか。
 それゆえ、私達はそうした文明に対置しうる模索の場を受けもってみようと考えます。
〔状況C〕『かつて「つくる」ことは何のためにの目的を探し、作るべきものを計画、それをもとに素材を活用して実現、という「総合させての人間的行為」だった。だが高度近代化社会は大量消費社会の利潤追求のために、それらを分解、異ったヒト、異った職能集団に効率よく担わすことにしてしまった』*2
 社会が、ヒトが作るコトや、作られるモノへの認識能力を弱め、総合させての人間的行為を二義的、趣味的存在へと押しやったのです。
 こうした状況にあっても、何かを作り続けていたいヒトが、「総合させての人間的行為」でもって、社会に向ってその存在を主張し、現代の問題をえぐりだせぬものか、つくり手の自問と模索が始まっているのです。しかしながら伝統固執の工芸様態ではその趨勢を受けとめきれない。そのことが遊びやアート指向とも見られる事象を生み、諸ジャンルのボーダーレスの動向とも共振しているのです。
 FINE ARTとUSEFUL ART、用と美、陶・ガラス・金属なら器、といった固定しきった枠組、それを構築しなおせねば対応しきれない時代の状況、それが私達つくり手をかりたてる。その受け皿でありたいと考えています。
*1 黒崎正男 *2 山田慶児 (中村 錦平)

 

environment design@tamabi

 21世紀にわずか数年。崩壊の序曲が響き始めている。経済不況、産業の空洞化、終身雇用制の終焉、教育現場や会社でのいじめ、そしていろいろな公害に加えて天変地異の威嚇。日本はどこへ行こうとしているのか。最近起こった新たなる縄文遺跡の発見からその未来像を捕えることができるのではあるまいか。
 なぜ、世紀末の今頃になって、今まで隠されたものがあらわになるのであろうか。それは隠され改造されていった国の成り立ちが、東西対立のイデオロギーによって押さえ込まれていた枠組みが取り払われ、民族の下意識(国の魂といったもの)によってもはや地球の真実が、あらわにされようとしているからに違いない。左様、21世紀には再び地球や世界といったグローバルな環境的文明が再発見され、人類の意識に返り咲く予兆なのでは有るまいか。最近の学問的成果から縄文文明の可能性についていくつかのポイントを洗い直してみよう。
 長期にわたる自己の確立●一万年にもわたる悠々の文明が縄文であればこそ、その後の弥生革命、律令性、仏教伝来、所教伝播といった外来文化による大きな国家的変化にも耐える精神的ショックアブソーバーとして機能し、日本としての独自性やアイデンティティーを保持していったのではないか。これから到来する長寿社会において終身雇用制は終わりを告げ、ロングスパンの人生の自己の確立が望まれる。
 世界的ネットワーク●物流と情報の広域さ。遺跡から出土する品のうち黒曜石は北海道、長野、黒龍江、ヒスイは、新潟糸魚川、アスファルトは秋田、そして、縄文土器は遠くメラネシア(ラピタ文明)、南米エクアドル、ボリビアに分布していた。21世紀はインターネットにより個人と世界との情報交換が行われ、市場においても個人的にボーダレスな世界との交易が行われる。
 モノからココロへ●森の人を支えていた縄文文明原理は、動物、植物など、生きとし生けるもの皆平等の「山川草木悉皆浄仏」の精神であったとされる。弱者にも平等に食物を分け与え、すべての生き物は「私」とつながる「我々」だったというアジアの時代、マイノリティーの時代、近代主義的な「我」、エゴから「我々」エヴァの時代へ、モノからココロの時代へ。
 地球文明●一万年の間培った森の文明は共生と循環、あるいは輪廻の世界観であった。自然環境が破壊され、人類の生存が危惧される今は、このような世界観が認識される必要がある。また、縄文文明は、地球上の親潮、黒潮に乗って世界と大きく交流していた、いわば、マヤ、インカ、アメリカインディアン……古代文明に共通する地球文明と呼べるものであった。
 芸術的志向●縄文の集落は小規模で、百人とも五百人ともいわれ、そこにはそれぞれ、特色あるものを作り、土器、工芸、狩猟、海産と専門化して、交換経済だったらしく、それぞれが、一点集中の専門領域で火焔土器に見られるように、一芸に秀でた芸術的志向の強き世界であったらしい。
 以上、近代主義から地球主義へ、建築から、環境(情報)へ、まさに、改組の途上にある、多摩美も、こうした変革期のもう一つの表れであるといえよう。
(毛綱 毅曠)

