多摩美術大学 広報 第21号

   

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 朝日新聞では最先端の詩人と紹介されたイメージとは若干違う、穏やかな表情と静かな語り口の平出先生。けれどそのイメージを更に覆すような言葉が次々と飛び出しました。
 普段の物静かな表情のまま語られる「我が草野球人生」。そのこだわりっぷりを披露していただきました。

[文・萩原朔美教授]

 伝説が流布されている。「平出さんは、野球が出来ないから会社勤めをやめたらしい」というものだ。本当かどうか分からない。それ程草野球に打ち込んでいることの証左として今も話は一人歩きしている。それもそうだろう。年間65試合をきちんと消化しているというのだ。当時、プロが130試合、その半分の試合数にしてデータを出すためだった。ということは、月に10試合。土日を総て使ってもダメだ。当然一日に何試合か組まないと実現できない。一体そこまで平出さんを魅了して離さない草野球とは何なのだろう。
 出会いは3歳の頃である。
―親にひとりだけのユニフォームを作ってもらって。それが1953年。野球は国鉄に勤めていた父親に教わって。近所の人達と空地で日が暮れるまで野球をする毎日。中学までやってて高校はもうやらなかった。受験を考慮して親が猛反対したんでね。
 大学に入って、寝ていた野球熱が目覚めた。仲間と、詩の同人誌と野球チームを作った。雑誌の方はつぶれてチームが残ったのだ。
  チーム名はファウルズという。しかし正式にはクーパースタウン・ファウルズ・ボールクラブという名称である。
―'85年に国務省の招待で野球殿堂のあるクーパースタウンに行ったんで、何回か通う内に「私のチーム名の上にクーパースタウンと入れていいか」って頼んだらいいって言ったんで、証明書を出してもらった。世界で唯一のアメリカの野球殿堂公認の草野球チーム(笑)。
 それだけではない。彼のチームは何と長嶋茂雄が名誉顧問なのだ。このあたりのエピソードは、平出さんの『白球礼讃・ベースボールよ永遠に』(岩波新書)の中に詳しく書かれている。驚くことはまだまだある。この本を読んでいると、ええっと声をあげ、そして何度か泣かされるのだ。チームをめぐるエピソードに涙するだけではない。おそらく語り口の直向きさに引き込まれてしまい、心を揺さ振られるからだろう。
―本を書きおわった時に出版社が東京ドームを借りてくれて、ロッテのレロン・リーの引退試合とファウルズ入団記念試合というのをやったわけ。そこに顧問の長嶋さんが来てくれて。
 みんな平出さんの野球に対する宿痾のような熱気が伝染して夢のような結果を生んだのだ。前記の著書のあとがきも熱っぽい。
 「ベースボールという場所では、真剣味も遊びごころも、悲壮も陽気も、たくらみも無邪気も、ひとつの場所に融けあって豊かにひろがる、ということだろう。それは、世界と同じ深さとひろさをもつゲームだ。世界の深まりやひろがりとたたかうゲームなのだ」
 となると、とても野球以外に目を外らしている時間はもったいない。世界と同じ深さとひろさを持っているものなど他のどこを捜してもありはしないからである。
    

 
  

写真:坂本政十賜

    

 
     

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