1.はじめに これは、インターネット上で年齢性別を問わず250人に、フリー解答で、1999年にアンケートした結果である。 マイホームというものは、現代人も生涯に抱く夢の一つである。 これは今も昔も、そうそう変わるものではないようだ。 そして、その夢の一つ『マイホーム』について更にアンケートを続けた。 マイホームにかかる金銭的な問題がない状態と仮定し、そのマイホームに望むことをフリー解答で聞くと、現代人もやはり安らぎとしての庭や、眺めを欲していることが窺える。 そこで、マイホームの庭でやりたいことについての質問をしてみた。 しかし、その夢の一つである庭については、漠然としか考えていない人が多い。 確かに、花や木を植えたいと考えている人は多いが、どうしたらいいのか、という具体案への解答は更に少なく、思いつかない人たちが20%近くいることもまた事実だった。 昨今のガーデニングブームで、一時期よりも、『庭』という空間についての現代人の関心は湧いてきている。園芸関連の著作物を出している出版社によると、このガーデニングに関する大きなブームは20年ぶりのことだそうだ。 そこでアンケートを見てみると、庭の扱いについて、大きく二つに分けられると思う。 一つは、眺める庭。 そしてもう一つは、自ら手を加える庭。 そう考えると、そのあり方についても違ってくるように思える。 一戸建てと、マンションなどの集合住宅とで枠組みも大きく違うが、『庭』についての歴史的展開とインターネットでのアンケート結果を見つめ直し、これからの生活で、現代人はどのように家や庭と接していったが良いのかを考察し、今後の設計に役立てていきたいと思う。 2.庭園の成り立ち ここでは、身の回りの庭を考える上で、そもそもの庭がなぜ派生したかを振り返る。 氈D古代中国の庭園 日本が歴史上大きな影響を受けてきたのは、古代中国である。 その中国において稲作が始められたのは約8000年前揚子江下流域であったと考えられている。(この頃の遺跡として、彭頭山遺址・河姆渡遺址などがある) そして、約3000年前までには、山東半島を含む黄河下流域にまで稲作文化は広がっていた。 日本文化を包括する照葉樹林文化の発祥の地と目された雲南地方にも同年頃の稲作文化の遺跡が確認されている。(図1) この頃の中国は、殷王朝が滅ぼされ、周王朝が成立した時代である。 稲作を担っていた民族は南方の民族で、殷や周を建国した民族は中国西北部の民族である。彭頭山遺址では、堀と土塁に囲まれた生活域が確認されており、河姆渡遺址では高床式の建築遺構が検出されている。(*参考文献1) この頃には家屋の前に庭ができ、(堯の時生じたというめでたい草。これによって、古代中国は暦と作ったとされている)の類が茂り、揖ややに近い状態にまで進んでいたと考えられる。 (図1:稲作文化の広がり) ここで『庭』は敷地内の広場もしくは堂前の広場を言い、『囿』は垣・で囲った禽獣を飼育する場所を言い、『園』は簡単な籠の類で仕切った果樹を植えたもの、『』は疏菜を栽培し収穫する畑地、『苑』は囿と同じく禽獣を飼育するところで漢代以降苑と呼び、後に疏果の類も栽培するようになったものという。(図2) (図2:古代中国庭園所在地) また、春秋戦国・秦の時代にかけては、と青龍船を浮かべて遊んだというなどが知られ、秦の始皇帝に至っては、・を営むなど、宮苑園林は大いに発展した。この頃には、『囿』に勤め禽獣を管理するための役人の定員も既に決められていた。 その後、権力争奪の時代が来ると、覇者王侯のみならず、貴賢の人々も園圃を営み、第宅園林の源泉を見ることができるようになっていく。庭や園圃には桃・梅・木瓜などの果実のなる花木をはじめ栗・漆・桑・柳などの実用的な樹木が植えられていたことも知られる。水田耕作の始まりと共に、人々は身近に花の咲く草花を見ることができるようになり、花を鑑賞する心も養われていったと考えられ、この頃には、庭などに植えられていた植物は実用性のみでなく、鑑賞性も多分に持つようになっていたと考えられる。 