「野を開く鍵」 中沢新一

 ポストモダン化した現代では人間はどんどん動物化していくという意見もあるが、じっさいには動物といっても、それは「飼い慣らされた動物」で、つまりは家畜の生き方に、人間はどんどん近づいているのである。

 教育や家庭の環境やメディアをとおして、ぼくたちの感覚や思考は一定の水準に 合うように、知らず知らずのうちに飼い慣らされてしまっている。

 そうして自分の感覚や思考が「野生の状態」を生きていたことを、忘れてしまっている。

 しかしそれはたんに忘れられているだけで、その野生は生命と直結した無意識の奥で、しっかり生き残っているのである。

 無意識の奥に潜在している感覚と思考の野生を目覚めさせ、立ち上がらせ、それに表現をあたえることのできる知性のかたちを、ぼくは「芸術」と呼ぼうと思う。

 いや、そういう知性のかたちのことだけが、芸術という名にあたいするし、そういう意味での芸術はファインアートの領域を超えて、人間の生き方の全領域みいだしていくことができるだろう。

 そう考えると、芸術の存在価値は大きい。

 いまもぼくたちの無意識の奥に潜んでいる野生の感覚と思考を呼び覚まし、活用することができないかぎり、いきづ まってしまっている今日の人間の世界に、未来の風が吹き込んでくる窓を開くことなどはできない。

 人間の感覚と思考にとっての「野を開く鍵」は、かならず 存在するが、それは学ばなければ開かれてはこない。

 だから大学で芸術を学ぶことには、いまだって意味がある。いや、いまのような時代だからこそ、それには大きな意味があるのだ。