鉛筆デッサン
色彩についての思考や、そこから発する豊かなイメージの展開を期待したのだが、残念ながら期待に応えるものは少なかった。油彩も同じだが、受験勉強の中で繰り返してきた手慣れた描法に、むりやりモチーフを当てはめるようなものが目立った。自分の顔や手を描き、そこにただモチーフを配するだけというような、事前に準備してきた安易な方法だ。そのような類型化したデッサンは、よほどの技量がない限り、評価はどうしても低くなってしまう。
受験デッサンとはいえ、「これは自分の作品なのだ」という気概をもって、全力で課題に立ち向かい、課題の意味を考える中から、真摯に構想を練ってほしい。そのような作品こそが、自ずと採点者の眼を引き付けて、評価も高くなるのだ。
油彩「人物」
前年度までの合格者参考作品を、そのままなぞったような作品が、いくつか眼についた。そこまでひどくはなくても、例年のことだが、参考作品から傾向と対策を考えたと思われる作品が数多くあった。しかし、それはあまり意味のないことだ。参考作品として紹介しているのはほんの一部でしかないし、採点する教員はそれぞれ全く異なった傾向の作品を作る作家であり、その評価の基準も多様多彩である。したがって、今回も合格者の作品は実に多彩であり、そこに典型的な「傾向」などというものはないと言っていい。
それでは、何が採点のポイントになるのか。技量が水準を超えて高度なものは、もちろんポイントが高い。しかし、数多くの作品が並ぶ中では、ただ小手先の技術だけを追い求めたような中途半端な技量の作品や、類型化した表現を見よう見まねでただ繰り返しているような作品は、自ずとポイントが低くなってしまう。かといって、奇をてらいすぎた小賢しい作品も、採点者によって簡単に見すかされてしまう。
大切なのは、一枚の画布を前にしたときの新鮮な感動であり、そこにこれまで自分が培ってきたすべてを表現しようとする、率直な姿勢である。それを、採点者は見のがさないだろう。 |