トップ多摩美の陶教育、こう考えて実践(目次)> 1. 陶プログラムの30年[1-6]
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1. 陶プログラムの30年
 1-6. アートは文明や産業構造の変数
■ 中 村

 では最後に、3月に北京の中央美術学院と清華大学でも話したことをひとつ。

 長い歴史を持つやきものを考える際に、図(注2)に示すようなことがいえるのではと考えるようになりました。さっきもいいましたように、産業構造の変遷――手工業文明が高度工業化文明になって、いま情報化文明に入りつつありますよね。我々アートとか手仕事とか工芸とかやきものにも、それに伴う変遷があってしかるべきなんではないか。アートや工芸は、文明や産業構造の変数――変数っていうのは広辞苑によれば、「ひとつの問題を考察している間、種々の値を取りうると見なす時、これを変数という」ということですね――アートや工芸は、文明や産業構造の変化に伴って形を変えていく変数とも考えられるんじゃないか。

 それから、価値観について。これは、手工業的価値観とか工業化時代的価値観とか、あるいは高度工業化時代的価値観、情報化時代的価値観でもって我々がやっている工芸、陶芸、やきものというものを分別するとこういう見方ができるんじゃないか、ということなんです。上へ行けば行くほど実用的な視点が強まって、下へ行けば下へ行くほどアート的視点がでっかい。
 手工業の時代、陶磁器は、機械はありませんでしたから、手で生活の器をつくるという、ある意味で手仕事社会、手工業の時代の主流を背負っていたといえますね。そのよさを伝統として捉えて、例えば人間国宝を位置づけるとすれば、手工業的価値観と工業的価値観のちょうど時代の変遷の間あたりに登場してきた、ややアート的視点のところに存在させることができる。それから美術工芸。日展なんかが美術工芸品とか美術工芸という呼び方をしますけど、これは、工業化的価値観からいうとややアートに近い位置にいて生活道具とはやや距離を置く。
 それから、クラフトというのは、高度工業化と工業化時代の間あたり、手工業の時代はもうとっくに過ぎて、手工業ではない、機械も使う、量産も考える、デザイン性も考えるというものでしたね。それから、その実用的視点の対極のアート的視点で、京都から出発したオブジェ焼きというのが出てきましたね。

 多摩美でやっている「陶造形」というもの――オブジェ焼きとはいいづらくて、陶造形なんていっていますけど、そのなかで、井上君も尹君も、僕もどちらかというと、インスタレーション形式のものを取り入れようとしていますけど、これは考えようによっては、情報化時代に対応するものを出さねばという気持ちに駆られてつくった発表形式というふうに思えないこともないですね。
 というのも、昔は美術品というのは床の間に置いてある置物。それがモダニズムが入ってきて美術館のケースのなかに入った。ところがケースのなかがせま苦しくて、もっと主張したいというので、ケースを出て、台の上に置くなり、さらには床に置くというような感じでオブジェ焼きや現代陶芸も経て、それで、高度工業化時代の末あたりに出てきた申し子的な我々の多摩美の陶芸が、もうひとつ、部屋の中をいろいろ動いて方向を変えて見る、あるいはもっと身近に見ることができる、単体で置く以外の情報を仕掛けることができる手段として始めた新たな動き――これが我々のインスタレーション形式の陶造形といえるかもしれません。

 現代陶芸ということでは、「へたうま器」なんていうものもあります。僕の家はやきもの屋でしたから知っていますけど、昔の職人さんの腕前ってのはすごかった。そういう人は大学なんか行かない。小学校を終ってすぐに丁稚に入る。そこで器をつくる。その腕前は機械を陵駕するくらいの腕で、どういうのかな、中学を入るぐらいの時から叩き込めばあそこまで行かれるでしょうね。それは、手工業の時代には機械に変わるものとして存在していた。
 工業化時代になると、それを機械にやらす。そうなったときに、人間業とは思えない技を求めたってもう無理というもので、我々は牛か機械かの部分ではもう鈍くなってしまっている。そこで考えられるのは、へただけどアートとしては見どころがあるという視点。これが手仕事の世界に入ってきていますね。高度工業化時代、クラフトよりはややアートに近い「へたうまの器」とか、それを扱うクラフトショップとかっていうのが登場してくる必然性は、そこらへんにあるのかなぁと。
 このことあたりから考えて、このつぎにどうなるかという考え方を一つの突っ込みにできればいいなといま思っています。

【多摩美の陶作品・6】
  ■ 井 上 ありがとうございました。

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