1. 序文

アメリカの60年代の芸術は、アメリカ社会そのものが激しい変動の時代の流れの中にあったように、既存の芸術を根底から変えようとするラディカルで新しい動向が起こりつつあった。物体としての芸術作品から離れ、芸術そのものの概念を変革しようとするこの傾向は、ミニマリズムからポスト・ミニマリズムやコンセプチュアル・アートといった一連の活動へと展開していく。これらの展開のなかで、概念芸術(コンセプチュアル・アート)という言葉を最初に用いた作家としてソル・ルウィットは位置されている。 以前より、芸術や作家のカテゴリー化、その位置づけというものに対するその重要性や意義に疑問を抱いていた私にとって、それをすんなりと交わした作家が彼だった。そして、私に以下のような新鮮な態度、また、肘を張らない芸術への態度を見せたのである。

『編集長が私に、こう書いてよこした――自分は「アーティストというのは教養のある批評家によって説明されなければならない一種のサルだ、という考え」を廃したい、と。これはアーティストにとってもサルににとっても朗報に違いない。そうとくれば、私としても彼の信頼に応えたいと思う。野球のメタファーをもちいるなら(あィストは場外ホームランをかっ飛ばしたいと思った。もう一人はプレートでのんびり構え、球が来れば打てばいいというつもりだった)、私は、三振する機会だけで結構である。』
『最近、ミニマル・アートについて色々書かれているが、私はこうしたことを認めるという者をしらない。?中略?私なりに出した結論を言えば、それは批評家が美術雑誌という媒体をつうじて意志疎通をはかるさいにもちいる秘密の言葉の一部だというものである。ミニ・アートというのがいちばんいい。ミニ・スカートや脚長の少女を連想させるからである。それは随分小さな美術作品のことをいうに違いない。これはなかなか立派なアイディアではないか。おそらく「ミニ・アート」の展覧会はマッチ箱に入れて国内巡回させることができよう。?・』

以上の様な文章が、ミニマルアーティストとコンセプチュアルアーティストとの中間に存在するアーティスト、作家ルウィットのユーモラスに富んだ芸術への態度の出所を何とかして探ってみたいという気持ちを起こさせたのである。同時にその作品自体への‘はっと驚くような’としか言い様のない美しさの体験が、私をここまで魅了させ、この作家へ傾倒させる大きな理由なのである。
、?でAゥ身の思考、概念を示したものとして今でもその衰えをみせることのない――『Sentences on Conceptual Art』、『Paragraphs on Conceptual Art』――の存在があった。ルウィットの芸術に対する一貫した姿勢とその矛盾、まるでからかられている様な我々への挑発的な表現態度が、随時その姿を見せ、ますます彼の芸術解明への必然性を執拗に迫ってきたのである。
そこで、この論文では、コンセプチュアル・アートの概念についてを説くよりも、むしろ一作家ルウィットとしてのもっと内面的な独自性を見ていくという展開にしたいと思う。概念を芸術にすることに重点を置くよりも、何か他の興味やアイディアがルウィットの周りには存在していたように思う。では、その周りを取り巻くものとは何だったのだろうか。私は文字を多く使うその作品傾向から「言語ゲーム」というシステムに目を付け、また、そのシステムという彼の芸術のプロセスにおける体系を追っていくことに、ルウィット芸術の本質が見出せるのではないかと考えている。そのような中で、この方向性の決定的な瞬間となったのが、「言語ゲーム」から接近していったウィトゲンシュタインとの出会いであった。そこには、以下のような命ェあスので驕B
わたくしはにはもう選択の余地がないということ。規則は、いったん一定の意味が押しつけられる
と、その遵守の諸系統が前空間に引かれる。?・・)
 規則に従っているとき、わたくしは選択をしない。
 わたくしは規則に盲目的に従っているのだ。
 「哲学探究」219

これをルウィットの『Sentences on Conceptual Art』における命題との類似、またルウィットの彼からの影響関係の一つとして見ないわけにはいかなかったのである。
「 ひとたび作品の観念がアーティストの心の中に確立され、最終形態が決定されると、そのプロセスは盲目的に遂行される」

以上のようにして、私のルウィット芸術への探究が始まることになったのである。元来の芸術作品を成り立たせる、物質的媒体や観念がルウィットの芸術観念のなかでは意義を持たない表現方法となり、その代わりに、その手段として何か別のものが適用されているのではないか。例えば、規則のしくみやその芸術作品を成り立たせるシステムという体系といったものが。その予測に問題の焦点を当てながら論を進めていきたい。そのシステムの媒体として単純な形態や様式の利用は、その命題の理解をも一見単純なものとするようだス面、ノ隠された鰍ェ―P純なものが複雑なものとなる――というある種、哲学的な思考をもって望まなければならないであろうことは事実である。 そして、その時代性や流れからといったカテゴリーづけされた視点や固まってしまった芸術観念ではない、ニュートラルな目をもって彼の芸術の本質をつかむために前進していきたいと思う。いや、もしかするとそれはいわゆる芸術の範疇において解決される問題ではなく、世界の存在についてを見る彼の目、その独自の世界を見ることが必要になってくるのかもしれない。

2.システムについて
  
ひとたび作品の観念がアーティストの心の中に確立され、最終形態が決定されると、そのプロセスは盲目的に遂行される。『Sentences on Conceptual Art』
アーティストがコンセプチュアルな形式を用いる場合、それはとりもなおさず、プランニングの決定のすべてがあらかじめなされるので、制作はただ機械的に行われるということにほかならない。観念がアートを作る機械になるというわけである。『Paragraphs on Conceptual Art』

1. はじめに

 ミニマルアートやコンセプチュアルアートとの間の諸関係が論議されるルウィットの立場はいかなるものか。ルBットの芸品への一貫ト遂行され「る、幾つかの“システム”は、彼の芸術にとって絶対的、かつ独自のスタイルものであると考える。その一貫したシステムの遂行が、時代の流れに沿う変化、及び進展の中で、当時のフォーマリズム的還元主義傾向の強かった芸術に対して新たな風を送るものであったことに疑いはない。システムへの盲目的な従順という行為のなかで目論まれ、そして達成されようとするものは何なのか。その結果としての作品なのか、その観念の解釈なのか、はたまた歴史的観念に危ぶまれた美術への新たな挑戦なのか。「もし、そのシステムを『芸術における一つの文法』であるとのべることができるのならば、その文法、それはあたかも、この20世紀世界に、ひたひたと跡も残さず浸透したコンピューター・システムが実用という任務から解き放たれて爆走のあげく、ばかのように単純で、しかもやたらと複雑な新しい二次元・三次元の細胞質か迷路のごとき構造になったようなものではないか。不変的な理性と私的な美の幻想という西欧のアートの由緒ある二重性が、現代というコンテクストのなかにあらためて再創造されているのである」 、と述べるロバート・ローゼンブルムの解釈はルウィットテムへの我々揄?を助けるでう。確かにホ的な支配秩序の不在に直面した20世紀のアーティストは、これまでに何度も、個人的で、しばしば暗号めいた言語に基礎を置く自前のヴォキャブラリーや文法を創り出して、自分たちなりのルールやシステムを組み立ててこざるをえなかった。この回帰的な近代のディレンマにたいするルウィットの影響は、ジャスパー・ジョーンズの、色彩、アルファベット、言語、数字の入れ換えや、組み合わせの作品の多くや、ジョセフ・アルバースの作品『正方形賛歌』等に近い先例をもつといわれる。ここから、こういった状況を認識したうえで、彼の作品や言葉、その各々の作品の時代潮流を通して彼自身の組み立てた芸術のシステムを検証していきたい。

2. 連続システム

ルウィットが自らのアートを規定する手段として、“システム”のような非物質的で抽象的なものを選び、発展させていったことは、彼の思想や特徴といったものを表す、正に意にかなったものであった。最初期のシステムの導入は、ミニマルアーティストとの交流関係から来たものであり、それは、彼の作品傾向を方向づける決定的なものとなってゆく。そのシステムとは“連続性”というシステムである。コは、ルウィット品創作活動へのチかけの一つとチた、連続作品への取り組みに関するインタビューの一部である。

Andrew Wilson(以下AW):フレイビンからは何を学んだのですか?
Sol LeWitt(以下SL):フレイビンの作品、3つの主格形態、は1,1−2,1−2−3の数列を作っており、それは私にとって重要な例でした。それは私が見た初めてのシステム作品の一つだったのです。ジャットのその当時の連続作品もまた非常に重要でした。私は有限で単純なものである、システムについて考え始めました。これは、より表現的でないものにする為に単純化された形態の観念と、観念つまりその形態が観念の伝達手段となるというものとの間にある基本的な違いでした。
AW:あなたが最初の構造作品群を創ったそのすぐ直前に、マイブリッジ の連続写真をそれらの泉として使っていました。(図2・1)そして、しかしあなたが制作したドローイングは単一な形象で、孤立されていて、固定されて展示されました。連続体をなしてはいませんでした。(図2・2)
SL:ピエロやベラスケスの素描のように、そこには私にとって重要な何かがあることを知っていましたが、それをどのように使うのか分かりませんでした。連ォの観念は後になって「浮かんだものでス。全ての部分のOは基本的観念の結果でしかないけれども、各々の個々の部分は同様に重要であり、全ての部分は同等であり、序列的なものは何もありませんでした。マイブリッジの作品で走っている(動いている)男は、キューブの中のキューブ、四角の中の四角、四角の中のキューブ等々といった全ての変換を作るためのすばらしい着想でした。
AW:また動きについての、ある形態的な形をとった真実、つまり科学的形態を探し出す一つの手段として、マイブリッジがこの方法を用いたことは重要なことですか?
SL:その部分については、動画が我々の時代の偉大なる物語のアイディアであったと言う風にさせた観念と同様には私にとって素晴らしいものではありませんでした。物語性は形式主義を逃れる手段でした。つまり、終わりとしての形態という一つ観念を否定し、そしてむしろ手段として形態を使ったのです。
AW:あなたは、あなたの連続的作品をある種の物語を形成するものとして考えているのですか?
SL:それは私が追い求めていたところのものであり、その通りです。マイブリッジの作品は走っている男の物語であったのと同様に、連続的作品の組み合わせはまた一つィ語として機能しましたサしてまた、各々のェは全体のプロセスS体のアイディアの内部に閉じこめられたのです。

事実、ルウィットは、ある単位が次々に続くというような、連続体に強い関心をもつことになる。しかし、――ミニマリズムの連続シリーズは、ジャッドの言葉にもあるように、モOne thing after anotherモの単調システムであったが、――そういったものは、単なる単調な連続体であり、彼にとっては、次第に物足りない退屈なものとなっていった。そうではない何かを探していた頃、マイブリッジの連続写真に出合うことになる。それは、外側から見れば単なる連続体の形式であったが、その内面にはある種の“物語性”(一つのドラマと言っても良いかもしれない)があり、“変化”を孕んだ連続内容となっており、この出会いが彼の芸術の方向性を決めることになったと言っても過言ではない。そして、彼は、そういった類の作品を作り出したかったことをそこで確認する。これはその当時、彼の奥に潜んでいた美術に対する反撥を表現することの出来る、最良の表現方法、表現形態だったからである。実際、物語性のある連続体は、彼の嫌悪していた形式主義を逃れる最良の手段として、彼の独自のステムに取り入れられるよノなった。(形式主義刪ォした彼は、『Paragrs on Conceptual Art』と『Sentences on Conceptual Art』という文章を書くことにより、評論家たちに自分のその態度を証明しようとした。それは「二つの文を書かせたのは、形式ばかりにこだわる批評家に対して何かを述べたかったからである」と説明する彼の言葉からも明らかである。)
物語性のある連続性システムの導入に際して、さらに注目すべき点は以下の通りである。まず、それが、結果としての形態の重要性を拒否するということである。(即ち、出来上がった作品に重要性はないということ。)そして、むしろ作品制作の一つの手段としてその形態を使うということをさせた。(要するに、作品完成までの過程が重要であるということ。)
ここではその事実が、往々にしてルウィットの好んだ推理小説の展開に置き換えられる例をあげて証明してみたい。人は普通、初めがあり終わりがある推理小説の展開の中で、一連の進行をひたすら追い続け、いかに犯人を推理するかに心躍らす。そして、犯人の最終的な判明をその小説の究極部分とする。同様にして、ルウィットの作品制作の流れもこれと同じ動きを示す。しかし、ルウィットいて異なるのは、彼は犯人のI的判明には一切の興味揩スず、――つまり、ここで級ハとしての形態のこと――むしろその期待感をもって行われるその一連の進行の過程(プロセス)に重点をおき、そのプロセスの如何で作品の良し悪しが決まると述べていることである。
結局、過程の重要性を挙げるということは、ルウィットの作品で言い換えれば、出来上がった作品それ自体よりも、一つの観念に向かって進められる制作プロセスが重要であることを意味する。ルウィットの場合、冒頭にも引用したように、「ひとたび作品の観念がアーティストの心の中に確立され、最終形態が決定されると、そのプロセスは盲目的に遂行される。」を一つの規則にしているため、その観念に向かって盲目的に行われるそのプロセス(物語性)が重要であることを意味するのである。さらに、そのプロセスは、観念を導くための一つの良い手段として使われているともいえよう。決定された観念までの‘物語性’には無限な可能性があることをプロセスという言葉でもって表現しているのである。以下引用。

AMK:私がボルヘスの“探偵小説の起源”(1942)と題された短編を読んだ時、私はあなたの作品を思い出しました。そこからのp“?二流であれ、ひどいものであA探偵小説は、決して始ま竅A陰謀、結末なしであること?りえません。我々の時代の文学は不意の言葉(感嘆)や意見、一貫性のなさ、確信によって疲れはてており、つまり探偵小説は秩序や創造することの義務を説明しました。私はあなたが推理小説を読むことを楽しんでいるのを知っています。あたなは、あなたの興味が与えられた状況の中で全ての可能性を探検するという点に影響を与えたと思いますか?(献身的な観者である彼や彼女は進んでいく全ての角度からあらゆる事実を審査(調査)します。)
SL:私は可能性を探検するなかでそれらが私の興味に影響を与えたとは思いません。私は決して誰がそれをやったのか理解しようとはしませんでした。探偵フィクションにおける事実は通常始めに提示され、物語の進行の間、結末は中心へ向かっての螺旋状の結末のように到達します。科学フィクションの螺旋は外へ向かう無限のファンタジーです。

連続体作品
      →
             →
一つの始まり     →  複数の可能性  ―――→      最終的な作品
             →          ↑ここが重要  i→結果としての形態))     @  
          @ →          は重要でない。
                 プ   ロ    セ     ス   


