帝国美術学 校同盟休校 1935年(昭和10) ドイツ留学組が英仏留学組を解雇 移転問題をめぐって分裂

01/30
回想の文学

「1月30日帝国美術学校へ出講。何か不穏な空気があるらしく生徒おちつかず、学校騒動までは行かないらしいが、専門学校昇格は不可能らしい。」中島健蔵 東大仏文の研究室野助手

03/24
回想の文学
「対立や内紛はいたるところにあった。帝国美術学校でも、校長北に対する反乱がおこってい、わたしも、危うくまきこまれそうになった。美術史の金原、彫塑の清水、日本がの小林など、親しかった人々は、大てい反旗組であった」
04/24
回想の文学
「午後、清水多嘉示来訪。帝国美術学校のごたごたについて聞く。ぼくはこの四月で縁が切れたと思っていたが、講師の籍だけはまだあるらしい。校長の言動はばかばかしい話で呆れる。もし必要とあらばいつでも応援するといっておく。」中島健蔵
04/24読売 22日13:00、帝国美術学校 校長北ク吉 400m北東の日本女子大学山林で洋画科3年生40名が学生集会。
田無署の4巡査が無届集会の解散を命じ、検束者をだす。同夜、司会者の村本良三{26}、郡山三郎{28)を検挙取調べ続行
04/24朝日 22日14:00頃、帝国美術学校洋画科3学年中の反学長派の学生40名が山林に集合してアジ後援会を開催。
田無署から係官出張、即時解散を命じる。21:00司会者2名を自宅から召喚検束し無届野外集会の咎で厳重取調べ中
04/24毎日 22日14:00頃、帝国美術学校洋画科3学年0名が女子大裏の山林に中号し、学校当局に対する不穏計画協議中を田無署で探知し私服警官数名が現場に急行解散を命じ首謀者郡山三郎君と村本良三君を検束留置した。
帝国音楽学校廃校問題。過般不穏ビラ撒布事件。中島教授突然解雇帝展系佐藤教授採用。校内自治制確立要求。
04/25読売 北校長が2年生以上の生徒を講堂に集め、創立よりの経営、専門学校昇格遅延の事情を1時間半説明。
北校長が各科から2名の代表を選出し別室で生徒の意見を質す。
04/28朝日 事の起こりは、新学期に当り学生の不満。三名の教授を解雇したこと、教務係太田耕二にたいする不満。
1)英語 大宮健太郎(トーマス・ハーディ短篇 コールリッジ 老水夫行 1935 単語と熟語 尚文堂 昭9 西洋文字と図案 開隆堂書店1934)
2)仏語 中島健蔵(東大仏文研究室助手 宮澤賢治)
2)洋画 丹慶俊二
40名を退学処分にする方針。
04/30読売

生徒代表20名が井上忻治教師と28日10:00、2時間会見。
生徒代表20名が教務係太田耕三と新学監佐藤勝康の交替を要求。
生徒代表20名が退職した英語教員大宮健太郎、仏語教員中島伝蔵、洋画科助手丹慶俊二の復職を要求。

05/18読売

17日盟休本部を吉祥寺北十条小路に移す。代表二階堂顕蔵(天王寺師範教師 浪曼文芸)
10:00二階堂ほか20余名が北校長を訪問、決議文。校友会決議文。
18日18:30 父兄会が新宿京王パラダイスで開会予定。
田無署は官私服数十名を派するが、学生側の合法的行動のため静観。

05/16読売 職員側が職員会議を16日10:00から開き首謀学生の退学処分を計画したのを知り、学生が15日、各学年統制委員会を開く。
佐藤学監が田無署に通知、高等係が出張、調査、警戒中。
05/17読売 学生が学生代表事務所を設け同盟休校準備にはいる。武蔵野町吉祥寺500番
学生が内部委員二階堂顕蔵他22名、外部委員粕谷正太郎他20名を決定し、内外連絡、各方面との交渉に備える。
学生が停学退学処分を受けた生徒父兄に16日葉書を発送、声明書を関係放免に発送。
声明文「」
盟休参加者は16日夜までに350名に達した。
田無署高等係は、本田北駐在所を警戒本部として鈴木部長他10名をもって警戒中。
学校は、16日から2週間、紛争に関係しない1学年各科の学科授業を中止し、実習授業のみとする。
学校は、除名者13名停学処分103名を出したため、学友会をの解散を16日午後に告示した。
05/16朝日  
05/18読売 16日夜、評議委員会が教務主任学生監名取、庶務主任金原を解職。
両氏は17日校友会を開く。校友会が13:00学内で協議15:00卒業生教職員合同懇親会。
保護者会は18:00新宿三丁目京王パラダイスで協議。盟休拒絶書を北校長に提出。
第1期2期卒業生40名が杉並区井荻町3-1榎本大二郎方の空家に卒業生代表事務所を設置。
05/18毎日  
05/19読売 二階堂顕蔵外5名代表が校長代理村田光蔵に停学除名通知書の配達証明を突き返す。
18日18:00四谷区新宿三丁目京王パラダイス3階父兄会に学生代表卒業生代表が出席して、声明書を発送。
統制部大貫漁二、野沢武美、岡本治男、大久保実雄、情報交渉係平田俊三、外12名、所内係小松正利外5名、記録文書係藤田義本外2名、会計係笹森圭。
(野沢武美 1937校友会2代目会長 佐久油絵協会)
(岡本治男「七十五歳の青年」『伊勢新聞』1972年4月8日)
(大久保実雄1911〜1977 洋画家。 佐賀県伊万里市に生。1934年帝国美術学校卒。1938年第8回独立美術展、初入選。1950より二紀会展に出品。武蔵野美術大学評議員)
小松正利 天狗久三代目を襲名した吉岡治氏から直接技術を修得 3代目天狗久門人)
05/19朝日  
05/21朝日  
05/21毎日  
05/22読売  
05/22朝日  
05/23読売  
05/24読売  
05/24朝日  
05/25読売  
05/25朝日  
05/26朝日  
05/28朝日  
05/29読売  
05/29朝日  
05/30読売  
11/23
回想の文学
「午前中、帝国美術学校の記念式。前校長の北との係争問題で、古い校舎がまだ裁判に引っかかって使えないので、お茶の水の女子高等師範学校の古いバラックの払い下げで仮建築をした祝いである。
   

鉄道