はじめて中国を統一し、神仙思想の中、上林園を経営した始皇帝の時代も、15年で漢王朝にとって代わられるが、漢王朝でも、上林園やの経営は続けられる。 壮大な、上林園や昆明池はもともと軍備の備えとして、狩猟講武・水戦習練のために造営されたが、多くのが営まれ、節日には、池中に龍首船をはじめ多くの船を浮かべ、(ふなうた)などを作り、曲を賦し鼓吹して遊んでいる。その中の太液池に蓬莱・方丈・の三神仙島を設け、金石を刻して亀魚奇禽異獣の属をかたどり池中に配している。また、太液池の池辺には平沙多く、沙上には諸々の鳥が群れていたことも注目すべきだ。 この時代には囿は苑と、沼は池と呼ばれるようになり、漢代に至って苑池園林はほぼ完成したとみられている。(*参考文献2) .『庭園』という日本語 『庭園』は、実はきわめて新しい言葉である。明治の半ばでも、庭園を『』と呼ぶ呼び方がまだ強く残っていた。林泉は、江戸時代に(特に漢文・漢詩中に)使われた表現で、この語源が引き続き親しみを持たれていたのである。『庭園』は、明治半ば頃から徐々に使われるようになった表現である。 私たちが現在特に意識せずに使っている『庭園』は、実は2つの異なる空間を指す言葉『庭(てい・にわ)』と『園(えん・その)』とからできている。 庭と園は、古代には、はっきりと区別して使われていた。古代日本語の『ニハ』は、語源的には『土間(ニマ・ハニマ)』『土場(ニマ)』からでたとされている。ふつうは植物も生えておらず、意図的な造形も特にない平坦な土の地面を指す。 『にわ』は、各種行事や農作業が行われる儀礼・仕事の場であった。一方、『その』は、植物が植えられている場所であり、特に果樹や花木など人間にとって好ましい樹木が植わっている、多くは囲われた場所であったとされている。(*参考文献3) 【万葉集にみる『にわ』『その』『しま』】 万葉集には、今日の庭園にあたる空間が『にわ』『その』『しま』と言う三つの表現であらわれる。もう1つ『やど(屋戸、屋外)』も、ときに今日で言うところの庭園を指した。 庭に立つ 刈り干し 布さらす を 忘れたまふな (五二一) 庭中の の神に 木柴さし はいははむ かへりくまでに (四三五〇) 最初の歌には農作業のにわが、次には祀りのにわが詠まれている。 橘を に 植えし 立ちて居て 後に悔ゆとも あらめやも (四一〇) ここでは、場所的表現として『にわ』に『屋前』をあてている。そこには橘が植えられたが、多数の木が植わった樹林にはなっていない。 (水上梅園) 『その』には、よく知られた大伴家持の歌がある。 春の園 にほふ 桃の花 る道に 立つ (四一三九) 『その』は桃の木が紅の花を咲きにおわせている樹林のようである。 『しま』は、次の用例のように意図的に造形するものだった。 として 二人作りし 吾がは くしげく なりにけるかも (四五二) 『しま』にはまた『山池』をあてた例もある。 (那谷寺庭園) 「いにしへの ふるきは深み 池のに ひにけり」(三七八)の歌の題詩に「山部宿彌赤人、故太政大臣藤原家のを詠める歌一首」とある。 わがに きし 枯れぬれど りずても 蒔きかむとぞ思ふ (三八四) この『やど』は、韓藍(おそらくケイトウであったといわれている)が育てられる場所である。しかし、『やど』は、そののち屋敷全体の家屋(建物)部分にその意味を移していき、また『しま』は、そのもっとも特徴的な要素である池中(または海上)の『島』に意味を限定させていった。『やど』や『しま』は脱落し、『にわ』と『その』が生き残った形となった。 『にわ』と『その』を典型的に区別しうる例は、 わが園の の花か 庭にりし はだれのいまだ 残りたるかも (四一四〇) で、『その』に植わっている李が『にわ』にその花びらを散らせている。このように、かつて『庭』と『園』の区別は、はっきりしていた。 とはいえ、私たちも実は無意識のうちに『庭』と『園』をちゃんと区別して使っている。 例えば『石庭』『梅園』とは言うが、『石園』『梅庭』とはふつう表現しない。