 以上から、ルウィットにとって連続性という形態は、すべての作品を制作するうえできわめて重要な要素だと考えるよりも、むしろ「観念を伝える良い手段としての‘システム’」として重要であることが確認できるだろう。そして、この“物語的な連続性”システムが今後の彼のあらゆる作品において、最重要基礎のシステムとなることを認識しておかなくてはならない。彼に、中性的で非物質的なシステムというこの媒体を強制したのは、以上のような彼をとりまく諸々の条件から見出され、確立されつつあった芸術観念からくるものだったのである。『美術作品がどんな見え方をするかはそれほど重要ではない。物理的な姿をとっているかぎり、それは、必ず、何かのように見えるはずである。最終的にどんな形態をとろうと、そのはじまりには観念がなければならない。アーティストが関心をもつのは構想と具体化のプロセスである。』

3. 規則に従う

『 もしアーティストが作品制作の繧ナ気を変えることがあれば、彼はそのハに対して妥協したのであり、閧ゥえしのつかない結果を甘受しなけホならない。
 観念は必ずしも論理的秩序どおりにすすまない。それらは人を思いがけない方向へ向かわせることもある。だが、観念は次のものが形成されるまでに必ず心のなかで完成されていなければならない。
  プロセスは機械的であり、みだりに変更されるべきではない。予定通りに遂行されるべきである。』

『 アーティストがコンセプチュアルな形式を用いる場合、それはとりもなおさず、プランニングの決定のすべてがあらかじめなされるので、制作はただ機械的に行われるということにほかならない。観念がアートを作る機械になるというわけである。
 あらかじめプランを設定してから取りかかるのは、主観を避ける一つの方法である。そうすればまた、それぞれの作品をいちいち設計する必要もなくなる。プランが作品を設計するのである。プランによっては何百万のバリエーションが必要になることもあろうし、限られた数ですむこともあるろうが、いずれにしても有限である。無限をほのめかすプランもあるだろう。しかしながら、ともかく、問題解決をはかる基本的な形態とルールを選ぶニになるのはアーティストなのである。そ縺A作品を完成させるまでの過程ネされる決定は、少なければ少ないほど「。そうすれば恣意性や酔狂、主観的なものをできるだけ少なくすることが出来る。これこそがこの方法をとる理由にほかならない。
 もしアーティストが自らの観念を遂行して目に見えるかたちにするとすれば、そのプロセスが重要になる。観念それ自体は、かりに視覚化されなくても、どんな完成品とも変わらぬ美術作品である。その間に介在するどんな段階―――落書き、スケッチ、ドローイング、不成功の作品、モデル、習作、思考、会話――もおもしろい。こうした、アーティストの思考のプロセスを見せるものは、ときとして最終作品以上に興味深いことがある。』

全てのアイディアがあらかじめ提案・そして決定されるので、ルウィットの関心事は終了した形態としての作品よりも、その発展の過程にあった。その発展過程、つまり制作のプロセスはルウィットを論じる多くの場合、「思考の外観」、「観念の埋め合わせ」、「思考の訓練」、「イデアの再現」、「知覚のずれの発見」、「最終的な抽象の、精神的段階である」 などと言われ、定義される。しかし、そういったこと以上に、何よ烽ワず、それはそのプロセスを『規則に従い、セ語の)ゲームを遂行する』ことK則とする実証過程であるということに着目ラきではないか。『規則に従う』とは、あらかじめ決められたルールを単調に、そして退屈にも繰り返し機械的に行うということであり、『規則』というものは人がいかに行動するべきであるかを定めるものである。それを、ルウィットは芸術の観念の一つとして規則にしてしまったのである。そして『「あらかじめ決められた規則に従う」ことを規則とする』一つのシステムに作り上げてしまっているということに気づかなくてはならないのである。
ルウィットの変換シリーズ作品は子供の頃使ったブロックの変換遊び程度の簡単な組み合わせ(もしくは簡単な算数)のようである。(図2・3)その規則には根拠や意味規定といったものは無く、ただ片っ端から残さず、成り行きにまかせてやっつける、そんなの盲目的になされるプロセスを暗示する態度がある。そして、そこにあるのは、あるゲームのルールをその途中で勝手に変更してはゲームにならなく、そのゲーム自体が全く違う物になってしまうという考えと同じく、その規則はみだりに変更されないという規則なのである。これは、盲目的規則の遂行途中には新たなアイディアが派生する\性もあるだろうが、そのアイディアiゲームのルールが途中で変えられないのと同ノして)その遂行中の規則に取り入れることはできないという規則を主張したものなのである。そういった主張は、通常、その絶対的なプロセスの遂行によって完成される。人はこの規則の絶対強制の原因を、あらかじめ決定された観念と作品の結果との間に起こりうる知覚の差異を作らせない為のものであると予想するかもしれない。しかし、この予想を後目に、ルウィットにはそういった‘知覚の差異について’のような神経質な問題意識はないのである。そうではなく、興味深いのは、その盲目性の規則をルウィット芸術の一つの規則とすることを最大の事項にしているという、その規則システムの重大性なのである。『ひとたび作品の観念がアーティストのなかに確立され、最終形態が決定されると、そのプロセスは盲目的に遂行される。』 そしてこの規則には、ルウィットの芸術を一つのゲームと例えるなら、そのゲーム進行のためのルール(規則)として従わなくてはならない絶対性があり、そうなると前提としてそのシステムの存在を把握しておかなくてはならないのである。

今艨Xは以上の規則、「規則に従う」から成立する、他K則との連動性も発見することができる。鴻Zスが盲目的に遂行され続けるのであれば、―サこに取り入れられることはないのだが、――そこに新たな観念というものが派生するのが常であろう。この一つのプロセスを連続体のプロセスに置き換えれば、この派生は、単調な連続性に派生する予測外の出来事やアイディアの発見として、その規則に付随する物語の展開(ドラマ的展開)の一つとして機能していると理解することができるのである。そして、これも単なる偶然の連動展開ではなく、ルウィットのシステムという芸術体系の観念に折り込み済みの事実であることに疑いはない。(但し、新たに発見されるアイディアの各種は偶然的。) なぜなら、これこそが彼の考える、遂行に先行した観念、あらかじめ決定された規則の遂行の芸術規則であるからだ。そして、派生された新たな発見という事件を含んでさらに、次の豊かな観念の展開へと導かれていくのである。さらに、その派生観念をそのプロセスに即時に取り入れることをしないことによって、次に来る作品に有効に取り入れることができ、観念の一時的な保存が可能であるという点も、ルウィットの作品傾向ナ有のシステムを活性化する意味で有意義なものであるw幾つかのアイディアはたったの一度だけなさ髟K要があり、他の物は新しいアイディアを導きまB幾つかのアイディアは時々眠った状態(実施されていない)にされるかもしれないし、それはまた異なった文脈の中で使われるかもしれません。』 こうして、単調な規則の繰り返しの盲目的な従順を規則化することにより、変化・動きのある物語性が生まれ、ルウィットの目論む連続性が出来上り、同様にして、その他の彼の芸術の規則にも関係していくのである。

『観念の知覚は新しい観念にみちびく。』

AMK:アバンギャルドの観念は私には神話と現実の両方、致命的で滋養になるものの両  方に見えます。あなたは視覚芸術に本物の改革の価値があると思いますか?
SL:改革の価値があります。
AMK:それはなんですか?
SL:一つの物はいつも他の物を導きます。

規則に従う
              「規則に盲目的に従う」という規則を前提に
                           ↓
あらかじめ決定された観念→規則に従って行われるプロセス→作品完成へ
                      ↓  ↓  ↓  ↓ ←新しい物語性の発見
            新たにカした観念(変化・動きのある観念を保存)→新ネ観念へ→?・・?
                @          ↑
                  このシステム全体が一つの作品


    AW:あなたの作品の中にある主要な緊張感の一つがアイディアと素材形態におけるその具体化の間に存在するとするならば、実現されていなかったアイディアは実現されたアイディアよりもより重要であるということがあり得るのでしょうか?
    果たしてあなたは最終的な物体の不必要性さと考えたことがありますか?
    SL:決して実現されてはいないが、重要であるという多くのアイディアがいつでもあり、そしてそういったものは、実現されるであろう他のアイディアへと導き出すという点で重要なのです。私はいつでも私の作品を維持し、そこには二重の焦点があり、そのアイディアと、そのアイディアの結果は共生によるものであり、あるものをその他の物から引き出すことは不可能なのです。私はもし物がただ一つの観念として存在するのならば、つまりそれは完全な観念であると決して考えたことはありません。私は、その循環は完ネものであり、芸術作品でなければならない、という観念をチていました。

4.無限と有限

『連続的な構造ヘ規則的な変化を伴った多数部分の要素から成る作品であB部分部分の間にある違いは構造の主題(主体)である。いくつかの部分が規則的に続いたままであるならば、それは変化で区切りをつける。その作品全体は細分したものを保持し、独立している(内因性のもの)かもしれないが、それは全体を構成する。』
「Serial Project No.1(ABCD)」
連続性規則は一見、単調で終わりのない、馬鹿のように続く無限の組み合わせの可能性を予見する。しかし、ルウィットの場合、その繰り返しは有限でなければならない。その証明は以下の引用が助ける。『我々は皆、無限な可能性と有限な現実とが存在する、とは何の事かを当然知っている。というのも、時間と物理的空間は無限ではあるものの、しかし我々は常にその有限な部分のみを見ることができ、体験できるのであると言われるからである。』 さらに、我々は、「以下これに同じ」とか「?・」いう表現を諸事項に付け加えるだけで、簡単に無限に達することができることも知っている。もし芸術作品としての諸作品が、無限で単調なものであり、ルウィッ芸術のように作家自身は作品を制作しない、第三者委託の形式ニる創作活動であるとすれば、「以下これに同じ」や「」は規則に従う芸術ではなく、作業となってしまう。そうなニ、それはルウィットの芸術観念の本末転倒である。つまり、前提された観念を連続性の規則というシステムのなかで遂行する、ルウィット独自の諸媒体を手段にし実証する試みは、それを見、経験させることのできる有限の範囲内において実証しなくてはならないからである。あらかじめ観念が決められるので、ルウィットのシステムはその決定された観念という目標に向かって達成されるプロセスでなければならないのである。その目標こそが、‘有限性’によって作られているのである。
有限の有用性について、もう一つ挙げれば、それは、ルウィットの望む、一様でない、物語性のある連続作品のためのものである。およそ、外面に現れる形態は、形式的でほとんど退屈な繰り返しの相貌形態であるにもかかわらず、その内面ではその規則に対して新たな観念が創造され、プロセスが進行されるその連続作品。そこでは外見の平等な単調さに対して、内面においては始めと終わりが明白にされ一つの物語の観念が完結している。これは、マイブジの作品を考えれば明らかになるであろう。写真フレームの単調l角枠の繰り返しの内側部分では、確実に何らかの変化が生トいるのである。そして、そこには出発と完了までの、一つの牛s為の過程が示されているのである。有限でなければ、また完結や終わりもない。同様にして、単調な繰り返しに思える『不完全に開かれた立方体』(図2・4)や『Serial Project No.1.2』(図2・5)のバリエーションも同様にして有限性の規則からの解釈で接近することができよう。これら連続作品の有限性は、たとえれば、一冊の本の様な物なのである。それは、一頁からはじまって、最終頁にたどりつく。こういったものがルウィットの有限システムの仕組みである。

AMK:10,000という数は非常に大きな数ですか?それとも無限ですか?あなたがそれ(その数)を使うとき、あなたは何を指し示しますか?
SL:多くです。
AMK:あなたが可能性のセット、組み合わせのシリーズを調査(探査)する時、あなたはいつも有限の状況を構成しますか?
SL:はい。私はいつも有限の状況を使用することを試みています。
AMK:無限のコンセプト(もしくは未知のコンセプト)はあなたの芸術においてある場所を持っていますか?
SLいえ。

5.全体と部分

立方体の最も面白い特性はそれが比較A退屈な(つまらない)ことである。その他あらゆる三次元のヤと比べると立方体はほとんど積極的な(攻撃的な)力も欠き、?ら動きがなく、少しも感情的でない。従ってそれは、そこから作品が生じてくる形態上の考案なのである。それ以上に、より念入りな(精巧な)機能の基本的ユニットとして使われる形に最も適しているのである。なぜならそれは基本であり、普遍的に認識されており、いかなる意図も観る人に要求されている。立方体が立方体その物を表していると直ちに理解される。幾何学的な形象は文句なしに認められるそれ自身であるところのものである。立方体を使用することは他の形象をつくり出すという必要性を不要にし、その機能を創案(創造)の為に取っておく。「The Cube」

 『例えば芸術家が、走っている男の写真を制作することを決めた時、各々フレームは一つの必要な部分であり、しかし一つの部分にすぎないのです。しかし、各々の部分を制作することは雑用であることかもしれないし、そうでないかもしれません。』 これをルウィットの作品で言いかえれば、カメラを通して焼かれる写真の一枚のフレームが作品の舶ェとなり、その部分の積み重ねによって一つの作品、つまり全体としフ作品の完成に至る。このように、部分が全体を創る連続体のiが、システムのという非物質的で抽象的な規則と組み合わさって作ニなった時、部分と全体の役割はいかなるものか。
複合的モデューラー方式、彼のジャングルジムともいえるスケルトンのキューブの組み合わせには、単純で取り込みやすい形態が故意的に選ばれている。(図2・6)その形態そのものの『グリッド』はその当時ロザリンド・クラウスらが、しばしばミニマルアートとな関係等で取り上げる還元形態の一つであった。しかしここでは、その当時のグリッドの概念とルウィットの『グリッド』の扱いをあえて切り離して考えるべきであろう。なぜなら、思い出さなければならないのは、ルウィットにとってのその基本ユニットの単純立方体の使用は、単なる作品の一部分としての‘システムの一部’なのであり、その形態は作品全体の文法を作りだす単語(単位)となることを目的として使用されたものであったからである。さらに、基本ユニット(立方体)の取り入れの理由は、それが作品全体の本質的な部分になるよう、また故意におもしろみをなくすに越したことはない、「った程度のものであったからである。しかしながら、その意図とは対照ノ、完成されたモデュール作品は、視覚的効果の大きいものでありサの視覚的美しさからも、瞬時にその全体性から何かを読みとろうと驩?釈になりがちである。例えば、歴史的芸術の諸問題としての空間的問題、遠近法の問題、次元の問題、彫刻と絵画との間の問題、視覚的問題、等々として。しかしながら、ここにおいてはその解釈を訂正しなくてはならないと思う。ルウィットのモデュール作品において、その制作は、あくまでも一つの部分としての立方体から始め、ついには全体としてのある形態を生み出す連続システムに従っているからである。ここにおいても、部分から全体へという発展プロセスに従う、一つの規則が確立されているのである。このタイプの彼のシステムにおける「規則」は、その形態(立方体)が手段となり、この配列が目的となって遂行される。つまり、あらかじめ決定されるべく観念はその配列であり、その目的に向かうその規則の遂行には、部分となる立方体が手段として用いられるわけなのである。(図2・7グリッド)以上より、これらモジュール作品は単なる視覚芸術や三次元彫刻とは言えない。むしろそれは観フ形態、部分から全体への視覚化プロセスシステムの成果ということができ、。そして、最終形態の瞬間的な作品把握(つまり視覚的効果)に頼アとをしない、創造プロセスのシステムの提供を目論んだ芸術なのであB
同様にして、ルウィットの作品、ウォールドローイングや本という形態にこだわった作品群にも同様のシステムが当てはまることにも注目したい。つまり、一壁面を部分とした全体性へのプロセス、本の一頁を部分としたその集合で構成される全体性としての本の頁のプロセスである。ルウィットにとって、部分と全体は常に意識されて適用される作品観念のシステムの一つなのである。(以下、該当のインタビューを抜粋)