 

textile art@tamabi

 '97年5月マティリアル・カルチャーと題したテキスタイルデザインのワークショップがアメリカで開催された。内容は百花繚乱ともいえる多彩さだ。コンピューターによるデザイン実習。また素材の組成に合わせた捺染法や絞り染め、職人技の藍染めやマイノリティーの民族的染織、ドローイングテキスタイルアートからファイバーアートまで、実に多様性のある協議会だ。この現象を日本の現状と同一視は出来ないが、この協議会はテキスタイルデザインの現状を語るうえで示唆に富んでいる。感性を最も必要とするデザインジャンルならではの発展振りだ。
 テキスタイルデザインの多様性の要因はいくつかある。繊維産業においては長い歴史が分業化を促進し裾野を広げたことや、気分で装うファッションなどは千差万別である。また、生活の中のアノニマスなデザイン(衣類、インテリアファブリクス、その他の繊維製品)のことを考えると、テキスタイルデザインは生活の潤滑油ではないかと思うほど隅々に行き渡っている。アート性の強いジャンルとして、建築空間におけるファイバーアートなどは繊維素材の特性を活かし造形表現としての世界を構築しているし、日本文化をオリジンとする染色の世界も現代に脈々と受け継がれている。
 装飾と密接な関係にある繊維の世界ならではの話がある。二十世紀初頭、日本のシルクロード探検隊は一辺の錦を持ち帰った。一方、正倉院には「四天王獅子狩り文錦」が収蔵されていたが詳細は謎であった。この東西に遠く離れて存在した二つの錦は、文様を頼りに類推を重ね随書「斐矩伝」にたどり着く。探検隊が持ち帰った錦は西暦609年、随の煬帝が高昌国王、麹伯雅に授けたものとして、また正倉院のそれは同じ年に遣随使、小野妹子に授けられたと悠久の時を隔て検証された。いつの時代も装飾は様式美となり昇華されていく。人間に、また生活に近い染織の文様はその時代の文化を代表するものだ。
 このようにテキスタイルデザインは歴史的にも文化的にも守備範囲の広いジャンルだが、最近、ニューヨークにマティリアル・コネクションというショールームがオープンした。インターネットを媒体として世界中から新素材を収集し、建築家、インテリアやプロダクトデザイナーのインスピレーションを刺激している。テキスタイルは将来的には藍の培養といったミクロ的な宇宙から、ロケット産業のようなマクロ的宇宙まで幅広い産業に浸透するだろう。今後、重要になる情報の問題は、もの自体の価値のほか、ものが持つ情報性を問われる。大学において社会とのコラボレーションを考えるとき、テキスタイルデザインの果たす役割は大きい。
(高橋 正)

 

architecture@tamabi

 この世紀末においてデザインの行方を考える時、私が強く感じるのは、どうしようもない「行き止まり感」である。「行き止まり感」とは、より具体的にいえば「新しさのどこにも見られないこと」であり、今日の芸術がその根拠を見失っていることを指している。この問題は、私の専門分野である都市デザインにおいて、とりわけ強く感じられる。
 その原因は何かと考えると、20世紀のデザインが、実は19世紀的な問題意識から、いまだに離脱できないでいるということである。そして19世紀的な問題意識とは何かといえば、それは19世紀の都市デザインにおいて、産業革命以来の「技術」が非常な進歩を遂げる一方で、その進歩した「技術」が肝心の「芸術」との、本来あるべき統合の姿を喪失したことにある。
 その格好の具体例が、ウィーンの環状道路にいまも残る復興主義の建築群にほかならない。そこでは「技術」=構造を覆う建築意匠=「芸術」は、ギリシア、ルネッサンスなどの、過去のさまざまな様式の引用と折衷に終始している。芸術はただ「過去」をのみに対し、「過去」をのみ、こよなく憧憬している。これはまぎれもない後退の姿勢であり、停滞というほかあるまい。
 一方、19世紀にあって「技術」のほうはどうだったかといえば、それは建築家ではなく、構造技術者であったエッフェルの名作「エッフェル塔」に顕著なように、あくまでも「技術」としての美、すなわち機械の美学をのみ追求し、これもまた「芸術」との統合に乖離をもたらした。機械の美は、「過去」でなくいわば「未来」を限りなく夢想し、「過去」向きの復興主義は前世紀末にことごとく批判された。「技術」は「芸術」に対してとりあえずの勝利をおさめ、そして「技術」のもたらした機械の美は、ル・コルビュジエらの美意識をつくりあげ、モダンデザインの考え方を決定づけた。私たちの均質な都市は、その「技術」の礎の上に成り立っている。
 しかし1960年代ともなると、このモダンデザイン自体が行き詰まりを見せ、その代わりに19世紀的な復興主義が、ポストモダニズムという新しい装いで再び登場してくる。ただこれもまた何かの新しさではなく、「技術」と分離した「芸術」の単なる焼直しに過ぎない。こうして20世紀の都市デザインは、モダンデザインとポストモダニズムという二つの大きな運動を持ったが、しかしそれらも結局は19世紀に分離した「技術」と「芸術」の、まったく発展の見られない、それぞれのありように過ぎなかったことになる。
 こうして私たちは、19世紀的な課題をはらみつつ、すなわち「芸術」と「技術」の統合をなし得ないままに、と言うことは未来が見えないままこの世紀末にいる。それが「行き止まり感」を助長しているわけだが、いま述べたことから考えるなら、情報化時代といわれる今日において、なお深刻な問題といえるこの分離した両者の溝を埋めることが、私たちのまずもっての課題と思えるのである。
(飯島 洋一)

