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2. 陶プログラムを取り巻く現状
 2-2. 美術、工芸、工作
■ 提 髪

 提髪といいます。私は実作者ではく、作品をいろいろと見て歩く側の者です。今回のテーマは「工芸を取り巻く状況と多摩美陶プログラムでのカリキュラム構成」ということですけれど、実際は後者の内容に終始しましたよね。しかし工芸といった場合、漆芸も金工もすべて入るわけですから、これらを取り巻く状況というのを、パネラーの方々はどう認識なさっているのか、一言ずつお願いします。

【多摩美の陶作品・15】
  ■ 井 上

 自分の話で申し訳ないけど、多摩美のなかで、油画科に陶芸専攻があったという時期が、30年の歴史のうち23年くらいありますね。 僕は、そのうちの最初の10年目くらいの学生なんですけど、そのころ「工芸」という言葉は、僕にとっては全否定に近かったですね。

 というのは、油絵を描いていて、君の絵は工芸的ですねといわれたら、それは内容がなくて表面だけのものという意味です。だから、その時点では、工芸は手仕事の飾りもの程度という認識しかなくて。いざ自分がやってみたら、さっきも話したように、手で何かを考えることができる面白いジャンルだということを気づきましたけれども、でも最初の認識からはなかなか逃れられなくて、背中に急に、工芸の歴史全部を自分で背負ってしまったような錯覚を覚えた記憶がありますね。

 工芸については、いろんな人が、いろんなところで、工芸とはこうだといっていて、例えば用と美を兼ね備えたものという捉え方をされてきたり、最近さかんになっている工芸論では、そうじゃなくてそんなことはつくられた認識だ、とか。

 僕は今、人が何か素材を使って、ものをつくって何ものかにしていくということ全部を、工芸というふうにいってもいいのかなって思っています。彫刻でも、工芸の一部に含まれる部分があるぐらい、ボワーッと広がったものとして捉えています。

  ■ 尹

 このタイトルは、正しくは「教室から見た」工芸を取り巻く状況、といったほうがいいかもしれません。ですから、工芸に関して、断定的な意見を出すほど明確な考えはないのですが、1996年、イギリスに1年間いて、むこうの美術を見たとき――ダミアン・ハーストが、牛や羊を半分に切って見せてたあの時期なんですけど――当時はビデオ的な作品がすごく多くて、展覧会を見に行くと、カーテンのある暗い部屋に入ってビデオを5分くらいながめるというものが多かった。映し出されている映像は、例えば日常の風景が映しだされていてるだけの、どこにポイントがあるのかわかりづらいものが多かったです。

 そのころ、これを美術というなら、僕のやりたいのは美術じゃないかもしれないと、素直に思いました。美術の看板を降ろしてもいい、と。じゃあ、どんな看板挙げようか、自分でリアリティのある看板は何かなと思ったとき、「工作」という言葉が出てきました。図画工作の「工作」。

 そう考えると、小学校のときのウキウキしながらつくったあの実感は、自分には欧米の作家がギリシャ文明に感じている(であろう)リアリティに負けないくらい確かなもので、そしてその延長線上で工芸や美術を考えてみるとしっくりくる。その延長への接点になるのは、手でものをつくるという、あのウキウキとした感じ。そのウキウキ感を増幅させていきていくために私には美術や工芸があります。

 いま工芸とか陶芸とか、そういう言葉をもう一度整理していかないと、陶でつくるから皆、陶芸だというのは無理がきているような気がします。どれが上下というよりは、正しい陶芸や正しくない陶芸や、いろんなものがあって、みんなそれぞれが特殊だということ、例えばいまの格闘界のようにいろんな団体が存在しているように、ああいった状況を、見るほうもつくるほうも、もっと意識していいのではないかというのが、いまのやきものや、工芸をめぐる僕の感覚です。

  ■ 提 髪

 非常に面白いと思います。井上さんのいった工芸と、尹さんの考えている概念としての工芸もズレているし。そういえば多摩美で工芸科をつくるとき、最初は「工作科」にする、とかいう話もあったような・・・。

  ■ 中 村

その工作は失敗したんです。(笑)

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