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1. 現代の工芸論のなかで
 1-1. 常識への挑戦
■ 井 上

 お暑いなか、多数のご参加あらためてお礼申し上げます。
 前回、この「新しい工芸教育をめぐる」というタイトルの、「新しい工芸」とは何だというご指摘がありましたが、このシンポジウムは、僕と、こちらの尹熙倉さんとの研究室での話、「多摩美の陶芸教育とは、どういうものだったのかを明らかにしてみませんか」という話が発端でした。

 初回には、中村錦平先生に30年の多摩美での経験を、「多摩美の陶教育、こう考えて実践」というタイトルで話していただきました。2回目は、僕と尹さんがそれぞれの考えを発表し、それについて会場からもお話をうかがうというかたちで進め、今回に至っています。

 きょうは冨田康子さんからの、われわれに対する質問を交えながら、大きな流れとしては、今後の多摩美の陶プログラムの活性化の道を探りたいと考えています。

  ■ 冨 田

 こんにちは。じつは当初、私に与えられたのは「総括、これからの工芸とその教育について」という、まことにマッチョなテーマでありまして、ただ、それではいかにも荷が重いものですから、きょうはそれを後退させて、過去2回の議論を私なりに簡単にまとめつつ、補足めいた話ですとか、または質問などをつけ加えさせていただいて、後半のディスカッションにつなげたいと思っています。

 これまで2回のシンポジウムをお聞きになられた方は、多摩美の陶プログラムに対するイメージをすでにおもちだと思いますが、私なりの理解を申しあげますと、多摩美の陶プログラムの基本的なテーマというものは、おそらく3つにまとめることができるだろうと思います。

 1つが、現状への批判意識、批評意識。もう1つが、時代に対する読み。そして3つ目が、中村先生のレジメの表現にしたがえば、「時代のなかでどう存在させられるのか、どう存在させれば意味を生じさせられるのか」ということへの自覚。最後の項目について、これは「何を」存在させられるという意味ですかと中村先生にうかがいましたら、「自分を」あるいは「生き方を」、「価値観を」、「作品を」という、非常に広範な意味が込められているとのこと。

 そして、この3項目のうち、「時代をどう読むか」という問題が、とりわけ重要であるようです。中村先生が多摩美の油画科で陶プログラムをお始めになった時期が、手工業の時代から高度工業化の時代へと移り変わって、それがますますエスカレートしていく時代であったということ。
 さらに、こんにちに至って、その高度工業化の時代がこんどはポスト工業化、ないしは情報化の時代へと変わってきているということ。こうした産業構造や社会構造の変遷に対して、つくり手としてどう対応してゆくかということが、カリキュラムのなかでもとくに重視されているわけですね。

 加えてもう一つ、明確にうたわれているわけではないんですが、お話を深読みしていくと、隠れテーマとして、これも重要だなという気がしましたのは、世間とのギャップに対する自覚、あるいは、常識への挑戦ともいうべきスタンスですね。世間の常識に対して挑戦していく、挑発していく、そういうスタンスこそ、ある意味で、多摩美の陶プログラムに一貫して流れる最重要テーマではなかったかと察せられるわけです。

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