 

internet@tamabi

 多摩美術大学は、ローカルなネットやグローバルなコミュニケーションネットワークの構築を開始しています。1998年にはメデイアセンター棟の着工がおこなわれ、新たな情報デザインの教育が開始されます。メディアセンターは、マルチメディア時代における新しいアートやデザインの役割を探究し、創造と表現のための環境をつくります。
 国際社会に開かれた多摩美術大学のインターフェイスである、ウエブサイトwww.tamabi.ac.jpは、表現・利用・創作のための、新しい媒体実験の場を提供します。美術大学の情報デザイン研究は、技術の応用を研究したり、技術のための技術研究を行うのではなくて、人と知識、人々と人々を結ぶ情報の環、表現者の創造意欲を挑発する情報の風景を作ります。www.tamabi.ac.jpは、情報を受ける側の主体性・自発性・人間性において成立し、しかも世界同時性をもち、創作者の外延に広がる表現のメディアとして用意されています。
コンピュータと通信がつくりだす仮想空間では、我々は我々の肉体的な限界を越えて、造形表現や情報創作や物事の関係づけを自由に創作できる、無限の可能性が広がります。しかしながら、そのような情報のクローン世界において、我々は、我々の肉体が感知できるもの、我々の社会固有の現実との関係を、絶えず慎重に確認しておく必要があります。我々は、バーチャルスペースにおいて、これまでの表現技術を統合し、新しい時代にふさわしい創造活動を切り開いてゆきます。
 多摩美術大学のウエブサイトを通じて、参加者や発言者と共に公開ブレーンストーミング・展示会・イベント・出版などを始めます。ウエブサイトは、学内の各学科間の共同プロジェクトや、各教員間の共同研究などの支援にとどまらず、広く他大学や他組織との共同研究を促進し、海外とのネットワークの拠点としても機能します。また、学内の教員作品や学生作品を情報蓄積するだけではなく、独自の企画による情報蓄積をおこない、多摩美術大学の創作活動を世界のネットワークへ発信します。
(アンドレアス シュナイダー)

 

interface design@tamabi

 情報の形を作る専門家が必要となる。ゲーム機やパソコン、あるいはPHSや電子メイル、そしてインターネットなどがもたらす情報が、街の中に、遊びの中に、そして仕事の中にあふれている。しかし、それら複雑な情報の働きは、利用するわれわれにとって、親しみやすく使いやすい道具となっていない。それには理由がある。先端的な技術が、高度な情報機能をシステムや機械に実現しているのに、それら情報の働きが人間と社会に適合するための「かたち」が付与されていないからだ。情報に「かたち」を与える専門家である情報デザイナーがいないからだ。われわれの社会は情報デザイナーを求めている。 情報デザイナーは何を学ぶのだろう。彼らは、「情報」という材料でできた機械やシステム、つまりパソコンやネットワークブラウザーや電子図書館の「かたち」を設計する。対象のハードウエアの「かたち」だけではなく、人工的な働きと利用者の間に生まれる対話、つまりソフトウエアの「かたち」作りが、情報デザイナーの仕事になる。彼らを「情報」という部材でできた住宅や駅や公会堂を設計する建築家と呼んでもいい。
 21世紀の電子世界の建築家はデザインをどのように学ぶのだろう。美術大学におけるデザインの学びは、知識の獲得ではない。それは行うこと、見ること、問うこと、聞くこと、それらすべてを人間生活、社会、環境を豊かにするように応用する目的をもって構成されている。複数の科目を統合した工房での制作活動を軸として、表現と対話による双方向的なデザインプロジェクトから学ぶ。デザインプロジェクトは社会活動と結びいた実践であり、その成果は展覧会やワールドワイドウエブ(WWW)で公開され、そこに新たな対話=学びが生まれる。
 21世紀の学びでは、「子供デザイン・ミュージアム」、「ネットワーク上の協調学習環境」、「地域情報システムのための健康の可視化」などをテーマにしたデザインプロジェクトが展開される。情報とメディアの表現学「かたち」をコアとして、情報工学「つくられ」、関連する人間科学と社会科学「つかわれ」、そして哲学「いかされ」の領域を結び合わせる新しいデザイン/設計プログラムがはじまる。
(須永 剛司)