TAMABI NEWS 87号(日本画の伝統を超えて自由な発想が生まれる理由)|多摩美術大学
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 加山又造、横山操に続き、多摩美の専任講師として着任した上野泰郎(1926-2005)が1969年に教授に昇格。以降、横山が逝去する1973年まで、横山教室、上野教室、加山教室の3つの教室で、それぞれの個性豊かな授業が行われていました。1970年には堀文子(1918-2019)が多摩美日本画専攻初の女性教員となり、その後、教授に就任しました。 1980年代前半に在学し、上野教室で学んだという武田先生は「課題制作においても、常に先生方は学生たちの自由な発想を重視して下さいました。これは多摩美に日本画専攻ができた当初から続く伝統であると聞いています。現在では模写や裏打ちといった実習もカリキュラムに組まれているのですが、私の時代は技術的なことだけでなく、『何を、いかに描くか』について悩み、模索を続けるような授業が行われていました。自分の意思で力強く描きなさいと、教員は背中で語っていたように思います」と、当時を振り返ります。それと共に、教え子の作品に対しては、妥協は一切なしの指導が行われており、何度も挫折を味わったとのこと。「教員になった今、やっとその厳しさの意味が分かるようになりました。当時の先生たちは、学生であっても一人の表現者として、自分たちと対等に考えていたのだと06加藤良造 教授1987年多摩美術大学日本画専攻 卒業2016年本学准教授、2018年から現職八木幾朗 教授1982年多摩美術大学大学院美術研究科 修了2018年から現職自由な校風の下で育まれた創造の精神武田州左 教授1985年多摩美術大学日本画専攻 卒業2007年本学准教授、2013年から現職日本画の伝統を超えて自由に描くという加山・横山の創造精神は現在の日本画専攻にも受け継がれ、学生たちは既存の枠にとらわれることなく多様な価値観をもって日々制作に向き合っています。二人が貫いた教育理念はどのように次世代へと継承され、今に息づいているのでしょうか。日本画専攻の教授陣にお話を伺い、その軌跡をたどりつつ、本学日本画教育の現在地点とその先を展望します。学生を一人の表現者として認め、対等の大人として扱う多様な価値観が作家としての感性を目覚めさせる

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