特徴のある石が置かれた平坦な土面が石庭であり、花木であり果樹である梅が沢山植わっている樹林が梅園である。 千数百年の時を経て、生き続けて来た『庭』と『園』の古代からの語感を、私たちはちゃんと受け継いでいるのである。 しかし『にわ』にせよ『その』にせよ、はるか古代から庭園が、単にありがたく眺めるだけではなく、暮らしの中で生き生きと使われ、歌われていた事がわかる。農事や祭祀の場として、また、果樹や草花を育てる実用のを観賞の場として、庭園は、暮らしの必要に個別に答える装置だった。 そして特に、饗宴の場として洗練される中で、政治・宗教・芸術などあらゆる分野を含みこんだ総合的な機能を発揮するようになり、今に至るのである。 3. 暮らしの中の庭園 前章まで見てきた『庭』というものは、どちらかといえば、国や行政、もしくは金銭的に余裕がある人対象であることは否めない。 アンケートを見ても、大半が有名もしくは大きな庭園を『庭』という一言において連想することがうかがえる。しかし、ここで注目すべきはその中に『家庭』の庭も登場している点にある。 はじめにも述べたように、『庭』には、大きく分けて『眺める庭』と『自ら手を加える庭』が存在するのだが、現代人はその辺を漠然と、あるいは一緒に考えている人の方が多い。 現代生活に『庭』を生かすとするならば、大きな庭園についての知識ももちろん大事だが、暮らしの中に受け継がれた庭についての知識も大事だと思える。 ここでは、その『暮らしの中の庭』について歴史を紐解いてみる。 氈D町屋と坪庭 住宅に複数の建物が建てられるとき、周囲を建物で囲われた小庭が成立するのは世の常である。この庭は、日本庭園の寝殿造りにおいては『壷庭』と呼ばれ、そこに萩を植えた女御は『萩壷』と呼ばれるなど、その女性たちの名称にまでなっていることは多くの古書よりうかがえる。 室町時代後期、京都や堺の町では『町屋』と呼ばれる都市型住宅が密集していた。『市中の山居』と呼ばれる初期茶人の住まいもこのような都市型住宅において生まれた。 町屋には裏庭があって、夏場は座敷に涼しい風が通るようになっている。実に上手くできた設計で、京都の蒸し暑い夏をすごく知恵だと現在でも感じさせられる。ただし、この『裏庭』と書いた部分は『前栽』と呼ばれるのが普通である。 庭といえば、京都の町屋では、玄関から裏の前栽に通じている土間・または舗装された通路が『庭』や『通り庭』と呼ばれた。通り庭は途中に台所があり主婦はそこから玄関にも裏の前栽にもすぐに出ることができる。 町屋は間口は狭いが『鰻の寝床』と呼ばれるように奥行きの長い敷地に、住居機能が実に合理的に配置されている。また、この敷地の中ほどに建物に囲われた小さな庭が存在しているが、これまた庭とは呼ばず『つぼ(坪・壷)』と呼ばれるのが普通であり、そこは採光や通風の機能を伴うべくオープンスペースだった。 『前栽』『坪』『庭』という言葉を聞くと、先に述べたような平安時代の庭園が思い出される。用語から見ると京都の町屋には、平安時代の貴族の屋敷の庭園が保存されているようだ。『鑓水』や『池』や『築山』こそないが、千数百年の時を経て、寝殿造の真髄は京都の町屋に生き続けている。これは千年以上もの長い『都市』の歴史を経る中で、日々暮らしに合った装置が住まいに取り込まれて出来上がったものだ。したがって、町屋の造園空間を見ていくと、都市民の生活に欠かせない庭園はどのようなものかという基準が見えてくる。 前栽では鉢植えの菊や朝顔が育てられ、坪には雪が降り積もる。 自然を引き寄せることで日常生活の場に潤いのある環境が生まれるのである。わずかな空間であっても、そこにあらわれる四季の変化を感じとったり、また、自ら手を下して草花を育てる園芸の活動ができるような、生活に密着した庭園が町屋には備わっていたと言える。そして、自然の小さな一部では満たされない大きな自然との出会いの楽しみは、花見や紅葉狩りなど郊外の野山へ出かけることで、手に入れることができたのだ。