三木清 1897-1945 

京都学派西田幾多郎
1925 ドイツに留学
ハイデルベルク大学 リッケルト 新カント派哲学
マールブルク大学 マルティン・ハイデッガー 
不安の哲学  ニーチェやキェルケゴールの実存哲学への興味
1930 「昭和研究会」常任委員 近衛文麿の政策研究団体
憲法の範囲内の改革 既成政党反対 ファッショ反対
1932 文化研究会委員長「協同主義」多文化主義
「東亜協同体論 新体制運動」
東アジア地域において民族・国家を超克する協同体の建設を主張
排他的・閉鎖的なナショナリズムの超克 アジアの解 ナチズム・ファシズムとの相違 日本の指導的役割 協同体の建設と表裏一体に進められる日本国内の改革の必要性
「日本の世界史的使命は、リベラリズム、ファシズムを止揚し、コミュニズムに対抗する根本理念」を把握することであり、これを空間的に言えば「東亜の統一」であり、時間的に言えば「資本主義社会の是正」である。
1945 検事拘留処分 終戦から一ヶ月に獄死

学校や教師を信じなかった私は書物や雑誌を信じた。そして書籍の中でも偉大なる人々が心血を傾け尽くて書いたものを顧みることは、旧思想との妥協者として謗られる恐れがあったので、私は主として虚栄心のためあるいはパンのために書かれた一夜仕込の断片的な思想を受け容れた。なんでも新しいものは真理であると考えられるような時代が私にもあった。私はいわば犬の智恵をもって人間の智恵を疑ったのである。私は少しでも異なったことをいう人の名をなるべく多く記憶したり、ちょっとでも新しいことを書いた書物の題をなるべくたくさんに暗記したり、ただそれだけでいわゆる旧思想が完全に破壊され得ると考えていたらしい。