SL:わたしがKonrad Fischerにて行ったウォールドローイング#3は鉛筆の線の帯であり、それは丁度1メートルの高さがあり、壁全体にわたっています。私は壁上に異なったものと置くということよりもむしろ、壁全体を使っていました。それこそが壁の空間のアイディアであり、つまり空間の全体なのです。
Andrew Wilson(以下AW):ウォールドローイング#2のようなブロックの壁の上に異なった物を載せたドローイングシリーズ(A)(24Drawings)はちょっと何か?・
SL:絵を掛驍アとに似ている。
AW:?というよりも、むしろページレイアウトとすら言えるSL:ええ。
AW:そして、ウォールドローイングの為のアイディアは、Therox bookの本の為のドローイングを創ることからきっかけになったのですヒ。
SL:はい。それは同時に行われました。これら初期のウォールドローイングはそれこそ私が何かしつつあったところのものなのでしたが、そこから来たものです。私はかつて壁上にドローイングをするということのアイディアを持っていましたが、これは現に初めてのことなのです。私はThe Xerox bookで働いていました。まだそれを終えたばかりで、それは私の心の中では正にドローイングでした。私は壁全体のアイディアを持ってはいなくて、ただ壁の上にそれを載せるというアイディアだけありました。
AW:本はひとつの連続性の物語構造の最初の例であり、なぜなら、あなたはページをめくっていますが、いつでも、いかなるページにも行くことができるのです。
SL:その通りです。
AW:そして、本の形態はドローイングの連続的な連鎖を見せるための方法をより純粋に抽出されて与えられたのではないですよね。そういったことを壁の上で行うというよりもむしろ。
SL:おそらく少なくともフ通りです。なぜなら、壁上でそういったことを行うと一度にその全体物を見るこ?意味するのです。しかし本であれば各々一つ一つを独立して見るだけなのキ。そういったことが1974年に『不完全に開かれた立方体の変化』を本ト行った理由です。その本は一つの部分です。三次元の現実化と、ドローイングと、写真があります。そして、ドローイングと写真は本になりました。しかし、全てのドローイングと写真とが壁上にある時、人々は一度眺めるだけで全体物を見ます。
AW:本の作品の創造は不断の関心事でした。あなたはLucy Lippardやその他の人々と共に、プリンティット・マターの創設者であり、芸術家の本をより簡単にそして自由に利用できるものにしました。
SL:実際多くのコンセプチュアル作品は壁上のものよりも本の中に存在します。全ての者が壁上で書かれたものを読むことや、全てのものが壁上で表現されたのを見ることは本当に難しいことです。もし、あなたが家で座ってその一部分を今見たり、明日見たりそういったことはより簡単なのです。
 そしてまた、本の価格は芸術作品より、より安かったのです。誰でもそれを所有することができ、その各々は実際にそれ自体芸術作品でした。我々vリンティット・マターのアイディアを、これらの本を人々の手に入れる手段として持トいました。通常、ディラーたちはそれらのことを展覧会の部分として行い、轤ヘそれらを分け与えていたかもしれないが、プリンティット・マターとそのフ何かがこれらの本を与え始めるまでは、分配の重要点はなかった。

6.第三者ドラフトマン

『 アーティストはウォールドローイングの構想を立て、その設計をする。それを具現するのはドラフトマンである。(アーティスト自身がドラフトマンを兼ねるも可。)プラン(文字、口頭、スケッチによる)はドラフトマンによって解釈される。
線も言葉も観念ではない。それらは観念を伝える手段である。
ウォールドローイングは、そのプランが侵犯されないかぎり、アーティストのアートである。侵犯された場合には、ドラフトマンがアーティストとなり、その作品は彼の作品と言うことになるが、そのアートはもとのコンセプトのパロディでしかない。
ドラフトマンはプランを追っていくさいに誤りをおかすこともある。どんなウォール・ペインティングにも誤りはつきものだが、それらも作品の一部である。
プランは観念として存在するが、その最適の形態に変えられな黷ホならない。ウォールドローイングという観念だけではウォールドローイングというOの矛盾である。』

『 ドラフトマンが違うと、その人によって線が太くなっ闕ラくなったり、互いに近寄りすぎたり離れすぎたりする。彼らがそれなりに一オているかぎり、どちらがいいともいえない。』

AW:あなたのアシスタント達が行うことがかつて間違った結果へと導くことはあり得ましたか?あなたはかつてこれらウォールドローイングの一つを見て、“悪く行われている”と思ったことはありますか?
    SL:いいえ、ありません。たとえ悪く起こったとしてもそれは私の指示が間違えていたのであり、その施工が悪かったのではないのです。

以下のシステムは、作品内部のシステムというよりも、その外部のシステムとして把握される。そこではまず、ルウィットの作品の命題ともいえるあらかじめ決定された観念がその命題を明確に知らせるため、紙に書かれた図形や記述書(指示書)という形態にてあらかじめ用意される。(それは説明文やタイトルといった形式である場合もあり、建築で言えば設計図の様な役割を果たすものである。)その指示書を作品制作(または解釈)の糸口にし、その制作を委任されhラフトマンは命題に向かってその指示書の規則に従うことになる。 紙にかかれた指示や?に従うドラフトマンの行為は、芸術家の制作というよりもむしろ技術職人の技(作jといったほうが良い様に思える。しかし、ルウィットのドラフトマン適用のシス?は以下の観念からくるものだったのである。

『ドラフトマンと壁は対話を始める。ドラフトマンは退屈(うんざり)してくるが、後にこの無意味な行動を通じて平和(静けさ)と苦難を見出すのである。壁の上の線はこのプロセスにおける残留物である。各々の線はその他、それぞれの線と同様に重要である。全ての線は一つのものになり、その線の鑑賞者はただ壁の上の線をみることができる。それらは全く意味がない。それが芸術である。』 「The Draftsman and the Wall...」
しばしばルウィットの制作方法は、彼の経験として建築家I.M.Peiの事務所で働いていたことで指摘される。ルウィットはそこで、1955−56の一年間、グラフィックをやっていた。そこでの影響について問われた時ルウィットは以下のように答えている。『建築家の事務所で働いていると、建築家に会い、建築家が大きな影響力をもっていることを知りました。建築家がシャベル持って行うことも、彼の基礎地を掘ることも、全ての煉瓦を並べることもありません。それでAかれはアーティストなのです。 不幸にも、建築家や視覚芸術家はときどき宿命的な敵フです。(少なくとも多くの建築家はそう思っています。) 』そして、ウォールド[イングについて芸術家とドラフトパーソンとの間の共同的取り組み(作品)を考えた時、作者は建築家と同様にして命令権を持つと言う。しかし、ルウィットの意図が建築家のそれと違うのは、職人の解釈があっていようと、まちがっていようと問題ではないということである。ドラフトマン適応の規則は、ルウィット芸術の本質を生み出すための手段なのである。即ち、ここでの職人の解釈はルウィットの望む変化を生み、解釈の可能性を広げるのである。そして、各々職人の作る部分解釈は全体のプロセスと全体のアイディアの内部に閉じこめられるわけなのです。
以上、ルウィットの芸術の新たな切り口、システムについてみてきた。一度作品の中にシステムの存在を見るとその後は、彼のアイディアの多くがシステムという体系において成り立っていることがわかり、次々とその作品の展開を関連付けていくことを可能にする。作品のプロセスをに様々Vステムを作り上げているのは、彼の『Sentences on Conceptual Art』や『Paragraphs on Concepl Art』からなる規則であることも、改めて認識することができたのである。システムとい?物質的で中性的な媒体を扱うことで、既存の芸術の枠にはまらない、独自の展開を可ノしルウィット芸術の方向性が確立されたていったのである。


3.ルウィットの言語ゲームとウィトゲンシュタイン

1. 経緯

ルウィットの作品傾向は初期の頃から、文字を作品に取り入れ、三次元の作品から二次元へと続く視覚的効果のあるものであった。これは彼の書く文章やインタビューからだけでなく、三次元レリーフ作品への文字の導入からも明らかに読み取れる。(図3・1)ロバート・ピンカス・ウィットンはルウィットの視覚と言語の“等価性”の達成が“ミニマル”還元のすぐ後に続いて来ただけであると観察した。 その当時、ルウィットの作品の、その形態とその動機づけられた構造は非常に還元されていたので、それらのは記述をもたらしたのであろう。ルウィットは、文字と芸術作品の等価を目指す、ジャスパー・ジョーンズのアルファベットや数字のシリーズ作品(「Grids of alphabets and numbers」)や、マイブリッ写真作品(「Motion-study photographs」)から、物語性のある連続のシステムを発見し、彼らの思想ヌによって大きな影響を受けていた。特に、マイブリッジの写真家としての「論理実証主義的i」傾向とウィトゲンシュタインの「論理実証主義思想」がルウィットの哲学に対する興?増長し、彼の作品傾向に影響を与えたことはしばしば指摘される点である。 ルウィットのウィトゲンシュタインからの影響、特に文字を扱う表面的類似においては、前者『Sentences on Conceptual Art』や『Paragraphs on Conceptual Art』の文書の形式と、後者『論理哲学論考』や『哲学探究』との間にはっきり見受けられる。さらに、類似はその論法と形式からだけでなく、共通する思想からも見て取ることができるのである。我々は、その当時の芸術の流れにおいても、芸術家に与えたウィトゲンシュタイン哲学の影響は大きな存在であったことを認識しないわけにいけない。 まず、ルウィットのウィトゲンシュタインとのつながりで欠かすことの出来ないものは、ウィトゲンシュタインの『哲学探求』へと発展するの前段階の著作『青色本』である。それはルウィットの『Sentences on Conceptual Art』や『Paragraphs on Conceptualt』と同様に、簡潔ではあるが矛盾を含む、ウィトゲンシュタイン初期観念の集大成のような著書となトいる。ここに、その一部を紹介し、その影響を随時指摘しながら、ルウィットの芸術の解釈に努スい。

――ウィトゲンシュタイン『青色本』引用――
     言語のはたらきは、あまった心的過程と切り離せないように見える。言語はそうした過程を通じてのみ機能しうる。つまり、理解したり、意味したりといった過程のことである。こうした心的過程なしでは、われわれの言語に属する記号は死んでいるようにみえる。また、記号の唯一の機能は、そうした過程を引き起こすことであり、こうした過程にこそ我々は関心すべきであるようにみえる。?言語の作用は、二つの部分から成っていると考えたくなる。一つは非有機的な部分であり、それは記号の操作である。もう一つは有機的な部分であり、それを我々は、記号と理解すること、意味すること、解釈すること、つまり、考えることと呼ぶだろう。こうした活動は、心というある奇妙な媒体のなかで生じる。そして、心のメカニズム―――その本性を完全に理解することはわれわれにはできないと思われるのだが――は物質的なメカニズムによって決してもたオえない効果を生み出す。 (同様のものが『哲学探究』第一部 432節にても取り上げられている。
2.言語の使役

「ルウィットはマイブリッジ的視覚の科学的正確さを言語ゲームに変形させ、不釣いで、常識に反した、言語とイメージと意味の関係を表現した。」 それでは、ルウィッフ言語ゲームとはいかなるものであったのか。以下に、かなり多く自分自身の文章を残し、またインタビューに返答しているルウィットの言葉、その内容解釈に努めながら、その分析を行っていきたいと思う。
 概要(観念)が物体に先行することを希望するルウィットの作品は、しばしばその先行を助ける方法として、‘指示書’や‘タイトル’という言語の形態で作品を表現する。(それに比べて、ジャッドやフレイビン、アンドレはそういった言語概要を形式的組織の単なる方法として見、それ以上のものではなかった。)ここから言語の使命としての言語ゲームが展開されるのだが、それはいかなるものだったのか。
簡単に言ってしまえば、ルウィットの言語ゲームとは、彼の一つの観念を前提に、それを表す言葉、つまりその中間媒体となる指示書やタイトルとしての文字を芸術に取り入れることにより、観念から視覚的怩ヨの作品化の適用を助け、一つの循環を創り出すことである。指示書やタイトルは観念発見のための方向?指示しているといってもよいだろう。それはその進行を助け、一つの方向性、つまり矢印的な働き、まヘ、プロセスを決定するそのゲームの文法として機能するものとなっている。この一連の流れフがルウィットの言語ゲームである。我々はゲームと言う言葉を、勝負や競争と言う意味で解釈してはならない。なぜなら、その言語ゲームはウィトゲンシュタイン哲学における思想の一つとして考えられるものだからである。ウィトゲンシュタインの言語ゲームの定義は以下の通りである。
「私はまた、言語とそれが織り込まれる諸活動の総体も『言語ゲーム』と名づける」(哲学探究 7)。「我々の明瞭かつ単純な言語ゲームは、将来の言語規制を目指した予備研究なのではなく、――いわば、摩擦や風圧を顧慮しない最初の近似である。むしろ、これらの言語ゲームは比較の対象として提示されているのであり、それらは、類似や相違を会して、我々の言語の諸状態に光明を投げかけるべきものなのである。」(哲学探究 130)  「(言語ゲームとは)普通の見方からすれば言語とは独立の、言語が話される場面?件や脈絡のすべてをそこに含み込んだものなのである。だから、場合によっては、表面上は全く言葉が使われ「ような言語ゲームさえありうることは、注意されてよい。」
このように、ウィトゲンシュタインの言Qームは多様性をもち、それら言語ゲームは(明示的に立てられうる)規則から成り立っているのヘなく、(盲目的に遂行される)習慣/プラクティスによって出来ている、という見解に達することになるのである。「語の意味とは言語ゲームにおけるその使用である。」というテーゼである。そして、ルウィットはこれをそのまま自身の言語ゲームの定義に適用し、進行させているようである。そのゲームを成立させたことは、さらにルウィットのウィトゲンシュタイン思想への親近、影響関係を証明し、以下に続く作品の実践においても実証されている。


