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2. 陶プログラムを取り巻く現状
 2-5. 環境整備の限界を教育がどう補うか
■ 右 澤

 ここで視点をかえ、今回のシンポジウムを考える上で重要なファクターといえる、大学における制作と環境に目を向けてみたいと思います。

 現代陶芸を志す人は表現の、アートとしての自律を強く意識する。一つの解決策としてスケールの巨大化へ向かう傾向が80年代初頭より見られるが、窯のサイズの限界から、スタッキングやジョイントの多用に向かい、その結果物理的なつなぎ目がアートとしての自律の夢を阻むように感じ、少数だが陶素材を使わない学生も出てくる。
 それも「陶」を知ることと教員サイドが容認している点は高く評価されるべきと思う。ヴォーコスの大型作品のように造型後その上から窯を築く方法も魅力的で大きな可能性を持つものの、教育施設という観点からは管理・スペースの面で難しい。

 他分野に目を向けると、大学における版画教育も同質・同根の課題を抱えているように思えてならない。直接的表現とは異なる点や、プレス機のサイズが表現を規定すること、絵画との対比など共通項も多い。山口啓介的大型版画も現代陶芸作品も教育環境が生み出した方法論と言えなくもない。

 あくまでも例えとしての話だが、ヴォーコス的アプローチの例を版画に置き換えると、近年版画領域では、各大学で大型プレス機の導入など設備の拡充は進んでいるが、若い人たちがアメリカの大型版画のような明日を思考しはじめれば途端に同質の問題が表出する。紙用の大きなプール他、今以上の設備も空間も必要となる。分野を問わずハード、ソフト両面での大学、教員双方の努力には頭が下がる思いである。

 だが、環境整備の限界を教育がどう補うか、本質的にはこの辺が教育現場の実情を考える糸口であり、次なる課題といえるのでは。分野ごとに背景は異なり本質的には比較はできないものの、他領域の検証もふまえ俯瞰的に現代陶芸・陶芸教育を見た場合、皆さんの永年の努力の成果が、すでに理想の出口を引き寄せているように思えるのだが・・・。そういうことを考えながらお聞きしていました。

  ■ 冨 田

 次回につながる問題提起をしていただきましたね。他にいかがでしょうか。

  ■ 笹 山

 非常勤で2年、3年生に講義をしている笹山です。尹さんのお話の最後に、「自信をもとう」というキャッチフレーズありました。たしかに昔の多摩美を卒業された人は皆、自信に満ち満ちていたように受け取れましたけど、最近は――ここ10年くらいのあいだに卒業された方とのつき合いがあまりないのですが、昔のような、自信をもとうとする力強さが、あまり感じられなくなってきているような気がします。
 作品もとても面白いし、レベルも高いと思うんですけど、何というか、卒業して社会に出てから、しっかりと自分のもっているものを育てていく、そのへんの力強さですね。ですから、クリエイターやものづくりは、もっと自信をもちましょうという尹さんのフレーズが、すごく印象に残っています。

  ■ 冨 田

 では、そろそろこのあたりで。きょうは会場から、問題提起や興味深い体験談などをうかがうことができて、予想以上に盛りあがったのではないかと思います。長い時間、どうもありがとうございました。

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