デザイン用語史
1927 月刊ポスター研究雑誌『アフィッシュ』
1930「商業美術月報」
北原鐵雄 發行所アルス
1931「造形美育」創刊号
石野隆、濱田増治一氏義良
造形美育協会の誕生
言-綱領
スローガン-当面のサービス
日本的生活美術教育
私の図画教育(東京女学館・廣島千代子)
世界美術教育レビュー
尋五の児童に立体構成を指導して(児童の村小学校・石野隆)
モスコーに在る現代フランス美術 他 当誌発行に関わりながら創立披露前日に『学校美術』編集主任へと転じた霜田静志に対する糾弾文書
画像は左から「東京美術学校卒業制作展 水谷(武彦)氏指導」による「住宅群家族住宅一単位」と「金属チウブの家具」
中央は表紙
右は別添糾弾文書「ああなぜ語らねばならぬ!? -学校美術と造形美育とに就ての私の表明 石野隆」で、会合風景の写真、経過説明を含む

1932 映画技術と映画芸術
エリック・エリオット 岸松雄訳往来社
四六判150P
表現の機具としてのカメラ
「動き」の価値
コンティニュイティーの原理
立体映画について


ドイツ工作連盟に刺激されて,1926年に結成 宮下孝男,六角紫水
1935「帝国工芸 第10巻第1号」
帝国工芸会 富本憲吉 山川岩雄
巻頭特集
スピード要求の先鋭化と新しき美の形式
東京三越・新設計室内装飾展観評
富本憲吉氏新作陶磁展
新しいラヂオセツト
マネキン人形について(山川)
機械工芸美化と計器類
図版中央は
巻頭特集のトップページ 豪華客船、大型旅客機など
図版右は
新設計室内装飾展観評より


[PENROSE 1934]
1936 商業広告図案大集成
辻克己己編浩文社>
B5・320P 資生堂
明治等著名企業で実際に使われている広告デザインを集めた図案集
化粧品
薬品
食料品
三十行と小広告
百貨店・器械・其他
文具・書籍・映画
広告写真と欧米広告集
1936 カット輯 (花形見本)
細川活版所細川活版所
18×19.5cm・24P 表紙厚紙
東京・銀座の細川活版所による活版印刷用カットの既製品の見本帖
サイズ、モチーフ(人、動物、風景、飾り等)別に約400図を背景模様入りアート紙に1色刷で所収
センター見開のみフルカラーによる書籍商品の図版
1936

Esperanto

品詞語尾-oは名詞(substantivo)、-aは形容詞(adjektivo)、-eは副詞(adverbo)をそれぞれ表す。名詞あるいは形容詞の品詞語尾の後ろに-jを加えると複数形になる。対格にするには-nを名詞あるいは形容詞語尾の後ろにつけ、複数形の場合は複数形語尾の後ろにつける。動詞には6つの品詞語尾がある。

北一輝は、男女同一教育や、和魂洋才、第2外国語としてエスペラントを主張した。

「希望する者(Doktoro Esperanto)」というペンネームを使ったザメンホフがこの言語の創案者。
ザメンホフは当時の帝政ロシア領ポーランドのビアウィストク出身のユダヤ人の眼科医。
1887年7月14日にUnua Libro(最初の本)でこの言語を発表した。
英語を母国語している民族の優位性を否定し、相手の言葉を尊重して対話することで、相互の理解を計ろうとした。

1920年代、国際連盟の作業語にエスペラントを加えようという動きがあった。日本の新渡戸稲造をはじめ10人の各国代表者が賛同したが、フランスの代表者ガブリエル・アノトーの激しい反対にあい、実現しなかった。フランス語は英語に国際語の地位を脅かされつつあり、エスペラントを新たな脅威とみなしていたからである。
その後、アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンはエスペラントの反・排外的民族主義性に危険を感じ、エスペランティストたちを粛清した。ヒトラーは『我が闘争』の中で「エスペラントは離散したユダヤ人を結集させる国際語だ」とし、スターリンは「エスペラントはスパイの言語だ」と明言した。

ヤクルトという商品名は、エスペラントで「ヨーグルト」を意味する jahurto(ヤフルト)に由来している。

デザイン教育の歴史

][河村運平

商業美術展ポスター集成 十時惟臣編 商業美術連盟(1934)
日本のポスター史展 世界のポスター美術館実行委員会(1989)
日本広告表現技術史 中井幸一 玄光社(1991)
里見宗次展 奈良そごう美術館(1992)
杉浦非水展 東京国立近代美術館(2000)

[商業美術の今昔]