お問い合わせ美術館概要スペシャルコンテンツ関連イベント展覧会紹介開催概要トップページ 四国霊場開創1200年記念  祈りの道へ −四国遍路と土佐のほとけ− 2014年11月22日(土)〜2015年1月18日(日)多摩美術大学美術館


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監修者より<日々遍路>

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2014年10月20日(月)

記者発表@ きょう

記者会見の写真  今日の午後、「祈りの道へ−四国遍路と土佐のほとけ−」展に関する記者発表を多摩美術大学美術館で行いました。 この展覧会の準備期間は、もしかすると半年だったかもしれないし、十年だったかもしれない、などと思いながら、いつか四国地方の歴史や信仰を考える展覧会を首都圏でしたいと思っていました。お遍路さんのいる風景は四国では日常ですが、都内で見ることはまず有りません。1400キロ、45日間の歩くばかりの毎日・・・・。やはり四国遍路は将来に向けて残したい日本の民俗です。

 記者発表では、これまで発表できなかった新発見や新たに出品される作品についてお話しさせていただきました。まず第一報は、高知市竹林寺さんから出品をご承諾いただいた鎌倉時代の阿弥陀如来像のこと。本邦初公開となります。徳川家康の養女で山内家に嫁いだ「阿姫(くまひめ)」が亡き義父・家康公の菩提を弔うために竹林寺に寄進したもので、像の胎内にはその旨を記した裏書きがあるといわれていましたが、本年竹林寺、山内宝物館、高知大学による科学調査により寺の伝承と古文書の記述に裏付けられ発見となったものです。(竹林寺 http://blog.chikurinji.com/article/386485524.html )10月25日からは竹林寺さんでは、50年ぶりのご本尊の文殊菩薩像が御開帳になります。今回は文殊菩薩様が日本最古のかわいらしい獅子に乗ってお待ちになっています。是非、この機会にご縁を結んでください。

竹林寺 平成御開帳HP http://www.chikurinji.com/event/2013/sp_gokaicho-2013.html
続報は明後日も・・・

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2014年10月17日(金)

土佐の顔 ―北寺菩薩形立像―

北寺菩薩形立像

 今は亡き北寺の長老廣中快円さんは物静かで優しい土佐人だった。以前、山林の仕事をされていた関係で木のことをよくご存じで、お会いするたびに木のことを教えていただいた。北寺には多くの平安時代の仏像が伝来し、いずれも国の重要文化財に指定されている。たぶん高知県下における仏像の様々な特色を兼ね備えた作品が収蔵庫に居並んでいる。廣中さんは優しく仏像に手をやりながら自分の肌の感覚で、湿気や傷み具合などを感じ取ることを知っている。それゆえに北寺の仏像は燻浄や修復が実によく行き届いている。県東部の安田川流域には多くの仏像が残されているが、それらは上流の魚梁瀬辺りで伐り出された樹木でつくられたものだろう。高知の仏像の表情は柔和だが、どこか童顔で眼と眼の間が寄っていたり、口元が小さくまとめられていたりするという特徴がある。今回出陳される三体の菩薩像もそうした仏像で、石仏のように光背と仏像の本体が一体となって作られているのが特色だ。仏像っぽい厳粛な感覚ではなく、まるで私たちの近くにあって、足らないところにそっと手を差し伸べてくれるような身近さを感じさせてくれる。(県外初公開)

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2014年10月15日(水)

一枚の写真からA ―室戸市椎名観音堂観音菩薩立像―(下)

室戸市椎名観音堂観音菩薩立像 撮影:大屋 孝雄  椎名観音堂観音菩薩立像は想像通り、平安時代の終わりごろの作品に見られる痩身で薄くつくられた体躯表現、まるで線を引いただけのような目が印象的だった。首に地元の人がかけたネックレスが光っていた。数年前に建て替えられたお堂は白壁の明るい室内で、近所の敬老会の方たちがお守りをされていた。室戸岬の先端にあるこのお堂に祀られた十一面観音は今から九百年ほどまえにこの地でつくられた。太平洋に南面する高知県の二つの岬はかつて補陀落渡海という信仰の聖地でもあった。井上靖氏の『補陀落渡海』という短編小説は、熊野の地でこの補陀落往生を遂げねばならぬ老僧の葛藤を主題に書かれたものだが、それと同様のことがこの室戸の辺りでも行われていた。補陀落船と呼ばれる小さな窓がつけられた小舟に六十歳を過ぎた僧が信者から送られた多くの供物とともに乗せられる。舟は南の海の彼方にある補陀落浄土という観音さまの世界へと旅立つことになる。信者の供物は日ごろ彼らが背負った罪穢れの代償であり、それと共に海の彼方の浄土へと導かれていく僧侶に自らの現世の安穏と後生を託した。この補陀落信仰の対象となったのが十一面観音であった。私はおそらくこの椎名の観音さまもそうした信仰に関わる仏像だと思った。いつか田辺寿男さんの一枚の写真に導かれて訪れた日のことを思い出した。(県外初公開 県指定文化財)

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2014年10月13日(月)

一枚の写真から@ ―室戸市椎名観音堂観音菩薩立像―(上)

室戸市椎名観音堂観音菩薩立像 撮影:大屋 孝雄  いつのことだったか高知県の民俗写真家の田辺寿男先生(故人)の撮影された一枚の白黒写真に写った仏像をみたことがある。雨の降る日、鬱蒼とした木の下に細く扉を開いて堂内をのぞき見るような構図の作品だった。そのキャプションに「室戸・椎名・仏像」とだけ書いてあった。長い時間、仏像をみる仕事をさせて頂いたせいかそのシルエットだけで、だいたいどういう時代のどのような種類の仏像なのか分かるようになっていた。たぶん、この仏像は平安時代の終わりごろの仏像だろうと直感的に思った。椎名は室戸岬の東側にある小さな漁村で、今では40軒ほどの集落となっている。十年ほど前のこと、初めて椎名の観音さまに会うことができた。(県外初公開 県指定文化財)

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2014年10月12日(日)

箱車と接待松の奇蹟

接待松

 今回展覧会のもう一つの目玉は、先日ご紹介した平等寺の「箱車」。となりの愛媛県愛南町接待松でのはなし。ある日、病気で足の不自由な人が箱車に乗り、50人ほどの人々によって大網をかけ引っ張り上げてもらっていた。ちょうどこの地にさしかかった時、にわかに一陣のつむじ風が吹き荒れ、蛇のように曲がりくねった大松が箱車を押しつぶすかのように思われ、思わず箱車から逃げ出そうとした。そのはずみで長年の足の病が治ったという話が伝えられている。また、弘法大師縁の日には地元の人たちがこの場所でお遍路さんに茶菓子の接待をしていたが、名物となっていた大松は昭和30年ごろに伐採され、今は朽ちたかぶを残すだけとなっているそうだ。

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