トップ多摩美の陶教育、こう考えて実践(目次)> 1. 陶プログラムの30年[1-4]
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1. 陶プログラムの30年
 1-4. 批判体勢をつくらなければ
■ 中 村

 僕は、やきものの教師を始めて約30年になりましたけれども、1970年当時、多摩美でやきものをスタートさせた当時の日本は、一方で日展のヒエラルキーをのぼっていくと芸術院会員になれる、一方で伝統体質の日本伝統工芸展で、それをのぼっていくと人間国宝になれる、ということで、日本の陶芸、あるいは工芸の世界が牛耳られていました。そのヒエラルキーは僕にとって、敗戦で獲得したデモクラシーから見て美術界の異常体勢というふうに見えましたし、不毛だと批判する目がありました。

 在野という言葉は、いまはもう死語に近くなって、ある意味で30年かけて、日本国の美術ではそれが当たり前になったということもいえるわけですけれども、ともかく僕は、主流に対する批判体性をなくして、つくるものに活力は生まれないというふうに、強く思ってきました。そういう考え方を、かつて多摩美の油画科が理解してくれたわけです。当時、多摩美には、温度調節も酸化と還元の調節も不確かな、じつにやりにくいガス窯が1つあって、僕の上に1人、伝統の塊みたいな先生がいらして、こっちは30歳代半ばで在野的批判でいくぞっていうのを、いまよりどぎつく出していましたから、なかなか難しかったですけど……。僕は、在野とか批判体勢をつくらなきゃ日本のやきものはよくならない、日展と伝統工芸に牛耳られては先が知れていると猛々しく思っていましたから、それを説いて多摩美が納得してスタートしたという経緯があります。

 「教育に関わりながら心してきたこと」というのは僕自身の問題で、それは、教育において、それぞれの学生が自己開発をやるための、教師は手助けでいいと考えています。「学生がどう自力をつけるか」あるいは学生が「自分のものをどう見つけるか」「学生各人のさまざまの力をどう引き出すか」。このあたりのことを、何とかやりたいもんだというふうに思ってきました。僕なりの教育の必須は何かを考えています。
まず、教育は面白くなければならない。面白いと感じさせれば先生として大成功ですね。つぎに、できるだけ教え込まない。というのは、教えられた程度のものはまもなく忘れられる、教えた人を頼りだす、そのぶん自発力がなくなる。亜流になって自らのものを出せないし、活力のないものをつくる、こちらの癖までつく――というようなことで、できるだけ教え込まないほうがいい。

 でも、何もさせないというのではなくて、自ら発見させる。驚きとか感動を伴ったものは一生自分のものになる。それから、自信を持たせる。自信なくして世間とか旧価値観と、一生をかけて戦えない。それに、アーティストである自由は戦い取るものだと思っていますから、それは肝に銘じてやるよう自覚を求めています。つぎに、自力に目覚めさせる。これは、僕はわりあい簡単に考えていまして、美大に入学するぐらいの力があれば鍛える素地を持っている。そのうえ人間は本来的につくり出す力というものを持っている。それをどう、その本来的に持っているものに目覚めさすか。それが、教師がカリキュラムを毎週運用していくうえでの何よりも大切なことです。

 ただし、つくれるだけでは弱いと思っていまして、説くとか書くとか、論理も必要。昔は、黙って勝負するとか、つくり手は言葉が多くないほうがいいなんていいましたけれども、それはとんでもない間違いで、いまの時代の文明は、どちらかというと技よりもコンセプトを重視してほしい、売り込みにしても、説得力が求められる。世の中に出て画商にいいとこ取って行かれるようではお金もつくれないし、いい仕事もなかなかできない。それにはやっぱり、つくると同時に説得力が、両輪のように必要だと考えています。この間も大学院で、教師もまぜてディベートをやってみた。えらい好評で、1年生からも、私たちディベートをやってみたいという声が出ました。シメシメと思っています。これを拡大させたい。(注1)ちなみにテーマは「現代の陶造形に旧来のやきものらしさは必要か」と「日本のアートに日本らしさは今生きているか」でした。

【多摩美の陶作品・4】
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