トップ > 概要

◆ 「教師は学生にこう関わっている」アートに関わって生きたいと当大学に入れる力を持つ若者なら、自らに、つくりだす固有の力、鍛えれば豊かさをます感性、時代を察知する直感を、生来内に秘めている。私たちの仕事はそれらを引き出し、鍛えることに手をかすことだと思っている。

陶プログラムでは「土の可能性+何をつくるか+同時代意識」を核にした別記カリキュラム(1年生なら28回)でそれを狙う。毎週学生がつくりだすものを介して我々が感じ取ったところを語り、学生は主張と自己批判し、他学生と比較し、刺激をうけあうことの習慣を仕掛けている。積極的に工夫し持続させた学生は自ら固有のものを掘りおこせる。

若者はこの時期、二度とない成長力を持っている。全員が陶作家になることはない。多様なアートへの対応力を身につけられる。

◆ 「技・発想・コンセプト」は古今東西で同じ形式を求めはしなかった。手工業文明、工業化、そして情報化文明へと我々は変遷させて来た。たとえば手工業文明にあってはロクロは基本技のひとつであったが、情報化文明にあっては同価値を保てない。逆に現時代が重要視するようになったコンセプトは手工業時代にあってはそれほど求めはしなかった。

技・発想・コンセプトは各時代、各文明に耐えうるものか。それを考察できるかが我々に求められる力量だと思っている。

◆ 多摩美の陶でやろうとしているのは、理想的にいうと、つくりながら考えたり、考えながらつくったりすること、両方の動きが同時に分離するのではなく、一緒になって繋がってほしい。この繋げる力を学生が身につけて欲しいということだと思います。

◆ 僕がやきものを始めたときに強く実感したことは、手で考える、手を動かしながらものごとを考えていくということが、すごくやりやすい領域だということです。

◆ ものとか素材を通して、自分のなかで物事をつなげられて考えていく力がつけば、自分の中に軸ができる。そうすると、その軸を基準にすべてのいろいろなことが見えてくる。それを、やきものをつくることを通してやってみたいというのが多摩美の陶での僕の考えです。

◆「陶は手つくりの教材としての完全食品」――陶という素材は、いろいろな性格を持つ素材なので、他の材料に比べたときに、芸術や造形表現のための素材としてかなり有効であるだけでなく、手つくりの造形教育の教材としてもバランスがとれていて、いわば完全食品である、と。

◆「発想力をてこに、ものづくりで生きていく為の力をつけてもらいたい」
往々にして、やきものを軸にしたものづくりは、時代から取り残されているように思いがちです。でもクリエイターという立場から見てみると、4年間をエンジョイした学生が持っている力というのは、かなり独特で、非常に高い潜在能力になっている。

◆ アンチを掲げた教育方針というのを30年間の時空はどうやってこえるのかなぁというか…。

◆ これだけ錯綜する時代のなかで、素材をキーワードに何をしていくか、やはり難しい問題だと思っています。

◆ 卒業と同時に世の中に出て、陶という素材をパスポートにして、いかに生きていくか。・・大切なことは、世の中に対して、またはクライアントに対して、いかに自分をうまくプレゼンテーションしていくか。その方法を、もっとも実利的、実務的、そして現実的に身につけてもらえればと思っています。

◆ 90年代から現在までのこの15年間の工芸論の成果 --- 1つは、技術か表現か、伝統か前衛か、といった単純な二項対立の図式を乗り越えるきっかけが、受け手の側に生じてきたことだと思います。
もう一つ、1920、30年代、いわばデザインの黎明期についての研究が熱心に進められたことによって、工芸、美術、デザインの重なり合いや、互いの疎外の状況が、歴史的に検証できるようになりました。
3つめに、工芸の非・近代性に注目してその可能性を捉えていこうという視点が提示されたことです。
これによって、近代美術史全体のなかで工芸を眺めていくこと、そして、芸術と生活という大きなテーマに工芸の問題を接続していくことが可能になりました。

◆ 多摩美の陶プログラムの今後を考えていくうえで、・・・工芸論のこの10数年とか、近代日本美術史研究のこの20年といった、外部にある別なものさしを併用してみることも、・・・・

トップ > 概要