言語ゲームの図式
―――言語や対象や観念について言語で語る。―――
初期 : 正方形、立方体、円、色→言語で説明(長い説明文)→図解
後期 : 語りえぬものや想像出来ぬ形態、つまり不可能の可能性→言語で説明(簡潔なタイト
    ル)→図解
    【命題(対象・事物・事項)】→【諸事態】→【事実】
    【観念】→【文法K則/プロセス】→【視覚的空間/壁画で実証】
             (ついには)↓
      (視I美しさ/論理的空間の把握/浸透へと関心が移る事を予測できる。)


さて、上記でいうところの“言語燒セ”の部分は、つまりルウィットの用いた独自の『指示書』(図3・2)という、作品の設計書で驕B初期の頃の指示書は、観者を退屈させてしまうほどの退屈で長ったらしい説明書という形で始まった。(図3・3『Location Drawings』)しかし、その指示書も次第に簡素化され、タイトルのみでその作品の解釈の糸口となるものになっていった。その当初、そういった多大な情報量の『指示書』に単純化という変化をもたらした原因はいかなるものであったのか。ルウィットの初期の頃の芸術観念は、単なる文字と物質作品の間に等価を求めるものであったと言ってよいだろう。その為、ドローイング作品と同じ表面上に文字が扱われ、等価性を意図したり(図3・4)、その長ったらしい指示書がドローイングと同レベルの状態で展示された。
その後、ルウィットは、自分の記述をいっそう正確、精密にすることによって、あらかじめ決定された観念が第三者によって誤解されることを拒否し、言語にウれたその意図を観者やドラフトマンに可能な限り厳密に伝え、確実に理解させ、それを遂行させようとした。しかAその動きは、あたかもルウィットが、言語を作品化するためのその遂行に完全な正確さを求めることだけにし他のことを忘れて、言語から正確な図解へという一貫の流れだけが、芸術の目的であるかのように見トしまったのである。
しかし、次第にルウィットはその観点のずれに気づき、その言語の冗長によって観者を退屈させたくないということの方に意識を向け直す。そしてそれを簡潔化していくことに作品の意義や効果があると判断するようになった。かつての冗長は彼の言うように(下記インタビューより)、その当時のコンセプチュアルアーティストに対する風刺であり、コンセプチュアルアートという分野を完全に否定することを意図するものからきたのであった。しかし、改められた的確な言語の使用は言語、命題、思考の本質を問うことのうちに表明されていくものとなり、同時に芸術における言語の使用を、真の言語ゲームの観念として芸術の文脈に確立していったのである。それは、芸術における言語の重要性というよりも、むしろ言語ゲームのシステムようなものにルウィット芸術の観ェ移っていったことの証明ともいえる。ルウィットは言語の厳密な理解よりも、むしろその言語で示された規則の解釈やフ理解の可能性を広げるゲームに興味を持つようになり、言語はその解釈のひとつの糸口として機能するのでェとなったのである。

AW:?・連続性のもう一つの結果はある程度のパラドックスを秘めたことです。――P純なシステムが複雑な結果をもたらす所の、又は論理が不合理性を孕みさせ得る所の―――これはあなたが意識的に目指すものなのでしょうか?
SL:(中抜け)あなたが情報を与えれば与えるほど、一つの『円』の様に非常に単純な形態や形象を構成するようになるまでには、より途方もないものとなり、あなたはテクスト三ページ分(の情報)を要したかもしれない。ある意味それは観念の拡張であり、つまりその冗長は、単純性と単一性を作ったのでした。今思い返してみると、私はそれが又ある意味、その当時に満ちあふれていた、より進んだコンセプチュアリストの幾人かを風刺していたものであると思います。私は本当にそういったものと同様の一つの動きの概念化されたものとの関連性はありませんでしたが、その他の種類の概念を生み出すために抽象的または幾何学的な形態を使キることに、より興味を持っていました。しかし、哲学の戻り水の中に入ったのではありません。
AW:あなたはまた、あなフ作品が形而上学に非常に関係しているとおっしゃいましたか?
SL:人の線描が現実の人物ではないことは明らナす。しかし、ラインの線描は現実のラインなのです。
AW:そして1970年あなたはまた、あなたが好んだ一フ芸術は“言葉では伝えられないほど十分利口な”ものであったと書きました。
SL:それはちょうどある意味、賢さというものは、私が非常に尊敬していた一つの属性(特質)ではなかったということなのでした。私は、人はいつ非常に聡明(インテリ)過ぎないかを知るに十分聡明(インテリ)であるべきだと感じるし、また物事が手にを得なく、非常に複雑であるとき物事を単純に保つべきだと感じました。おそらく私はより難しいコンセプチュアリストの幾人かについて話していたのです。しかし、例えば私は数と日付けの使用を非常にうまく遂行して制作したハン・ダーボバンのような作家を尊敬しました。また同じ方法におけるオン・カワラのことを思い出すことができるでしょう。

クラウスによると1960年代当時の多くのコンセプチュアル慣例は以下の軸に位置され「る。(必ずしもこれが当てはまるとは思えないが、一例として挙げる)
(ルウィット)                @   (コスース)
視覚経験                     : 言語上経験
起動的観念   @           : 静的観念
外界(客観的)存在性、外在性(形式主義) : 内面性
世界におけカ在                : 存在
見ること、知ることを望むができない自己  : それ自体の自己現在性 

 次に、もう一つ、言語に関するルウィットの使役で、忘れてはならないものは、『Sentences on Conceptual Art』と『Paragraphs on Conceptual Art』という非常に有名な文章、命題集である。これは、彼自身のアートに関する観念を、規則のように記したものであった。これらのように、作家の観念を簡潔明快に提示されると、これによって、彼のアイディアの理解の多くを助けられ、単なる文章なのか、彼の観念を言語化した芸術作品としての概念の言語化なのかが曖昧になってくる。しかし、以上、二つのタイプの文字の使用で認識しておかなくてはならないのは、前者(指示書)は作品の一部というよりも、一つの作品として機能していフに対し、後者(『Sentences on Conceptual Art』と『Paragraphs on Conceptual Art』)はそうでないということを意識的にルBット自身が明記していることである。作品として扱われる文字とその観念を助ける機能としての文字の差別化、こゥらルウィットの考える芸術の方向づけが発見できるであろう。つまり、前者は文字とその使用される媒体の等価をエすものから発展した、言語ゲームという一つの媒体としての作品であり、後者は作者の観念や作品の制作方法をシステム化、公式化し、その組織立てを助け、証明したそのゲームのルールブックの様なものなのである。

    『 これらのセンテンスはアートにたいするコメントではあっても、アートではない。』
『 これらのパラグラフを至上命令のようなものにするつもりはないが、ここに表明された観念は現時点での私の考えに最も近い。これらの観念はアーティストとしての私の仕事の結果であって、私の経験が変わるにつれて変化していくことだろう。私はそれらをできるだけ明確に述べようとした。私の表明が不明瞭だとすれば、私の考えものものが不明瞭だということになるかもしれない。こうした観念を記述しているときにも、そこには明らかオ盾があるように思われる。?』

(言語使役の一例としてインタビューの一部を抜粋)
SL:言葉は必要なときに使われるが、それら「つもそこにあります。(たとえ一言でも。)幾つかの作品は一つ一つ作品の作り手としての意味の点、理解、解釈?向づけの点で言葉の機能と関係し、他の作品は他のものと関係しています。
SL:幾つかのウォールドローイングはプラ?必要とし、他のものはそうではありません。タイトルは十分ですが、その内容であるものとしての手掛かりがあるべきです。それは曖昧であるべきではありません。時々完全に書かれた指示書は作品の理解を助けるよりもむしろ、妨害します。
SL:私は長ったらしい説明書で人々を退屈させたくありませんでした。これらは言葉を使用して地理学の様に正確な位置を述べるために言葉を使うやり方です。私はそれらを私の詩として考えています。その指示書はしかしながら役立つべきなのです。(利用出来るので)しかしながら、熱心な観賞者が作品のプロセスを理解するかもしれないのです。

3.言語の理解

『語は命題結合の中でのみ意味をもつ。これは‘棒は使用されてはじめてレバーである’、と語るようなものだ。適用されてはじめて、棒はレバニなるのである。』
ルウィットは作品に、彼の哲学の興味に沿った『四角形』『三角形』『球』『線』や『色』といったスペシフィック`態対象を多く選択し、指示書に示した。それらを現前させる、ルウィットの目論見は以下の様なものであった。
 あCメージを持つことがその言葉の理解に十分であり、それを‘理解’であると意味することがあるのならば、『四角形』『三`』『球』『線』や『色』を想像させる言葉は、特定の視覚的イメージとの結びつきが強いゆえに、その最も適した事例を提供するかに見えよう。しかし、実際ここにはこの解釈の方法とは逆に、ひとつのイメージがさまざまに解釈されうるという事実を示す、ウィトゲンシュタインが用いた「投影法」の概念があり、文字通りに使えば、様々な解釈の可能性が存在するのである。生活のあらゆる局面には、自明の理、つまり、そうするのがあまりに当然で、別の可能性をそもそも思いつかないような事実が存在し、誤認している物事の数々が存在することを我々は忘れがちなのである。物事の誤認の数々があるのである。その一つが言語の理解である。我々は、言語が人に何かを伝達できるということを、あまりにも自明なこととみなしすぎているヲち、我々はあまりにも書かれた言語による伝達や、会話における伝達に慣れすぎているから、言語による伝達の全眼目が、私の言葉の意義をlが把握し、自らもまた理解しているように思えるのである。しかし、私がある語を理解していると思い込み、しばらくしサれを理解していなかったということも起こり得るのである。この問題に対する本当の答えは誰が証明しうるのか。それを今や泣Eィットの言語ゲームが、こういった概念と経験概念の間における言葉のその位置においての「イメージと言語の結びつきによる理解」を、芸術における文字の使用によって実証し、有効に働きかけているのである。
ルウィットは、上記の当然起こりうる解釈とは反対に、言語にふさわしい‘イメージ’をもって結びつけることが、その言葉を理解するための必要条件とは限らないことを、『四角形』『三角形』『球』『線』や『色』といった容易にその概念を想像させがちな言葉を用いて実践し、我々を罠にかけて実証する。
まず、我々の生活一般における言語の例で考えてみよう。ルウィットの典型的な言葉以外にも、我々は、言語の中にどんなイメージも呼び起こさないような言葉がたくさんあることを忘れてはならない。例えA挨拶ことばや、祈りや呪いの語、「それ」、「あれ」といった指示語の類である。そういったものを使うたび、聞くたびに、ある特定のイメージサれ、使用している人は、はたしているのだろうか。否。それでも、我々はその言葉を理解していると言う。つまり、言葉ノイメージを重ねなくても、理解はできているのである。また、我々は自分が理解しているという、いかなる根拠もないにもかかわク、ある全く単純な思慮が、「〜は〜である」という、物の直示的提示によって私に確信させているものの数々がある。「いったいそのように理解しているのはなぜか」、と言う問いに対して、私は最初答えを与えることが出来ない。なぜなら、私には、そう信ずる根拠が何もないからである。だが、例え根拠はなくとも、わたしが何らかの心理的な原因を見ているように見える、そんな――アプリオリなと言っても良いような――何かがあるのだ。始めから何の問題もなく到達してしまっている地点の言語習慣が多くある。この場合の理解とは、如何なるものなのか。
ここで再び、ルウィットにおける言語を理解することの仕組みに戻る。(我々はその理解がもっぱら言語ゲームにおける理解であることを忘れてはならない。)ドtトマンの例で考えてみよう。ルウィットの言語ゲームのなかで使われる言語は、色や線、幾何学的形態、垂直や対角線といった我々が単語としては?しやすいものである。しかしその組み合わせとなると(つまり、文章にすると)想像を遙かに越えるものとなってしまうの?る。例えばウォールドローイングの指示書『「赤」「青」「灰」の混合』の色彩イメージは計り知れない。『All combinations of arfrom corners and sides, straight, not-straight, and broken line』(図3・5)も同様にしてあまりにも漠然としているのである。そのため、我々は、この指示された単語、色や線の形態といったものが経験概念によって想像されたその後に、理解されたものとして壁に塗ることはのでない。(例えれば、‘直線’について「これを定規にある線」であるとか「赤を血の色」であると想像する必要がないように。)まず、無条件にやってみるのである。そしてその遂行の結果として、我々の目の前にはその不可解な組み合わせの結果が理解されたものとして表象されるのである。それを証明する典型的な例として『モArtモ; blue lines to four corners, green lines to four sides, and red lines between the worx(図3・6)が挙げられる。第三者の作った既成の文章の上において実践されるこの作品の制作は、ある一定の文字の規則だけを与えられ、そして遂ウれるという、あらかじめの想像が全く出来ない作品である。『「ART」という語から――四つの角へ向かうブルーの線、四つのハに向かうグリーンの線、そして語と語の間のレッドの線』は、文章中にランダムに出てくる「ART」の頻度で作品が決まり、仕上げられ烽フなのであり、前もってされる予想の余地を全く与えない。ただその指示書の規則に従い遂行することによって出来上がる、指示書を理解したものとしての作品なのである。
指示書と壁面(または画面)の前に立たされたドラフトマンはまず絶句し、とまどい、まず、とにかくやってみるのである。その文字が理解されて、制作されているのではない。実践してみて、理解するのである。それは以前まで頭の中での内的なその概念と実践後の事実で、逆転するかもしれないし、一致するかもしれない。だが、そういったことが問題なのではなく、そしてそこから正しい適用が派生してくることに気づくことが重要なのである。我々は、まさしくある概念の代数的表現の応用、言い換えれば投影法的表現の応用をその?から一つ以上考えることができるのだ。つまり、言語の理解からは複数の可能性が派生するということである。
ここに以上によるルウィットの理解のXテムをまとめる。。ルウィットの指示書の適用は、言語が誰かに何かを伝達できるということを、あまりにも自明なこととみなしャていることを指摘し、この誤認の習慣を更正する。ルウィットの指示書は(図3・7)その抽象的な文字の羅列方法をとることからも、そゥらあるイメージを膨らませることは困難である。我々はイメージを喚起させない指示書から、いかなる表象も解釈も媒介せずに、規則だけを把握し制作活動に移らなくてはならない。そのため、言葉にふさわしいイメージをもって行動に移されることが、その言葉の理解の十分条件ではないということは証明される。(これに類似する議論が、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第一部の139節から142節に含まれている。そこで「立方体」という言葉をウィトゲンシュタインは取り上げる。)この言語ゲームにおける理解とは言葉をあるイメージと結びつけるのではなく、その言葉を見て即実践に移ることが出来て一つのゲームとなり、それが理解となるのである。(例えば、文章において、言葉を文ノそって使用することのように。)その時のその使用によって指示書の観念の理解が証明されるわけである。ましてや、ドラフトマンはその時々、各々のiで異なる者がなり、各々が作品に向かうので、文字の理解が最終的に決定的であるとは限らない。するとその理解は、各々の意図に骼タ践によって証明されるものなのである。ある物事の意味解釈には、各々の心的解釈があり、そこにはいくつもの矢印(方向性)があり、ど轤ェ正解かという判断は、ここでは問題とされない。つまり、一つのイメージ解釈というものは論理的には正当ではないのである。複数の解釈方法を見つけることのほうが重要である。そのように投影された解釈が奨励さえされているようである。その為に、ルウィットの理解の仕方はその各々の実践に任されるということになるのだ。指示書を読むことによって、ある方向性が発見され、いったん心に決められたら、矢印の示す方向に向かって進む。よそ見をしてはいけない。それは、真でもあり、偽でもありうるわけだが、選択者が行う適応においてのみ真偽は問われない。たとえ、作者の意図と異なろうとも、いったん作者の手を離れるとその手にかかった者の判断となるからである。その予想外鮪タも作者には含蓄されたものなのである。個人によって、観念が異なるのであるから、その予想と現実が同じであるかを問うことに意義はないのである。黷謔閧熕牛sされたプロセスによって理解は証明される。

