2017年度入学式 学長告辞
2017年4月5日 八王子キャンパス TAUホール
本日、ここに多摩美術大学美術学部の入学式を挙行するに当たり、学長として、心からのお祝いの言葉を述べさせていただきます。
創立以来80有余年の歴史を誇る多摩美術大学は、これまでに国内外で活躍するアーティストやデザイナーや舞台人を、また研究者や教育者を数多く輩出してきました。そうした本学の輝かしい伝統のなかで勉学と創作に励むのだという誇りをもって、そしていずれかはその綺羅星のような先輩たちが築いてきた歴史の新たなページに自らも名を連ねるのだという意欲を持って、これからの学園生活を送っていただきたいものです。
アートの道を目ざす者にとって、本学には素晴らしい条件が整えられています。皆さんの目標になるようなアーティストや研究者である卓越した教授陣、志を同じくする若い仲間たち。八王子では十数年来の取り組みで充実した施設と美しいキャンパスが完成し、上野毛キャンパスでも三年前に新設された二つの学科が今年の新入生によって完成年度を迎えました。そうした本学ならではの恵まれた勉学の環境を生かして皆さんが日々成長していく姿を見るのは、私たちにとっての最大の喜びなのですが、その門出に当たって心にとめておいていただきたいこと、目を向けていただきたいことをお話しすることにしましょう。
これから勉学を始めようとしている皆さんの前に、私はあえて書生論的な問題を持ち出してみようと思います。芸術の道を究めるために、なぜ大学に学ぶのか。
そう問われて最初にかえってくるのは、おそらく表現者としての技術を身に付けること、という答えでしょう。本学が芸術大学であるかぎり、それは第一義的な理由であるに違いありません。語源的にいっても、アートという言葉のもとになったラテン語のアルスは、技術を意味するギリシャ語のテクネという言葉の翻訳語であり、また日本ではartを芸と術という二つの漢字の組み合わせで翻訳したことにも、芸術と技術が同根であり不可分であることが如実に見て取れるのです。
しかしこういう声も聞こえて来そうです。芸術とは想像力を縦横無尽に発露させる場所ではないか。なにものにも拘束されない自由な精神こそが重要なのだ、と。
たしかに技術だけが自己目的化されてしまうなら、芸術は早晩窒息してしまうでしょう。事実、そうした悪しきアカデミズムの例を、私たちはあまたみてきました。
さてここで私は皆さんに一人の女性画家の話題を持ち出すことにしましょう。
それは今、六本木の国立新美術館で大規模な回顧展が開催されている画家、1929年生まれで87歳というお年でありながら、きわめて旺盛な制作活動に取り組んでおられる草間彌生さんの話です。草間彌生さんというと、皆さんは特異な精神的病理を抱えたアーティストである、美術のいかなる規範とも無縁であるがゆえの天才であると思っておられることでしょう。たしかに一見したところアカデミックなテクネと触れ合うことのないアウトサイダーであることが草間さんならではの魅力の一面をなしているといえなくはありません。
しかし実は草間さんは、一時期、京都の画学校で日本画を学んでもいて、写実的な細密描写と幻想性とが共存する岩絵具による傑作が何点か残されており、また近代日本画を代表する画家の速水御舟や村上華岳が私のライバルであると述べてもいるのです。1950年代の終わりにアメリカに移住してからは、鋭い理論家でもあった若き日のドナルド・ジャッドや河原温などの傑出したアーティストたちとロフトを共有して親交を結び、自らも戦列に加わってニューヨーク派の先端的な動向を果敢に切り開いていったのです。
周知のように草間さんは網目と水玉が連鎖する絵画の大作などによって、水玉の女王と称されるようになりました。同じパターンをひたすらに反復する彼女ならではのオブセッシブな方法は、今日にいたるまで一貫して維持されています。考えようによっては自分だけの世界に閉じこもっているともいえる彼女のオブセッシブな作品が多くの人たちを魅了するようになったのは、やはり単なる異端といってはすまされない、私たちが身をおく時代、今という時代におけるアーティストとしての使命感が彼女の中に息づいており、それが確かなデッサン力や絵画空間に対する深い思考に結び付いているからではないでしょうか。
オブセッションとはトラウマに満ちたもの、精神的な抑圧を背景にしたものですが、あえて逆説を持ち出すなら、むしろそうであるからこそ自己と他者とが心を通じ合うコミュニケーションの基盤ともなりうるように思うのです。私たちもまた日常生活の中で、それぞれのトラウマや悩みを抱えながら生きています。ある意味では心理的な負荷を解消するために描かれた草間さんの作品に触れることで、その世界と心を開いて対話することで、私たちもまた深いところで心の救済を覚えるのではないか。彼女の絵筆が紡ぎ出すイメージの豊饒さは、まさに自らと自らを取り巻く世界の同時的な救済をはかるものであるといってもよいでしょう。そして、それこそが彼女の画家としての大いなる志であり、矜持でもあるというべきでしょう。彼女が「私大好き」という大いなるナルシストであることと、ラブ・フォーエヴァー(愛はとこしえ)という平和と大いなる愛の精神の持ち主であることとは、まさに一つに結び付いているのです。
しかし同時にそうした思想が私たちの心に強く響いてくるのは、やはり彼女の絵筆そのものの力であるといわなければなりません。そしてその背景には草間さんが若き日に動物園や植物園に通って描いた数多くの素描があったという事実を知っておく必要もあるのです。
皆さんはこれから優れた教授陣に学び、敬愛に値する先輩たちの仕事にも啓発されながら、美術家やデザイナーや舞台人としての、また研究者としての自らの世界の実現に向けて、草間さんにも負けない志を持って第一歩を踏み出してほしいものです。どうか本学ならではの恵まれた環境を存分に生かして、これからの皆さんにとってのかけがえのない特権的な日々である大学生活を充実したものにしてください。本日は保護者の方々も大勢お見えでいらっしゃいますが、学生たちの成長を暖かい目で支えてくださるようお願い申し上げます。本日は本当におめでとうございます。
これをもってお祝いの言葉とさせていただきます。
2017年4月5日
多摩美術大学学長 建畠 晢
掲載日: 2017年5月16日