トップ多摩美の陶教育、こう考えて実践(目次)> 2. 学生は教師より何倍も時代を感じている[2-2]
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2. 時代というキーワード
 2-2. 学生は教師より何倍も時代を感じている
■ 井 上

 僕も初めて1975年当時のカリキュラムを見せてもらったんですけれども、僕が学生のときと変わっていない――それは悪い意味ではなくて、優れたカリキュラムということだと思うんです。
 いまも、中村先生が当時からやられていた、1週間なり数週間なりの期間で、まずはこういうふうにします、こういうことをやってみましょう、それについて自分で考えてつくりましょう、というふうに学生に課題を渡す方法をずっと続けているんです。途中で何回か、講評のような形で僕らがコメントして、もちろん学生の話も聞いて、その繰り返しがずっと続いている。だから、これが僕たちのやり方の一番大きな特徴なのかもしれないですね。
 ただ、僕が学生のときには、いま中村先生がおっしゃったことまでは理解できなかったです。

【多摩美の陶作品・8】


  ■ 中 村

 いまでも99%理解されてない。それでよいよ。教師の魂胆を理解しなくたって、つくるものがいまの時代を突いていれば、それで万々歳。

 工芸学科になってから、茶碗屋の娘やら倅やらが入ってくるようになって、これは問題だぞと自覚していますけど。そのほかの人は、やきものを知らないで入ってくる。でもその若者たちは間違いなく、いまの時代を生き抜いていく感性ってのを身に着けている。例外的に茶碗屋の息子や娘たちが、これは売れるとかいう気持ちを持っていて、時代の感性を掘りおこすより、伝統的を無批判に受け入れてものをつくるというようなことになりやすいけれど。

 若者はもう、僕なんかより数等倍、いまの時代を呼吸していまの時代を感じている。そういう人になら、土の可能性を提示し自分たちが発見することにいざなえば、いろんなタイプの時代との葛藤をその人が自らやりだす。極端ないい方をすればカリキュラムがどう変わっても大差ないんじゃないかな。若者の時代の感性を身につけたものに、土の面白さを1つ、2つと増やしていけば、その人はその人なりのものを出してくるであろう、と。事実出してきていますよ、卒業制作を見れば如実に見てとれます。僕はそれを確かめながら教師をつづけてきました。

  ■ 井 上

学生がそういう時代を読み解く力があると信じている・・・。

  ■ 中 村

読み解くというのではなく、体中で感じる。いわば申し子なんだわ。

  ■ 井 上

そのときの教師というのは・・・?

  ■ 中 村

 教師のほうが時代からずれだす怖れをもっているんじゃない? 時代の申し子さん――だけど土を扱ったことがない、土の可能性を知らない人に、ロクロでこういう湯呑みを10個挽けとやれば、やきものの世界はこういうものかという固定観念が、そこでつくり出されると思うんですけれども、それを避けながら、例えば土のテクスチャーを20通り探していけば、え、粘土にこんな可能性があったのか、みたいな。
 そのレベルを徐々にあげていけば、こちらの癖も乗り移らさなくて、相手が自分で発見したと思いをもちながら、個々に違いが出てくるという、そういう方式なんですけれども。

  ■ 尹

 いつごろのことだったか、中村先生や井上さんにくっついて、講評会に始めて参加した時に、学生の作品を前にしてもうまく言葉が出なかった訳です。何をどういってよいのか分からない。それは、作品を見るこちらの視点が決まってなかったからですけれども、そのとき中村先生が、学生の作品を評する時に、「君の持ち味は・・・」といういい方をしているのを聞いて、それが非常に新鮮に思えました。と同時に、何か老練な感じも受けましたが・・・とにかく、そうなると、学生ごとに評価の基準が違ってくるわけで、私には難しく思えました。

  ■ 中 村

なるほど。

  ■ 尹

 ただ、いまのお話でうなずけるのは、持ち味というのは、時代と照らし合わせることで見えやすくなるということです。作品からはそれをつくった人の持ち味のようなものが、例えばラジオの電波の波長のように出ていて、評価をする側はダイヤルをまわしながらその周波数にチューニングしていくというような印象を持ちました。

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