 もしアーティストが自らの観念を遂行して眼に見えるかたちにするとすれAそのプロセスが重要になる。観念それ自体は、かりに視覚化されなくても、どんな完成品とも変わらぬ美術作品である。その間に介在するどんなK――落書き、スケッチ、ドローイング、反古にした作品、モデル、習作、思考、会話――もおもしろい。こうした、アーティストの思考プロセスを見せるものは、ときとして最終作品以上に興味深いことがある。
 アートを見て、そのアートのコンセプトが理解されるかどうかは、じつは問題ではない。ひとたび作品がアーティストの手を離れれば、見る者がそれをどう知覚するかにまで彼のコントロールはおよばない。同じものを見ても、人が違えば理解の仕方も違ってくるだろう。

AMK:あなたは以下の様に書いています。『作品がどう見えるかということはそれほど重要なことではありません。』『芸術家は彼の計画の様々な解釈というものを認めなければなりません。それぞれの人ルなって線を引き、また言葉をそれぞれに理解します。』『異なるドラフトマンは線を濃くしたり、薄くしたり、接近したり、一方では遠ざけたりして作り出ワす。それらが首尾一貫する限り、優先(好み)というものはありません。』しかしながらあなたは最近私に以下のことを論評しました。X75年4月にここ、“Matrix”にてウォールドローイング(wd46)が制作されましたが、その線はお互いにあまりにも接近して描かれました。
Sサれらは私にとって非常に重苦しいものでした。
AMK:主観的にあなたに賛成です。しかしながら、ドラフトマンは注意深く(誠実に)あなたの描いた指示書を彼が理解したものとしてそれに従ったのでした。
SL:私には私の好みがありますが、ウォールドローイングは正確に線で引かれました。他の人々はそんな風にそれを好むかもしれません。もちろん異なる人々がウォールドローイングを行うので、それらは違った様相になるでしょう。私はだた、言葉とアイディアは尊重されるということだけを要求してあります。

 『言葉の意味とは、言語におけるその使用である。』

5.まとめ

 ルウィットは、そもそもそれだけを見るならば、単なる音やインクのシミにすぎない黷?、ある種の体系的な仕方で有意味に使いながら、理解に対する独自の解釈をしてきた。ある言葉が意味を持っているとか、人がある言葉を理解している、といフは、そのことばとなんらかの「もの」とが結びついている、あるいは我々がそれらを結びつけているということだ、という考えが成り立た「ことを、言語の規則に従うやり方で鮮やかに示して見せたのである。そして言語の理解を、単なる音やシミではない、何かある「もの」のイメージとしAその何かある「もの」に「結びつける」ことと考えてしまうのも不自然ではない感覚を批判し、実証したのである。それはウィトゲンシュタインが提出した『意味の心象説』批判にも類似するものであり、――要するに、言葉の意味とはその言葉を言ったり聞いたりする人の心に浮かぶ心象(イメージ)のようなものではないということ――彼の哲学の中で最もよく受け入れられ、既に常識化したものであった。二人の人間が一つの言葉に同じ心象を結びつけていたとしても、その二人が違う意味で言葉を理解していることはありえるし、また、違う心象を結びつけていたとしても、同じ意味で理解していることもありえる。なぜなら、同じ心象を持っていても、それを実際K用する仕方が違えば、二人は同じ意味理解を持っているとは言えないからである。それならば、その心象を実際に適用する際の使い方もまた同時に心に浮かぶとすホどうか。心象が同じで、こころに浮かぶその使い方も同じ二人の人は、同じ意味理解を持っていると言えるだろうか。言えないのだ。心に浮?だその使い方を実際に適用する仕方が違うかもしれないからである。したがって、第二の心象も最初の心象の適用の仕方を決定することはできない。心に思bゥぶものをどこまで増やしていっても、もちろん同じことである。このようにしてルウィットの言語と観念との間に築かれた、言語ゲームは完成されたのである。

もしアーティストが自らの観念を遂行して目に見えるかたちにするとすれば、そのプロセスが重要になる。観念それ自体は、かりに視覚化されなくても、どんな完成品とも変わらぬ美術作品である。その間に介在するどんな段階―――落書き、スケッチ、ドローイング、不成功の作品、モデル、習作、思考、会話――もおもしろい。こうした、アーティストの思考のプロセスを見せるものは、ときとして最終作品以上に興味深いことがある。


4.ウォールドローイングの分析

 ルウィットの壁ェ野へのに取り組みを考えるとき、その使用は「芸術の普遍性を求め続ける」彼の姿勢からおきた物である、と考えるのは自然なことであろう。そして、それは“芸フ基礎”への再着目であると。かつての壁画芸術の偉大な時代への敬意と、現代における壁画としての新たな挑戦、そして錯綜。彼の呼ぶ“ウォーhローイング”としての壁画の機能はいかに意図されたものなのか。現在、ルウィットの作品の大部分は、かつてのあの格子作品群(図4・1)の巧妙を越えてEォールドローイングという作品群で多くを占められている。その変容は如何なるものなのか。各々の時代と新たな作品の確立、実践と共に変化する彼の意識とシステムの変化を追いながら、彼の“ウォールドローイング”を検証していきたい。

1.『ウォールドローイング』

AMK:MoMaのカタログのイントロダクションでAlicia leggは“ウォールドローイングのオリジネーター”としてあなたを紹介しています。あなたの知る限りこのことは正確なことですか?
SL:私は洞窟画家が先だと思います。
AMK:あなたは作品の一時性を基本としていたであろうウォールドローイング作品の観念を使用した最初のアーティストですか?
SL:一時性と永久的なものヤにある違いは不明確です。

 周知の通り、ルウィットの壁画作品には“壁画”ではなく、“ウォールドローイング”という呼びかたが好まれる。そして、その使ヘ実際、“ウォールマーキング”という呼び名から発展したものであった (図4・2)。壁画とウォールドローイングの認識の違いについてコメント黷ス、彼の言葉を借りれば、(彼の言葉がいつでも多く矛盾を孕むことは、しばしば指摘される点であるので注意されたい。)「私はそれらにドローイングの素材g用しているので、ドローイングとして考えることを好みます。ほとんどの全ての壁はそれらに制作される前に塗られてしまいます。ドローイングは私にはペインティングより、より直接的で単純なコンセプトに思われるので、わたしはその表現を好みます。しかし、実際、例えそれがペインティングであろうとドローイングであろうと、またその他のなんであろうと関係はないのです。(例え、レリーフでも。)」ということになっている。上記のインタビューへの簡単に答えられた解答に反して、“ウォールドローイング”という命名に執着するルウィットの態度は、彼の「ウォールドローイングの観念」を理解する一つのポイントとなるだろう。R、壁を利用した壁画作品に“ウォールドローイング”という言葉が使用されることに疑問はないが、ここではあえて、その二者の差異、またはその概念を明白にすること謔チて“ウォールドローイング”を用いたルウィットのウォールドローイングの観念を理解したい思う。
ルウィットの壁画への新たな挑戦が、かつてのオな壁画としての芸術を現代に戻そうなどと考えたナンセンスな取り組みでないことは、彼のウォールドローイングがその題材や素材を中性的なものにしたことからセらかである。むしろ、それは懐古的な壁画という概念の記憶を新しい芸術の一言語として発展させる機能を持つことを予測させるものだったのである。それは、かつての壁画の威厳さを備えた上で、さらなる飛躍をし、現代の芸術文脈における新たな一つのカテゴリーとしての壁画となっている。かつての壁画への敬意と共に、更に超越した、このウォールドローイングの機能には、絵画や壁画といった美術概念の枠を越えて広がった、建築物や時間・空間をも含んだ“美的な言語”の確立が完成されつつあるのである。ルウィットの目指した、普遍的な芸術構築へ追求は、三次元の彫刻や二次元の絵画といった広く美術に行き渡った形式や構A芸術概念の問題追求なのではなく、その美術自体の内的な言語形式やシステム、論理性、対視覚性、知覚性といった外的に表れる構造との巧妙なバランスの確立であるようvえる。こういったものの発展が歴史的な壁画とは異なる“ウォールドローイング”としてのカテゴリーを確立させたであろう事実を認めないわけにいかなB 下記、1968年 Paula Cooper Galleryにて行われた、初のウォールドローイングは、当時、作風が概念的に確定的でなく、他の作家に予備的で従属的 であったニが容易に見て取れるものであったが、そこから続く、現在までのウォールドローイングの確立発展経過を、以下に続く章で検証したい。

AMK:あなたが1968年の10月にPaula cooper Galleryにて初のウォールドローイングを行った時、あなたはそれが初めてのジャンルであったと思いますか?
SL:はい。
AMK:あなたはそれを非常に豊壌の(想像力の富んだ)物であり、非常に便利な一つの新しいフォーマットであると思いますか。
SL:はい。
AMK:その当時それはあなたにとって主要な動きに思われましたか?
SL:はい。わたしは何度も(一年以上)それらを行う事について考えたり、話したりしていました。わたしはそれがよりj的であり、私とその他の芸術家にの両方にとって実践的なものであったのと同様に、論理的であることを知っていました。それはただ壁の上に物体が置かれるべきものというよ熾ヌの上に直接的に制作するといった、より理ににかなったものを制作したのでした。

2.ウォールドローイングのシステム

[三次元から二次元へ]

рヘ色と形態が三次元の方法において後ろに退いたり、進み出たりするものを作ろうと決心しました。平坦さの観念は自然に形態の三次元性へと関係し、それは壁の構造ニなりました。初めに色が前進したり減退するものを作り、次にただ黒と白だけのものを作りました。そして最後にはそれ自体で独立した諸作品を作ったのです。』
   『私はできるだけ二次元の作品をつくりたい』

初期のウォールドローイング、壁の上の微かな鉛筆の印や線は、具体的な物体の拒絶と関係した、三次元の二次元化の意図からきたものであった。『ドローイングは、視覚的に線ができるだけ壁面の部分になるよう、硬質のグラファイトを使ってどちらかというと軽くなされる』 (図4・3)つまり、これは、当時の流れにいた他のアーティストの影響から来る、非物質化や還元というものを意識した二次サであり、ルウィットの確立されない時期の作品といえる。しかし徐々にそのルウィットの壁画への取り組みの傾向は、上記引用のような意図による作品の二次元化の試みに変化トいくこととなる。ドローイングの形式的方法を示した文章『ウォール・ドローイング』 は1970年に発表され、センテンスにまとめ上げられたものである鮪栫Aどちらかと言えば、形式主義的思想の強かった、ウォールドローイングという媒体の適用方法も、翌年には完全にルウィットのシステムに組み入れられ、ルウィットのゥの言語として『ウォールドローイングの制作』 という文書に訳された。そこでは、今までの三次元作品の付随物としての二次元作品ドローイングを、この時期の意識や思想の変化に伴って、一つの独立した作品として確立しつつある過程がみられる。

AMK:壁に直接描かせ、そんなにもあなたを魅了した事というのは何だったのですか?二次元ですか?スケールですか?作品の束の間に過ぎていく儚さのことですか?いずれのうちのどちらがあなたの心の中で明白に最優先のものでしたか?
SL:まず、二次元の局面です。とういのも、それはスケールを含む壁の一部分でありますが、しかし又同様に平面さにもなったでB儚さ?何も永久には続きません。作品はいつでも、なされないよりもなされた方がよいのです。

そして、その後、彼の三次元の作品と平行したものとしての、二次元作品を作る「う主要な動きは、前もって計画された観念の規則を好むシステムの中に確立されていった。第一番目のものとしては、システムの章でも述べた、連続性という観?前提としたウォールドローイング上での表現システムである。『Serial Project ABCD』 は連続性の観念を考える上で大前提となるルウィットのシステム表現の最も典型的なLストである。ルウィットはそのシステムを『Serial Drawings』としてウォールドローイングにて再現し、その観念を構築する。(図4・4)
連続体の二次元システムが絵画よりもむしろウォールドローイングという媒体を選択したことは当時の彼の芸術観念と一致していたこと(The Xerox Bookの経験がドローイングに興味をもたせ、ウォールドローイングへと導いた)、またその当時主流を占めていた現代絵画や彫刻との間の複雑な関係問題への応答として用いるの最良の手段であったことからの選択なのである。そして独自のシステムとしてそれを取り入れることに成功したのである。

AMK:1968年にノSeth SiegelaubのThe Xerox Bookに関係していたとき、あなたは三次元の構造物に夢中になっていました。この出版へのあなたの参加はあらゆる方法において、人前で大きな二次元品を制作することを考える促進をしましたか?
SL:おそらくそうです。それは実に私に三次元作品を制作することに付属物としてではなく、それ自体の物としてドロCングを始めさせました。その後ウォールドローイングは続きました。

