TAMABI NEWS 87号(日本画の伝統を超えて自由な発想が生まれる理由)|多摩美術大学
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 本学日本画専攻では、1年次の最初に「白い百合」の制作に取り組みます。日本画に用いる胡粉(ごふん)という白色顔料をはじめ、岩絵具や膠(にかわ)など、素材の扱い方や伝統的な技法の習得に非常に適しているためです。 この課題を通じ、学生たちは日本画の技術を一通り学びます。そして基本を習得した後は、各自が描きたいものを描く自由課題がスタートします。 東京藝術大学出身の宮いつき先生と岡村桂三郎先生は、多摩美の歴代の卒業生たちが描いた作品 「個人個人が興味を持ったものを非常に強く支持する方針が多摩美にはある」と分析する宮先生。 「例えば、日本画専攻の学生が『水性ペンで描きたい』と言って、ずっとペンを使って作品を作っていたとしても、それを良しとします。『日本画の画材も使ってみない?』と言っても『嫌だ』と言われればそれを受け入れる柔軟さがあるんですね。私が学んでいた頃の藝大では許されないことでした。その学生の好きな道を進ませる自由さが、多摩美らしさだと思います」 「枠」にとらわれない多摩美の校風について岡村先生は、「藝大は伝統や因習を引き継ぎながら学んでいく傾向があるように感じました。その中から多摩美の同世代の人たちの作品を見てみると、すごく新鮮でキラキラと輝いて見えたんです。当時、多摩美の人たちからは、藝大は優遇されていてうらやましいと言われましたが、僕にとって多摩美の学生は、常に自分らしく、個性あふれる作品をのびのびと制作しているように見えました」と話しました。を見た時の驚きをこう語っています。 「最初の課題で白い百合を描くのは、あくまでも日本画の基礎となる技術習得が目的です。ですから白い紙の地に百合の花だけを描けばいいわけですが、多摩美生たちの制作アルバムを見ると、花の描写だけでなく背景までが描かれていました。今の学生たちも同様で、女の子が百合を持っていたり、百合の後ろに宝石を描いていたり。どの課題からも、一表現者として作品に仕上げようとする意思が感じられました。私が藝大で白い百合を描いた時には、学生はただ単に描写的に花を描いていました」 技術より表現が優先され、最初から絵作りをしよ1年次に白い百合を描く課題は、日本画の基礎的な技術を習得する目的だが、作品に仕上げようとする気概は多摩美OBの先生方の在籍時から変わっていない。うとする作風に多摩美らしさを感じたと語る宮先生。 また、岡村先生も同様の印象を抱いたといいます。「もともと百合の花の課題は藝大のカリキュラムが元になっているようですが、私も藝大生の時には背景などは描かずに、百合の花だけを描いていました。技術的な指導も多摩美とは少し違っていて、藝大の日本画素材に関する考え方は、伝統を継承していくようなところがありました。自由課題が多い多摩美のカリキュラムの中で、最初からモチーフが決まっているということ自体が珍しいことですが、その意図は、百合のかたちを借りて、『何か』を表現することだと理解しています」武田州左教授の作品08岡村桂三郎 教授1985年東京藝術大学大学院美術研究科 修了2000年 東北芸術工科大学教授2009年から現職千々岩修 准教授1997年多摩美術大学大学院美術研究科 修了2011年本学講師、2016年から現職● 表現者として課題を「作品」に仕上げる伝統百合のかたちを借りて「何か」を表現する宮いつき 教授1978年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻 卒業2005年本学造形表現学部造形学科助教授2007年同教授、2017年から現職各自の主体性、創造性を重んじる教育が継続中藝大出身の先生から見た“多摩美らしさ”とは?

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