(※参考文献4) .江戸庶民の庭 江戸時代には多くの作庭書が版行されていたことからも、町人が豊な経済力と文化のもとでこのような空間に自然の息吹を取り込もうとしたことがうかがえる。 これが坪庭であり、枯山水や露地で培われた自然の表現手法、とりわけ飛石、石燈篭、手水鉢爽やかにアレンジしたデザインが流行する。 (※参考文献5) ここには、日本庭園が歩んできた歴史と文化のエッセンスが投入されているともいえる。 江戸時代も中期以降になると、広く庶民の住宅にも粋をこらした庭園が作られるようになってきたようで、それにつれて庭造りの指南書の類が次々に編集・出版されるようになった。このような作庭書を読むと、当時の流行の庭園の姿や、造園技術についてを知ることができる。 江戸時代までに記された作庭伝書は約30種類あるという(飛田範夫氏による)。作庭伝書で最古のものは平安時代に書かれたとされる『作庭記』である。作者は藤原頼通の庶子、橘俊綱であるとされている。この書は秘伝書であり、これを目にすることのできる者は本当に限られていたのであるが、安永8年(1779)に編纂が開始された塙保己一による群書類従に収められたことによって一般に知られるようになった。 この書は寝殿造系庭園に関する伝書であるが、今尚造園関係者必読の書とされる。 それは、この書が作庭に際しての基本姿勢・普遍的な美を生み出すための原理を具体的に示してくれているからである。ちなみに、寝殿造系庭園に関する秘伝書にはもう一つ『山水并野形図』がある。この書は古くから仁和寺に伝わったもので、江戸時代に加賀前田家の所蔵となった。 江戸時代に新たに編集された版本には『諸国茶庭名跡図会』(1693)、『余景作り庭の図』(1691)等があるが、享保20年(1735)に版行された北村援琴の『築山庭造伝』は江戸時代までの秘伝書の内容を整理し、まとめたものといい、具体的な造園技法を説明した庭造りのガイドブックとして広く普及した。 また、文政12年(1829)に籬島軒秋里が著した同名の書は、援琴の書を前編として補筆した上で自らの書を後編としたもので、併せて全国的なベストセラーとなった。この後編は庭園を築山・平庭に分け、それぞれの庭園構成を真・行・草の三つの格に区分けするなど、築山や樹木、石組みに関して具体的且つ詳細に記述している。 この書に影響されて、この後も多くの作庭伝書が書かれている。 版行されたものではないのだが、寛政9年(1797)に紀州の東睦和尚は『築 山染指録』を著した。彼はその17年後、文化11年(1814)に京都花園の妙真寺塔頭・東海庵の書院庭園を作庭し、『東海一連の庭』と称していたことが、東睦自刻の版画から判明する。この庭園に『築山染指録』で述べられる技法が随所にうかがえる。 (※参考文献6) また、江戸時代にはこのようなことがあったと記述されている。 享保2年(1717)に、京都・丸山(現在の円山公園のある地域)で開かれた菊の品評会には、143名もの出品者があり、総数380もの菊の展示があったという。これは『丸山菊大会』として、記載されている。 菊の栽培法や品種の説明、鑑賞の仕方について書かれた日本で最初の本格的な菊園芸書『花壇菊花大全』が出版されたのは、同じく享保2年のことである。著者の養寿軒雲峰(ようじゅけんうんぽう)が書いているところによれば、菊を持ち寄って品評会『菊会』が開かれるようになったのは、さらに元禄時代(1690年代)にさかのぼるのだと言う。 この頃は7、8人の同士が集まる程度の小さな会合で、この本には京都四条の寺を会場とした会合が紹介されている。そののち菊栽培はどんどん盛んになっていったようだ。 京都で盛んだった品評会の会場は東山山麓・丸山の『閑阿弥』『也阿弥』『正阿弥』などの寺坊で、そこには整った庭園があった。参会者は、ただ菊を展示これを鑑賞するだけではなく、座敷や庭園で酒宴を楽しみ大いに親睦を深めたのである。 彼らは京都の豊かな町人であり、町屋に住む者たちだった。