[論理空間の地としてのウォールドローイング]

 このウォールドローイングのアイディアが一度確立黷ト行われると、一つのアイディアは論理的なつながりにおいて他のシステムにも通じるようになった。つまり、連続体形式システムの展開の場としての役割を越えた、論理的思考の実証展開の場、ウォールドローイングとなっていったのである。そして、それは次におこる等角投影図法の手法によって完全に確立され、いわゆる三次元の二次元化という物理的空間の問題ではなく、論理的空間の実証の問題へと発展するのである。

AMK:1981年の等角の形態は(wd 354)何かとても力強く、全く興味をそそる(魅力的な)印象です。(図4・5)そして3種の色調による灰色の等角投影法のキューヘ私の好みです。しかしながら、私はまだ、あなたがこれらを行ったことに驚いています。私はあなたの既存する彫刻を基礎にして等角ドローイングを通常行っていることを知っていまB或る意味、それこそはまさにその要点なのです。等角ドローイングは深さの幻覚(対、線的視覚遠近法)を作ろうとはしていないが、等角キューブはまさに、例えれば三ウに関する何かを言及しているのです。(確かに二次元キューブのようなものはありません。)そして或る部分、あなたは二次元表面の為の三次元的な何かを選び、それが私を驚かスものです。
SL:等角投影図はつまり、三次元の物を二次元の表現方法で描写するもので――あらゆる時代の何らかの芸術は表現方法を持つようになります。

この展開は、三次元のものを二次元に表現するといった、異なる次元のカテゴリーの相関関係を明らかにし、再認識させることに言及するものへの発展であった。つまり、二次元、三次元といった物理的空間の問題ではなく、論理的空間の為の次元へと観点が移ったのである。
これを我々は、ウィトゲンシュタインの論理的空間把握の一つを仄めかす媒体、言語ゲームの一貫として関係づけることができよう。 一例として以下のものをーる。
ウィトゲンシュタイン『うさぎ−あひるの頭』の問題である。 (図4・6)『「これは何か」と問われれば、ひとはこれを、「うさぎの頭」や「あひるの頭」として見、答えるこェ出来る。この時、ひとはこれを二次元の画像であるという存在を通り越して、現実のうさぎやあひるの像を見ているのである。通常、人は、画像を二次元とは意識せずに、フ書かれた像を二次元を越えて、三次元の世界に見ているのである。しかし、一端これに、画像対象という概念を導入する、つまり、「あなたはそこに何を見るか」というと、今度は鞫怩フうさぎ」と答えるであろう。これが一般的な画像の見方である。そして、決して「わたくしはそれをいま画像のうさぎとして見る」とは答えなかったであろう。』
まず、ここで重要なのは、見ている“対象”の二つのカテゴリー上の区別である。つまり、我々が見ているそこには、内的心象で見ている現実概念の「うさぎ−あひる」と、その二次元上に描かれた外的画像(線)としての「うさぎ−あひる」というカテゴリー上の区別があるということである。しかし我々はこのカテゴリーを忘れ、実際にその像を見ている、と想像してしまうのである。それでも、その表象そのものmかに内的な像なのであり、現実の像ではない。いずれも像と関連はあるけれど、像−概念ではない。そして、画像の像として見るということはないのである。このように、内的心象の像は、フ概念の原型がもともと外的映像であるため誤解を招きやすいのである。そしてルウィットはこのような、三次元(原型)と二次元(画像)と内的心象とのカテゴリー混在の論?間の問題をウォールドローイングという媒体を用いて実証するのである。。
ルウィットのウォールドローイングの媒体意義は、その「画像対象の概念」を導入するための最適な場としAまたカテゴリーの問題を扱うのに効果的な現実空間として、論理的空間の思考を補助できるところにある。そこでは画題素材に抽象的なものや幾何学的形態という中性的なものを用いることにより、それらの形態観念を概念的、経験的に思考させやすくしている。そして、その仕組みは、我々があまり意識することのない次元の問題を最認識、再構築させ新たな観念、‘論理的空間’の発見させるのである。例えば、確かに二次元のキューブは現存しないのであるといった論理的次元の問題を。しかしながら、我々はその論理の不可知を知りながらも、画像を見ながら、立方体をトいるというような像を勝手に作り上げてしまっているのである。ルウィットはそれを以下のように実証していった。

AW:あなたはまた、あなたの作品が形而上学に非常に関係しているとおっ痰「ましたか?
SL:確かに(明らかに)人の線描は現実の人物ではないのです。しかし、ラインの線描は現実のラインなのです。

 ウォールドローイングの使用は、次元の異なィの非実在と実在との間にある内的問題の関係を二次元で実践し、それを可能とする。我々は、経験的視覚によって、何の疑問も感じなくなって、慣れ親しまれてしまった現実的に不可能T念の可能化が、しばしば起こっていることに気づきにくいし、その空間における物事の自然さに対して反省しようとすることもない。そのことを、ルウィットは世界の物事の形式への対立物としてのウォールドローイングを介在させることによりそれを反省させるよう言語ゲームに取り入れるのである。物に対してだけ実在性を与え、表象(観念)には実在性を与えない。その関係を三次元と二次元との間の関係で実証する。
 ルウィットはそれを実証するための方法に‘画法’のアイディアで試みた。もしも実証の空間がウォールドローイングのように二次元であるの轤ホ、三次元の物体を二次元の絵に投影する仕方はさまざまにある。我々にとって、そこで展開される正方形の絵を「立方体」として解釈することは容易なことであり、そこに線遠近法を用いればウらにそれはその視覚を助ける。しかしルウィットは、画面に空間をつくる線的遠近法を用いることを拒否し、代わりに等角投影法を用いることを好んだ。投影法によってその描かス像は様々に理解でき、立方体と解釈していたものが、別の投影法では、それは「三角プリズムの絵」であるとか、「一部が欠けた立方体」と言うことも十分可能なのであり、画面上にあったフ解釈がその本質を見ているわけではなかったことに気づく。(図4・7)事実、論理的に考えて、三次元の空間を持たない立方体の正方形を考えることはできないのである。(三角をもたない三角形を考えることができないように。)ルウィットの等角投影図は、その画法と色を効果的に用いることにより、奥行きをなくし、視覚的幻想を最小限に保つことにより、ウォールドローイングという二次元に書かれた像が画像の像であることを指摘し、その奥に潜む内的な像が浮かび上がることを拒否するのである。(図4・8)ここで見て取れるのは、概念規定が問ノなっていることであり、執拗に迫ってくる「概念の存在」を認識させたのである。そして、現実の像(三次元)と、二次元に描かれた像、そこから浮かび上がる内的心象とのしくみ関係を証明した次の段階では、文字の機能もそこに入ってくる。ルウィットは立方体を複雑にした、図形を用いて我々の目を混乱させる。そして、それらを『不完全な立方体』 という言葉で称するニによって、その二次元と三次元とのあいだの相互関係をウォールドローイングという空間媒体を使った可能な限りの投影法の発展でもって、我々をからかうのである。我々は、完全ではない『ョ全な立方体』というものを実際に見たことは決してない。しかし、このことは表象できるので、それが可能なことを我々は知っている。すなわち、二次元の空間において作家は我々の諸表象を操作し、それによって二次元に関して可能なことを行うのである。まず、不完全という言葉を利用することによって、それが色々な仕方で正しい物から逸脱していると認識させることを可能にする。そしてそれを取り囲む自分の空想しだいで、それを様々なアスペクトの中に見ることができる。ここに「語の意味の体験」とウォールドローイングの密接な類縁関係が阯ァち、一つの言語ゲームが成立することを可能にしたのである。
今度は逆に、三つの壁のwd652(図4・9)のような複雑な作品をみて、我々は不規則な形態の曖昧な連続体をどの様に見たらよいゥわからない。人は、元の図形(楕円や矩形から平面、円や正方形と正確な形)を直ちに(瞬時に)に推論することは不可能なのである。しかし、もしルウィットが「それらはキューフ表現や解釈を展開させ、徐々に複雑なものを打ち出したものである。」というのを聞いたとすれば、私は、ルウィットがこの画像をいま立方体と見ている、描いていると見直すことができる。もフ図形の明確な形を知る為には、私は個別的な方法、例えばある特定の楕円を私の前にある円に射影する方法、を知らねばならないのである。そして自らさまざまな投影法にてその画像を組み立てていくことを可能とするのである。
 同様の例として、彼の『スターシリーズ』(図4・10)は五角形の基本星から始まって、6、7、8、と変形し多角の形態へと発展する。我々はこれを『星のシリーズ』と知っているのでこれが十数角形になっても星であると認識しつづける。あらかじめ認識させられた(星の変形であるという)その基本の投影法がXにそういった解釈をさせるのである。もし、そういった概念なしに単独で十数角形の作品を見せられたら、一目で星の変形だとは思わないだろう。(wd652が立方体の変形だと分からなかったように。アういった関係が一つの内的な論理空間における表現なのである。類似した指摘がドナルド・カスピットにされている。『?しかし事実は各々の媒体における形式的観念が全く異なると、ことである。つまり、一つの書かれた四角は組み立てられたキューブと同じではなく、それはより触覚によるものであり、その訴えにおいてより抽象的でなく、それは複数の辺が欠けているが、そナもキューブとして認識されるといった種のものを提案する。それにもかかわらず、一方で人は四角形を失うためにせいぜい一つの辺を取り去らうだけでよい。二辺が残されているのは一つの三角形を創る三番目の辺によって完成されるだろう。しかしどんなことがあっても、キューブの失われた辺が他の形態を許すことはない。かくしてルウィットは四角とキューブが同じであることの瞬間的で、よってそれら媒体の、一つの等価値である可能性のビジョンをもって我々をからかう。しかしテストをしてみると、この同じであることは崩れ落ちるナある。』
通常我々は、二次元の壁面上に表わされた像が明白な物であればあるほど、その奥にそれら形態の概念を観念で見てしまっているので、それらを「〜として見る」ことを無意識のうちに慣習とトしまっているのである。しかし、ルウィットのウォールドローイングを再度見直すことによって、もと図形と平面との対応を見直し、非常に多くの異なった仕方、そして非常に多くの異チた論理形式をこのパターンへ投影することが可能なことを知る。二次元の空間を使用したことが、ある事例を正当化できるものではないが、指摘したかったのは、ただ視覚現象がその方向へと分析さトいくべきだと我々が思う方向と、この分析において日常視覚がもたらすと予想されるものとは全く異なった論理形式の空間にあることを我々に再び知覚させるということだったのである。ウォールドローイングは、その場に論理形式空間を作り出し、そこである物の本質や事実の分析しているのである。
 以上から、ルウィットの幾何学形態や単純な形態の使用を、還元的で空虚な記号的イメージの喚起を意図したものであり、ミニマルアートからの時代の流れからくるものであるという意識が毛頭ないことが明白になった。またウォーhローイングという媒体が、彫刻や絵画に対抗する壁画としてでないことも確信できた。それは、むしろ新たな媒体として、次元やカテゴリーという関係概念への近道や、その内的関係を作り出すルウィット独フ芸術文法の一つであると理解するべきなのである。ルウィットは、過去の言葉で現在を語るような繰り返しを行っていたのでは決して芸術の普遍性が達成されるものではないことを知ってスのである。幾何学形態やウォールドローイングという媒体の新たな方向からの使用は、現代のおける美術への切り口として把握しなければならないのだ。「あらゆる時代の何らかの芸術は表現方法を持謔、になります。」(上記引用)とは、ここでいう、論理的思考の内的表現や論理空間を創造するための表現方法のことなのであろう。そしてその内部にルイットシステムの言語ゲーム体系が作り上げられたのである。

[建築空間の使用]

私は可能な限り空間を除いた形態を表したかったのです。絵画(描く行為)は平坦な表面上でなされる活動なのです。イタリアでの15世紀のフレスコ画家から学んだ、ある一つの教訓は、それらが表面の平らさの感覚、実際の線遠近法は使われず、形態を平たくする等測遠近法のシステェ使われたことでした。私はそれを、表現の点においてよりパワフルであり、また壁の平坦さ、絵画表面の完全の観念の感覚に固執するものだと考えていました。私はいつでも可能な限り奥行きを浅く保とうとしサして壁を完全に保とうとしたのです。

ウォールドローイングと建築空間における地との関係は如何なるものか。ルウィットにとってのウォールドローイングは『壁の物理的な属性、すなソ高さ、長さ、色、素材、建築的条件や障害物などはウォールドローイングの必要な部分である。』や『壁の種類が違えばドローイングの種類も違ってくる。』 といった建築に密接に関係したものであっBそれが、その時代時代における、作家ルウィット自身のアイディアの変化を書き込む、最良の“地”として機能し、アイディアである“図”を表現させるその対峙の場として機能している。そして、それ以上に壁に直接ドローイングするアイディアはカンバスや基礎媒体といった支持体を介在しない、1960年代後半の作品を機能させる“空間における”アイディアの場へとなったのである。

AMK:ウォールドローイングの為のアイディアは抽象的なものとして受け止められ――それは特別な場所の為の物ではなく、むしヌいアイディアの為の、それ自身の為のものとして考えることは正しいですか?第一に建築物から独立していると?
SL:時々そうだし、時々そうではありません。私はいつも私が何をしようかという正確なアイディ?持たずに一つの場所に来ます。しかし多くの、半分形成されたアイディアは、私がその場所を見たとき、最終的(決定的)なものになります。その場所はほとんどいつも作品の一部として機能しキ。

