多摩美大入試ガイド 2019
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美術学部 芸術学科 鉛筆デッサン﹁言葉によるデッサンを含む﹂芸術学089 机の上に置かれた一枚の皿とトレーシングペーパー。とても白い。床にしかれた紙の白さも加えられ、ただただ白い。しかし、見ているとだんだん、白の他に違う色が見えてくるのだ。まず、一番強く見えてくる色は、皿の影の黒である。光を遮った不透明な物質が床に落とす黒は、流石と言わざるを得ない安定感を作り出している。それとは対象的に、紙の作る影は、しっかりと色を生みながらも、どこか優しく感じられる。光を含んだ、半透明な物質ならではの影だ。また、同じ影でも紙に寄ったシワの影は、直線的でパリパリとしたものである。皿との関係の中で生まれる、曲線的なものとの対比が面白い。続いて形にも トレーシング用紙は、好きか嫌いかで言えば好きだ。大好きというほどではないが、好きだ。変形させるときに鳴る音が良い。紙を変形させるときによく使われる音は「クシャクシャ」だが、トレーシング用紙は、「カリカリ」とか「パリパリ」が似合う。とても気持ちのよい音だと思う。シューマイや春巻きの皮などを油で揚げたものを割ったら、同じ音がするだろう。つまりはおいしそうな音と言えるのではないか。そう考えると、皿が似合う。二枚に破いて無造作に丸めただけなのに、少し変わった料理に見えてくる。パリパリ食感を愛する人が考案した、パリパリするだけの料理に見えてくる。私はパリパリ食感が大好きなので、もしそのようなものがあるならぜひ食べたい。しかし、注目していきたい。形を変えることの出来る紙と、できない皿の対比が一目でわかる。高さを出すことが可能なのも、紙の特権だ。また、硬い皿と柔らかい紙という面での対比も感じられる。落ちる影と物質で、硬軟が逆転してしまうのは何とも不思議なものである。最初に見たときには「白くて平たい似たようなモチーフ」という印象だったものでも、よく観察し、動きを与えるとその物本来の性質がだんだんと見えてくるのは興味深い。構成された一つの塊は、まるで純白のベールをまとった花嫁のようだ。皿と紙との間に作られた微妙な空間が、なんとも形容し難いはかなさを醸し出しているのである。トレーシング用紙は食べたくはない。塩がふりかけられていても、食べたくない。消化されるか不安だからである。そもそも食べ物ではない。食べ物ではないが音はおいしそうだと思う。私はパリパリした食感が好きだから、トレーシング用紙の音が好きなのだろうか。音以外にも好きなところはある。手触りが好きだ。小さい頃、トレーシング用紙に絵や文字を書くのが好きだった。何かをトレースするわけではなく、普通の紙に書くように扱っていた。そのとき手に伝わるなめらかな手触りと、鉛筆で描くときの感触が良い。また、トレーシング用紙に描かれた絵や文字も、トレーシング用紙と共に透けるところが、良い。

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