トップ工芸を取り巻く状況と、多摩美陶プログラムでのカリキュラムの構成(目次)> 1. 陶プログラムの現在[1-2]
<< 前ページ
1. 陶プログラムの現在
 1-2. 手で考える
■ 井 上

 例えば乱暴な言い方ですけれど、器などは、かなりわかりやすい世界として想像できますね。使えるし、誰が見ても器は器だとまずは理解してもらえるし、社会との繋がりも持ちやすい。それに対して、多摩美でやっていることは、なかなか自分でも掴み切れないし、他の人にもわかりにくい。世の中から見たら、少し不透明で見えにくい感じ。器物に限らず何がしかつくり方というのは、教えることが容易いし、習得する目標も見つけやすい。反対に、型を求めない、定型を求めないで、何かをつくっていく場合、各々で拠り所にする軸を探すしかないんです。世の中の誰かが、あなたはここにいますとはいってくれないので、なかなか難しいと思うんです。多摩美のカリキュラムのなかで、これをこうしなさいといわないのは、そういうことなんだと思います。考え方はこうしなさい、つくり方はこうしなさい、といわないというのは、定型がない、いや求めないんですね。だから学生は皆、迷うんでしょう。

 ではその軸をどこに見るかを探るために先ほどの図を立体的にして考えたのが次の図2です。ここでは先ほどの縦軸、横軸の平面に上下の空間を考えて見ました。上の空間を考えや心または「概念」や「歴史」など頭で考える領域を、下のスペースに「からだ」「現実」や「もの」など実際につくる領域を想定してみました。先ほどの多摩美の陶を想定した円から上下に矢印を想像してみてください、またその先端から逆方向の動きもあります。
 例えば、誰かがある考えで何かをつくりましたっていう、考える側の動きがあったとしますね。ただし何かをつくるときには、手とか体を使わないと絶対に成り立たないから、反対の動きが生まれる、それが分離するのではなく、繋がって動いてほしい。表現とか自律ということを考えると、頭の働きが強く意識されて、考えがはっきりしないと、ものとして成り立ちませんよといわれるようになって、頭からの下向きの矢印、動きだけが突出してしまったり。あるいは、技能訓練偏重の場合、手ともので何かやることが大切ですということで、その意味を問う上向の矢印、動きが生じない。
 僕の多摩美の陶でやろうとしているのは、理想的にいうと両方の動きが同時に一緒になった、つくりながら考えたり、考えながらつくったり、ということができる力を学生が身につけて欲しいということだと思います。この運動が軸になると考えています。自分なりの軸が確立できると、それを基礎、基準、拠り所にあらゆる世界に踏み出していける可能性を身につけてもらうことができるのではないかと信じています。

 いまが情報化社会だというのは、異論がないと思うんですよ。そうするとどうしても、この図の上半分、右半分が優先してきますね。かたちがなくてもよい、ものがなくてもよい、考えがはっきりしていればよいとか。でも、最初に僕がやきものを始めて面白いと思ったのは、手で考えるということだったんですね。油絵を描いているときは、頭でっかちになりがちで、もちろん絵の具を使ったりキャンバスを使ったりしますから、ものを扱ってはいるんですけど、どちらかというと、考えや発想、コンセプトが重視されて、技術や技能、ものとの関わりといったことをおろそかにしがちだったんです。やきものを始めたときに思ったのは、ああ違う、両方、両輪だと。手に脳みそはないんですけど、手で考える、手を動かしながらものごとを考えていくということが、やきものの場合、すごくやりやすい領域だと思ったんです。

 例えば、ロクロを考えてみましょう。定型のある器物をつくろうとする場合、そのためのロクロの技能訓練は、やりやすいでしょうね。多摩美にもロクロを使って制作しましょうというカリキュラムがありますが、まずロクロとはどんなものだろうということを考えてみようとさせます。そうするとロクロというのは、どういう経緯があって世の中に存在し、いまも使い続けられているのか。ある程度、ロクロが持っている文脈をわかっている人は、ロクロは器をつくるための道具として発達してきたと考えるでしょうし、ここではそれを度外視して道具とはいかなるものか考えさせようと目論んでロクロの課題を設定しています。
 極端な例ですけど、ある学生は、ロクロを回転するものとして理解して、陶芸用のロクロもミキサーも一緒になっちゃたりするんですね。じゃあこちらとしては、実際にロクロを手で回してみましょうとなったときに、その学生が頭では考えられない、言葉にはなり難い手で感じ、体で感じる大切な部分をいかにあらわにし、少しずつでも確かなものにさせてやりたいと。
 もうひとつ、釉薬にしてもふつうは「掛ける」といいますよね。釉薬というのは、液状にして器物を浸したり、柄杓で流して掛けたりするから、そういういい方をしているんだと思います。でも、多摩美でやっているのは、そういうことだけではなく、「掛ける」だけではなく「塗る」とか「置く」とか、いろいろな使い方をしてみようと。釉薬を通して考える道筋が広がっていくようなこともあり得ると考えています。

 一つのものを扱って、いろいろなことを、考える術(すべ)も自分自身で身につけていってほしいと思っています。ものとか素材を通して、自分のなかで物事をつなげられて考えていく力がつけば、自分の中に軸ができる。そうすると、その軸を基準にすべてのいろいろなことが見えてくる。それを、やきものをつくることを通してやってみたいというのが多摩美の陶での僕の考えです。最後に、これから先、僕が考えないといけないのは、素材やもの、考えを総合させてやっていく、ものとの関わり方、こととの関わり方を模索してやっていくなかで、突き抜けていった先の、世界とのつなぎ方ですね。これをいかにカリキュラムに反映させるかです。

 ではつぎに尹さんに、いまのカリキュラムの内容と、実際に学生のつくったものを踏まえながら、具体的に話をしてもらおうと思います。

 トップ工芸を取り巻く状況と、多摩美陶プログラムでのカリキュラムの構成(目次)> 1. 陶プログラムの現在[1-2]