 ルウィットのウォールドローイングは、明らかに画廊や美術館の壁に意図的に位置づけられるため、ルネッサンスの場合に味わうような、人間が生きた部屋や教会といった部屋と同質の壁画を感じアとはないはずである。しかし、作品(wd260).(図4・11)を制作した時、ルネッサンス時代のそれと引けを取らない感覚を与える荘厳な作品に仕上げたようにみえる。そこで扱われた新たな媒体は、線という最も基本的な絵画の媒体であった。線の組み合わせをあらかじめ設定し、その複数の基本体を組み合わせ、規則化して表す。ここで、アルベルティの『絵画論』における、作図プロセスが記憶に蘇える。それは、その図解そのものに見覚えがあるだけでなく、ルウィットが、芸術に取り組み始めた堰Aアルベルティから多くを学び、芸術の基本に戻ることを最大の目的とし、それを彼のシステムの一つとしていることを考慮すれば、作品として影響を受けていないはずがないのではないか。そして実際、アルベルテw絵画の初程』における、図解への忠実な実践はルウィットの(図4・12)と重複して再現されていると見ることが可能であろう。この素材の発見は、壁画の形態使用と共に、アルベルティの絵画礎が現代の芸術の文法として、新たな時代の文脈にて旋風を引き起こす感覚のものであることを再確認させ、その重要性を維持することを指摘しておきたい。
[アルベルティの絵画論について 
『絵画論』@――レオン・バッティスタ・アルベルティ――
 絵画芸術を第一に数学者風に、次に自然の第一原理から解いていこうとするもの。点から線そして、面へと絵画の要点を文字でまとめる。第一巻は、画家たるものは、どのようにしたら頭脳で把握したことを手によって追求することが出来るかを、心に銘記していなくてはならないと説く。第二巻、たぐいなく物知りの古代の著述家トリスメヂストウスは、宗教と一緒に絵画と彫刻が生まれたのだと判断しているが、公のことや私ごと、世俗のこと、宗教フこと、すべてのことにおいて、絵画が最も名誉ある役割を果たしているのであって、そのために人間にとってこれほど高く評価されてきたものは他にないということを、ここで誰が否定出来よう、と絵画至上主義を謳う謗O巻では、私は、今新たに絵画を始めようとする若い人々が、ものの書き方を教えられたと同じようにすることを望んでいる。書くことを学ぶ人々は、最初に一つ一つの文字のあらゆる形――人が基ニ称していた――を分けることを教えられ、次いで音節を教えられ、次にいかに全てに語句を綴り合わせるかを教えられるのである。われわれの生徒も、絵画においてこの規則に従うべきであるとして、基礎の重要?指摘し、その指導に続く。
??もしあらかじめ頭の中に自分のこれから取り扱うこと、及び、それをどんな工合いに取り扱うかが充分に構成されていない場合は、決して鉛筆や絵筆をとってはいけない。なぜなら、絵画から誤ちを取り除くより、頭によってそれを修正する方が確かにより良いからである。あらかじめ順序をつけずには何も制作しないという習慣をつけたあかつきには、われわれはアエスクレピオドロスよりももっと速筆の画家となれよう。]
このような絵画の最基礎事項を、現代|術の文脈において、鮮やかに組み合わせ、その時代のながれに取り入れた、感覚の鋭さ、また物事へ視点の効かせ方は、美術を学んだことの無かったルウィットだからこそできたものであり、そして新たな芸術における普遍?追いつづけるその姿勢からくるものであることに疑いはない。

3.装飾性と色彩

[視覚性]

壁画/ウォールドローイングという共通の媒体で、かつての時代の壁画と現代のルウィットのウォーhローイングを結びつけている基本的本質は、広い意味での視覚的“装飾性”といえる。もともと、壁画とは、絵画が壁に描かれ、壁面を装飾するという欲求や行為から来たものであった。その装飾の概念をできるだけ」し、深化させてみると、装飾の概念はそういった絵画の機能的装飾だけでなく、作家の観念を現前させる、視覚的補助のための装飾へと発展させることを可能にしたのである。そしてルウィットの現代壁画が、かつてのそれに引けを取らないのは、優れた観念とそれに劣らぬ視覚的効果を上手く使い分けている、巧みな操作からくるものだからである。

『アイディアの多い芸術は退屈である。ルウイットの芸術はそうではなく、彼の構造の魅力はそれらの美しさである。欲求不満はそ轤フ奇妙さに固有のもので、非視覚的論理が視覚的なものを克服した時、二次元的な挑戦に頼る。物体は、最終的に視覚的に印象的である。もしそれらがそうでなかったら、それらは単なる理論的な挿し絵(説明図)であろう。

リパードはルウィットの“美”を主張し、それらを芸術の価値のあるものとして復帰させた一人である(上記)。
ルウィットの初期のドローイングでは、微かな筆跡を残す鉛筆でもって、ロフトや一時的?間に他の芸術家と共に共同制作した。これは60年代の“Dematerialization of artモ (芸術の非物質化)の究極的目的を達成したかに思えた。しかし、ルウィットがそういった観念を目指していたと考えるのは間違ナある。芸術を物質化する必要はないというのは(つまり観念のみで成り立つのは)、作品の最も重要な点ではあったが、結局は作品を見て観念を投影するということがさらに重要であったからである。作品を見れば分かるように、そこには依然として視覚的経験の痕跡がある。このように、ルウィットは刺激的な観念と矛盾して視覚的形態を巧みに扱い、起動的な観念の理解とを組み合わせた。これはコンセプチュアリズム、ジョセフ・コスースのモArt-as-Idea-as-Artモとのヲの違いの一つである。事実、ルイットの作品はその素材に対して豊かであり、それはその時の素材として、その時の視覚的構造物として上手く作用している。逆の思考としては、ロバート・スミッソンが書いたように、『惰性的特フほとんど錬金術の魅惑、しかしルイットは金をセメントに変えることを好んだ。』つまり、‘金’の観念を‘セメント’の素材で表現することを好んだという表現でされることもある。しかしそのセメントで\現さえも、結局現前されそのもの自体の結果は視覚的に非常に豊かなものなのである。

[色彩の文法]

計算を装飾とみなすこともまた形式主義である。しかしよい意味での形式主義である。(709)計算は装飾とネすことができる。平面上のある図形は他のある図形と一致したり、しなかったりする。また色々な仕方で他の諸々の図形と一括される。もしその図形がさらに彩色されるならば、そこにはまた別の一致が成立する。(色は別の一次元を意味するだけである。)(710)(ウィトゲンシュタイン「断片」)

 『観念は美術作品たりうる。それらは、ついに何らかの形態を見出すかもしれない展開の連鎖のなかにある。全てのアイディアが物理化される必要はない。』 Eィットの言葉“ついに何らかの形態を見出すかもしれない展開の連鎖展開の連鎖”を補助しているものが何かを考える時、作品に色彩という装飾法がかなりの比重で意識されているのは明白なことである。ルウィットが色彩とその組みせを二次元作品において考え始めた時、彼はカラー印刷で用いられる四つの基本色――レッド、イエロー、ブルー、ブラック――を選び、自らのアートにおいて、この色彩の4文字アルファベットを使う機械にチて達成される無限の配列と色合い・色調の組み合わせを等しく具現させた。(図4・13)そして、その後第二の色の導入とともに、幾何学形態と色の独自の文法を作り出した。

AMK:何年かの間、ウォールドローイングl々なグラフィックの作品において、あなたは赤、黄、青、そして黒の線を組み合わせ、注目すべき色の列を完成しました。―――しかし、いつも、前もって決定されたシステムまたは、指示のセットが現れ、いつでもこれらの基本色を制限しました。あなたの、フロリダ(マイアミデイル)でのウォールドローイング(wd344)における第二の色の導入は驚きでした。これは無意識的(自発的)な決定でしたか、それとも随分前からの考えによって成された物でしゥ?この直接的方法に置いて、何があなたにオレンジ色、紫、緑を導入させたのですか?
SL:6つの色に6つの形象を使うことは論理的であり、自然なことである。私にとって、円、四角、三角は長方形、台形、そして平行四辺形よりも闃礎のものであり、赤、黄、青はオレンジ、紫、緑よりもより基礎の物です。
この時期から基本色の単純性から、混合色という複雑性への新たな観念の確立がなされるのである。単色の組み合わせから作られる、ヤが知覚出来ると言われる色相35、000種、その派生経験を実践させ、システムに組み込んでいく。ルウィットの色彩使用の時代経緯は、無色(グリッド格子)→三原色(基本色)→混合色(壁画)というものである。そト、ついには論理的空間における色彩の『浸透』『隙間』の観念という現在の思想に達するのである。
まず、色彩間の文法規則を見てみたい。彼の使用する色、組み合わせはウィトゲンシュタインの色彩について述べられた項目と一致する点が多い。まず、色彩の組み合わせを一つの文法としてみるとそれは、『哲学的考察』221 色八面体(図4・14)にあてはめてみることができる。ここでは、色彩の経験を幾何学のように扱うことの限界が示さトいるのである。例えば、図を幾何学的にみて、赤と黄の混合が橙、緑と青の混合が青緑のような例。そしてウィトゲンシュタインは赤と緑の混合が赤緑であるということはあり得ないとしたのである。しかし、ルウィットはあえてその幾何I扱いの規則を破り、指示書を作る事によって色彩を幾何学的な組み合わせで表現した。色をR(赤)B(青)Y(黄)G(黒と白の混合灰)という記号に表し、その組み合わせで新たな色彩の文法を作り出したのである。(図E15)色の混合の経験はそのウォールドローイング上にて直接され、また、壁の状況も各々で異なるので、実際に実践してみないと結果が分からない。ここでは色の直観的知覚と経験的概念のずれ、瞬時的全体像判断の不可能ネどといった色彩の概念の新たな問題を提示させる。(図4・16)色の組み合わせを、ルウィット独自の記号化によって表現し、複雑に組み合わせることにより、誰も想像することの出来ない色の観念を文字という記号と、実際の色の使用で作り出し、それが人の創造を遙かに越えるものであることを実証するのである。

[隙間と浸透]

『6つの色に6つの形象を使うことは論理的であり、自然なことである。私にとって、円、四角、三角は?形、台形、そして平行四辺形よりもより基礎のものであり、赤、黄、青はオレンジ、紫、緑よりもより基礎の物です。』 (上記に同じ)はルウィットの視覚的色彩概念から出発して、別の概念‘カテゴリー’の問題へと及んだ最も注意すべきセであるように思われる。というのも、色と形態(丸、四角、三角等々)は、全く異なるカテゴリーのものであり、必然的なつながりはどこにもない。それをあえて、ルウィットは強調的に一致させることによって、色とヤとの間の内的関係、その緊密に連動する関係を逆説的に浮かび上がらせ次の問題へと進んだのである。赤(色)と円形(形態)とは、二つの対象の(外的な)性質であり、その上にこれら斑点が互いに対して或る空間的関係にあニ考えられるものである。しかしこれは不合理である。○(円)と◎(赤色)という概念それぞれは別のものであるが、●(赤円)という言葉で「赤い」と「円」との二つの単語に対応して二つのものがあるわけではない。だから、2番目の言語の表現は全く異なった種類のものなのである。「赤い」と「丸い」は異なる種類のことば。(赤い板、と白い地に描かれた円)「赤い」と「丸い」を二つの異なる言葉と呼ばれうるようなものは何ネい。(描かれた赤い円)の赤丸は複合的なものなのである。つまり、円は円そのものなのであり、何かとの融合や化合ではない。そうなるとルウィットの●(赤円)には○(円)と◎(赤色)という論理的空間(隙間)が出来上がってしまう。黷?色と結びつけられるものだとするなら、それは範疇ちがいである。実際、ルウィットの作品にはそれを暗示するかのように、形態の対して枠が用いられる。(図4・17)そしてルウィットは徐々に色に形態を用いるこ?やめ、クリフォード・スティルやマーク・ロスコーのような画法を用いた色彩壁画へと変化していくのである。(図4・18)そして、中間項なきものの重なり合い、つまり形態をなくすことにより、隙間を無くして『浸透』の空間\現するのである。

[終わりに]

結局ルウィットのウォールドローイングは言葉探しから始まり選ばれた論理空間の一面を見せることに機能したのである。そして、彼は我々が生活の起源とする“習慣的な方式”を我々に思い出させることによって――言語使用や論理空間としてのウォールドローイングの使用によって、文字通り二次元から三次元の実証を成功させた。そして、物体の視覚的儚さや視覚的な装飾性としての機能A――それらは二次元であれ、三次元であれ溶かして論理的空間にする境界のように見え、これを証明したのである。

PR:過去数年前のウォールドローイングにあなたが色を使いそしてrubbed-inkによって生じさせた表面の官能性は非常に美しい。ネたにとってこの要素の美しさはどれくらい重要なのですか?
SL:観賞者は彼自身でも彼女自身でもできうるものとしてこの作品を受け止める事ができる。私は私の作品の美を認識(知覚)し、不服はない。私自身の知覚にコ塔gはしない。

5.まとめ

写真家実証主義者マイブリッジの作品から受けた強い影響を始まりに、ルウィットは所与の観念だけから出発し、それらの間の恒常的な関係・法則性を明らかにする厳密なシステムや記述方法とりェら一切の歴史的芸術概念を排した新たな芸術の観念、論理実証主義的な立場をとることに努めた。実際それは、単に思考によって論証するだけではなく、経験的事実の観察・実験によって積極的に実践、実証されていった。予め決定されたルウィットの観念からの出発は、その事態(結果としての作品)の成立要素、可能性が含まれたプロセスの遂行を強制させる。その正当性を言い換えれば、以下のように説明できる。オその各々の観念が、その規則におけるプロセスの事物にとっては本質的なことであるとすれば、逆に、事態の可能性も、「そのプロセスのなかにあらかじめ先決されていたはずである」というような思想に帰ってくる。――つまり、プロセスの強制桝ヤのなかでこそ出現する可能性は、「はじめからプロセスのなかに含まれていなければならない」という逆の思考であり、その循環が一つの芸術観念を創り出す、という思想である。
『観念はあらかじめ決められなければなら「』。 ルウィットの場合、芸術の基盤となるものの一つがこのように、計画は物体に先行するであったが、それに比べ、同時代のジャッドやフレイビンやアンドレは『計画を単なる形式組織の方法』として見ていた。そしてそれ以上の何フでもなかったと強調される。同じく彼らとの根本的な相違として、ある物を一見して、次々に続くことを頭で描くことを期待するジャッドらに対し、ルウィットのそれは、その発展過程を重視したシステムという形態を使うことで、その観念の様相を述べるという、実証主義の効果を試みている。ミニマルアートの反復のように、どこをとっても同じ形態の連続体と異なり、その内部に主題や筋道があるため、始まゥら終わりへと矢印に沿った論理的な連続体となる。そこからは、彼の作品自体のアイディアだけでなく、彼の芸術理論までも読み取ることができるのである。それはある規則への盲目的な従順であり、規則の絶対性である。そのプロセスの形態と様相A様相範疇として、可能性・現実性・必然性としてみことができるならば、ルイットの観念のシステム、構想(前事実)における可能性、知覚(後事実)の現実性が、その連続性プロセスの規則の厳守中に含まれる偶発的物語性によりオ盾や大幅な可能性の隙間を残すことは必然なのである。そして、一つのアイディアが確定されているのならば、その結果に対する重要性や真偽といったものはないのである。むしろ、そこに含まれたルウィットの芸術の真意は、その前もト決定されたプロセスに含蓄された『規則に従うこと』を規則にした独自の芸術システムなのであり、つまり芸術という文脈の中で組み立てられている一種のゲーム(規則)なのである。千葉成夫氏は「システマチック」=「直感的に」「不合理なまでに直観的に」 としたが、ルウィットの考える「システマチック」とは間違えなく、規則に従って、計画に沿って遂行するである。マイブリッジの写真物語り謔、に、ルウィットの計画は“完全”であっただろう。“たったの一つの作品ではない”それは“多く、多くの作品?・システムのアイディアによって支配されていた”もので構成された。 結局、『Sentences on Conceptual Art』も『Paragraphs on Conceal Art』も作品ではなかった。そして、その支持によって描かれた図も作品ではない。そのプロセスとその規則(観念)が作品となったのである。
 以上の仕組みを見てきた今、ルウィットと同時代の建築家、磯崎新の建築観念の一つw1962年/プロセス・プランニング論』 とルウィットシステムに類似性が見られることは興味深い。彼、磯崎新は、我々の周りで起こっている、動き成長していく都市空間について、その多くの都市計画が常に目標を達成するいとまもなA次々に発生してくる新しい要因のために変更させられ、埋め込まれ、ふたたび新しい形態をとりながら、無限に運動をつづけていくために、固定した形態をとったためしがないことを指摘し、論を進める。そして都市に起こる、‘突発事件の互に無関係に独立した連続的発生’こそが新たな都市空間がつぎつぎとかたちつくるという。その視点は、ルウィットのあの連続体の概念、物語性を汲みな轤ナきあがる連続体の概念と類似する。そして都市空間に戻ると、それらは統一され計画化された経済体制のもとでも、時間的な推移によっては変更と改変が常に加えられていくことが自明の理であること指摘しながら、まず私たちがこのような過程的性格をはォり認識することが重要であり、つまりプロセスだけが具体的事実であり、プロセスだけが信じられるのであることを説明していくのである。
まず彼は、建築が成長する図書館建築の例をとって、その成長・増築のシステムをとりいれな轣wプロセス・プランニング』の検証を行っていく。長期的使用を目的する図書館建築はその発展性や機能性を考慮して時間的流れのなかに取り入れなければならない。建築家がその設計を着手する時、前段階としてその規模や予算、周囲の環境Xを調査しなければならないのは当然のことながら、その他の注意事項として予め注意すべきことは、図書館が機能し始めてから発生するであろう諸処の問題事項を予期してそのプロセスに予め取り込んでおかなければならないということである。図書館における典型的な例としては図書量の増大がある。つまり年々増えるであろう増書の割合も念頭に置いて設計しなければならない。磯崎サの他諸々の起こりうる事態を背後にかくされていた発生的要因(創発的形質)EMARGENTとして呼んで、施工プロセスに予め組み入れておくことの重要性を主張している。つまり建設プロセスは単調な進化でなく、突発的でドラスティックな展開がなされるので、黷?予めの計画に考慮して取り入れておくのである。そしてその機能が、規模の増大につれてつぎつぎの段階を決定的なものにしてく場合が十分に予想されるのであるという。以上が磯崎の考える建築のプロセス・プランニングである。時間的цレの各断面が、つねにその次の段階に移行するプロセスであると考える方法は、ルウィットの盲目的な規則の従順から起こりうる派生したアイディアの観念と非常に似た概念であることは見逃せない。 磯崎の場合のそれ、プロセス・プランニンヘ建築が一つの有機体として活動を開始してから後に発生することが予想される成長と変動に対する計画の方法的な相違から導かれるのである。また、磯崎はプロセス・プランニングと対置関係にしているのとして、もう一つの計画法モデュラー・プランニング(ル・コルビジェの用いた)を指摘する。そのモデュラーはすべてを同等に扱う単一の空間になっている。そして常に均ナあり、常に完成していて、常に終末であり、もはや動的に展開することがない。ドラマを喪失した建築がここに発生するのであると。これを芸術の中で置き換えると、ルウィットのシステムとは全く異なる体質をもつ、ジャッドらの連続体と同価のものであると見アとが出来るかもしれない。
以上のように、建築と芸術という異なる分野においても、その当時、指示者である建築家や作家の両者によって予めの予測された観念を考慮にいれた計画性のある制作のプロセスの重要性が説かれているのである。Rこの時代性がこういったものの重要性をよんだともいえるだろうし、さらに偶然にも磯崎はウィトゲンシュタインの建築論の翻訳もかつてに行っていることからも、ルウィットのウィトゲンシュタインの影響関係と同様に、両者、磯崎とルウィットのz的なものが根底でかなり共通したものになっているのかもしれない。
最後に、この論文が私の受けたウィトゲンシュタインからの影響の色が濃くなってしまっていることは事実否めない。しかし、ウィトゲンシュタインの影響を受けた人の議論には必ずしも結論が無いこと、またウィトゲンシュタインは一つのメソドロジーではなく、本当に自分は分かっているのかを自ノ問わせる態度であると言われることからも、本論が芸術について、また日常常識になってしまっている当然の習慣を自分で問い直す糸口や手段となったことは確かである。ミニマルアートや概念芸術と分類される芸術に対する概念が変え、日常生活における諸処の概ェ変化させ、ルウィット自身の作品も変化しつつある中、最後にルウィットの言葉をもって締めくくりにしたい。

『Paragraphs on Conceptual Artの結文』
これらのパラグラフを至上命令のようなものにするつもりはないが、ここに表明されたOは現時点での私の考えに最も近い。これらの観念はアーティストとしての私の仕事の結果であって、私の経験が変わるにつれて変化していくことだろう。私はそれらを出来るだけ明確に述べようとした。私の表明が不明瞭だとすれば、私の考えそのものがセ瞭だということになるかもしれない。こうした観念を記述しているときにも、そこには明らかな矛盾があるように思われる(そんなところは手を加えはしたが、見逃してしまったところもあるに違いない。)私はすべてのアーティストにコンセプチュアルな形式をすすめるわけではない。たまたま私の場合には、ほかのやり方では上手くいかなかったのにそれがハ的だとわかったというにすぎない。それはアートをつくるひとつの方法ではあるが、他のアーティストにはほかの方法があるのである。私はまた、コンセプチュアルアートなら何でも見るだけの価値があるなどとはおもわない。観念がすぐれていなければ、すぐれたコZプチュアルアートとはならないはずだからである。
Sol LeWitt,メParagraphs on Conceptual Art,モ Reprinted from Artforum vol.5, no.10, New York June 1967
6.概要/略年譜

1928
9月9日コネチカット州ハートフォードに生まれる。e(エイブラハムとソフィー)は、それぞれ別々にアメリカに移住してきた。彼の父親は1901年にコーネル医学学校を卒業、ハートフォードで開業していた。両親は1921年に結婚。1934年父親の死後ルウィット(当時6歳)と母親はコネチカット州ーブリテンに移り、ルウィットは高校まで同地の学校に通う。
1945−49
ニューヨーク州シラキュラースのシラキュラース大学に入学し、美術学士で卒業。同校を選んだ理由は、美術学部がある数少ない大学の一つだったからである。
1951−55
米陸軍に入り、日本及び韓国に駐留。この機会に東洋の神社仏閣や庭園を研究した。
195ニューヨークへ移り、カトゥーニスツ・アンド・イラストレーターズ・スクール(後にスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツとして知られる)に通う。
1954−55
『セヴンティーン』誌でフォトスタット(写真複写)のオペレーターとして働く。翌年には同誌の制作ノ勤務。
1955−1956
建築家I.M.ペイの事務所でニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト・フィールド・ショッピングセンターのプロジェクトのためにグラフィック・アーティストとして働く。
1957−60
絵画制作。コマーシャルBルムのグラフィック・ワークを手がける。
(1958 ルウィットが再び紙と鉛筆を取り上げた時、彼は四角の絵画に戻り、1958年にドローイングに到達し、しかしその線的構成を分裂させただけであった。)
1958
ピエロ・デュッラ・ファランチェJのスケッチを行う。
1959−61
ルウィットのドラフトマンとしての活動中止。
1961
再びドローイング始める。
『立っている像と座っている像』マイブリッジからの影響作品。
1962
『歩いているドローイング』
Josef Albersのシリーズ“正方形賛歌”に影響を受け『Run氈|「』『Working Drawing』を制作。『Run氈|「』フ時点ではルウィットは表面についての可能性の調査をしており連続性については考えていなかった。
(Josef Albers (ベルリンにてバウハウスの教授)彼の謹聴する学生がエヴァ・ヘスであった。)
マイブリッジのシリーズ作品 メMan Runningモの影響作品、『RUN』。
1U3
First group exhibition at St.Markユs Church in N.Y.
『Wall Structure』『Floor Structure』
(木で作られたフレームを地にそのまま張りつけた作品)
1964
『Muybridge氈x,『Muybridge』
1965
『Five Modules with one cube』
メStrureモFirst one-man show at Daniels Gallery in N.Y.
『Wall Structure』『Floor Structure』
『Floor/Wall Structure』 『Double Floor Structure』
1960−65
ニューヨーク近代美術館でインフォメーション及び書籍販売部で働く。同館の職員通用門のヤ受付でも勤務。1960年、同図書館室に勤めていたルーシー・リパードや、やはり同館で守衛をやっていたロバート・マンゴールド、ロバート・ライマン、ダン・フレイヴィンを知る。
1963−64
ルウィットの最初の三次元作品が1963年、ニューヨークのセント・マークス教会でのグループ展で発表されたが、これはバnウス、デ・スティル、構成主義の影響を示すものだった。1964年にはニューヨークのキーマー・ギャラリーでのグループ展に加えられる。彼独自のスタイル―――幾何学的レリーフ、箱形形態、壁にかける構成―――がこの段階で既に明白。
1966
ニューヨークのパーEプレース・ギャラリーで3人展(他の2人はロバート・スミッソン、とレオ・ヴァレドー)。ニューヨーク近代美術館アート・スクール、ピープルズ・アート・センターの時間講師を勤める。(1964−67)後にルウィットが教鞭に立ったニューヨーク州市?術学校は以下の通り。――クーパー・ユニオン(1967−68)、スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(1969−70)、ワシントン・スクエアのニューヨーク大学教育学部(1970−71)。
『Modular Structures』(1964から手がけられ1966ュ展された)
メThe CubeモメSerial Project No.1(ABCD)モ “Ziggurats” 文章で発表される
メPrimary Structures,モ展 Organaized by Kynaston McShine at the Jewishi Museum in N.Y.
『Wall/Floor Piece(Three Squares)』グリッドの観念的潜在性(可能性/発達)を表現したもの。
1967
“Paragraphs on Contual Art”発表
彼の第一回連続プロジェクト展, exhibited in Los Angeles at the gallery owned by Virginia Dwan, Champion of minimal and land art.
1968
Paula Cooper Galleryにて展覧会
(当時は作風が概念的に確定てきでない。他の作家に予備的で従属的。初のHールドローイング展)
『A Xerox Book project』
『Drawing Series,,。,「』,originally『Drawing Project』(メThe Xerox Bookモのための)
1969
“Sentences on Conceptual Art”発表
サミュエル・ベケットの戯曲『Come and Go』のイラストを描く。i私はサミュエル・ベケットのように、知性を逸脱した一つの方法として彼らも不合理の観念に興味を持った作家に非常に夢中にさせられました。単純な観念でさえ論理的な終りを好み、それはカオスとなりえるのです。)インタビュー引用。
『Lines in four directi』『each in a quarter of a square』(四方向に向かう線)
『Four draftsmen each superimpose a band of parallel lines 36モ wide in a different direction on a different wall on each of four days. On the fifth day they paint out the drawing.』
1970
     メWall Drawingモ発表
Haagsmeentemuseumにて個展
当展のカタログはエヴァ・ヘスに向けられた。
『lines not straight』
『四方向に向かう線』の色つきヴァージョン/基本色+黒
彼の初の印刷物が発行される
Mid-70ユs
ジャットもフレイヴィンも作品に絵画と物体を一緒にした。
『Location Drawings』セ葉とイメージの結びつき作品)
『Objectivity』『Look Look』(タイトルをそのまま作品にした)

1971
To make etchings with Kathan Brown at Crown Point Press
(エッジングには固有の(本来的に)還元が備わっていて、基本的要素は線なのである。それ泣Eィットにとって一つの観念的媒体である。)
『as in Line not straight, not touching, drawn on a brick wall of 1971』
1972
『All combinations of arcs from corners and sides, straight, not-straight, and broken line』(Venice Biennale in 1976)
Artモ; blue lines to four corners, green lines to four sides, and red lines between the words』
(そのテキストは前もって選択された言葉をつなぐ線の網状組織になっている。)
1974
『Variations of Incomplete Open Cubes』
1975
再びエッジングの印刷物が作られる。(Cat Crown Pt Press)
ここで、彼の作品の中で、最も重要な言語の役割についての声明書(陳述)が作られた。
『The Location of Lines』言葉と句(表現)が作品の一部となった。それは単に平行するものではない。これは言葉とイメージの相互依存を創造した。言葉は線の位置を詳細し、線セ葉の配置の境界を定めた。
1977
『From Monteluco to Spoleto』その写真は二つの町の旅した際に撮られた。
『Photo of Manhattan』(→ルウィットのグリッド使用の転換期)
『Photogrid』出版
1980
『Autobiography』
『Cock Fight Dance』(全ての物がルウィットの部屋で紹介された)
1980代
イと表面に興味をもつ。
1981
『Isometric Drawings』
『灰色(Gray ink washes)』を使い始める。
1982
彼のプリントの中に、アクアチントの広いエリアが表れる。
『Forms Derived from a Cube』(アクアチント)
『Pyramids』への移り変わりが変換点(変わり目)
19R
ルウィットはこのころから純粋色の、赤、黄、青よりもむしろ混合色を使う。
『Geometric Figures, Solid』
1983−84
ルウィットの作品形態の中でのウォールドローイングが生まれた後の、初めてのカラーインクウォッシュの使用。
1987
『Memorial to the Ming Jews』
1989
『Hanging Complex Form』キューブ構造と考えられている連続体としての要素としての空間的平等性を確かめる作品
1990
『Frankfurt Tower』『Tower』『Horizontal Serial Piece』
これは、ホワイト煉瓦をつかって構成された。これらの素材とそのヤの選択は建築的観点から呼び起こされたものである。
1992
“Sol LeWitt Drawings 1958-1992モ at the Haags Gemeentemuseum.
習作Piero and Botticelli
『Four-part Piece 1-2-3-4』