先に述べたように、町屋の前栽が、展示に備えた菊作りの場所だったのだろう。彼らは西洋で言えば、中・上流の都市民にあたる。 西洋ではこの階級層が都市に自分たちの社交の場である遊歩道を設け、公園を作り出したのだ。 こうしてみると、日本の寺坊は西洋の公園にあたるものだ。というのも、実際にここが裕福な都市民の社交の場になっていたのであるから。 また、彼らは、嵐山や高尾などの郊外遊覧地の主な利用者であり、そこの賑わいを支えていた。そこもまた、日本の公園であるといってよい。 こう考えると、先に述べたように、町屋の坪や前栽、そこで行われる園芸活動とそれが生み出す社交の場である寺院、さらに郊外の行楽地は、都市民の暮らしの中に組み込まれた、それぞれ機能を異にするスケールの違った庭園・公園だったといえよう。 。.外国から見た庶民の庭 江戸時代には、支配層である公家・武家が持った庭園があり、その他には先に述べたように京都の町衆のような都市の中・上流層が持った庭があった。しかも広い意味での『造園』への関心は、広範な庶民層まで及んでいたと言ってよい。 庶民の庭は何かと考えると、草花を育てる園芸的な側面がまず頭に浮かんでくる。 昨今のガーデニングブームで、西洋人、特にイギリス人は草花の栽培に長けていて日本人を上回ると思われている節がある。しかし、先ほど述べたが、ほんの少し歴史をさかのぼらせて考えると、むしろ日本人は身近な庭づくり、すなわち園芸を随分楽しんでいた国民なのである。 イギリスに本格的な園芸協会ができたのは1804年のことである。ロンドンのピカデリーにあったハッチャード書店に集まった7人が、協会を発足させる決議をしたことに始まる。この園芸協会が中心母体となって、今日世界中に会員を持つ英国王立園芸協会も生まれた。 ところが、先に述べたように、園芸愛好家の集まりで言えば、日本はこれよりも100年も前に菊の愛好家が頻繁に会合を開いていたのである。 幕末の日本を訪れた園芸家のロバート・フォーチュンは、著書の中でこのように書いている。 「馬で郊外のこじんまりとした住居や農家や小屋の傍らを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を植え込んだ小庭を作っている。日本人の国民性の著しい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしに始終好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人たちに比べると、ずっと優って見える。」(※参考文献7) フォーチュンは、多くの園芸植物をイギリスに持ち帰ったプラント・ハンターで、当時のイギリス園芸会に最もよく通じていた。そんな人物が、日本の園芸を観察すると上下階層の差が小さく、下層といってもその文化程度はきわめて高いと考えていたのだ。 そんな厚い伝統と長い歴史を持つ日本の園芸は、ささやかな鉢植えとはいえ住宅の範囲で生き続け、それがベランダ園芸として現代にも生き続けている。 (▲現在でもよく見かける、玄関先に置かれた鉢植え) 4. 現代生活の問題点 ここまで見てきて、日本人(庶民)が庭や園芸について興味を持ち、それらを積極的に生活に取り込んできたことは分かったが、現代人にとって、はたして『庭』とはどういうものなのだろうか? 『庭』を考える材料として、ここで少し日本人の生活における問題点について考えてみることにする。 上のアンケート結果を見てみると、グラフ中央が盛り上がり、そのことからも現代人の大半が生活に半分以上の満足度(俗に言われる『まあまあ』という感覚)を示していながらも、それが100%ではないことが分かる。 上のアンケート結果の健康には疲れがとれない・眠れない・不眠症であるなども含まれ、また、余暇には余暇が少ない・余暇の使い方が分からないなども含まれている。 これらを見てみると、全体的にリラックス感が少なく、癒されたい願望が強いことが、その前のアンケートの満足度が100%にならなかった理由としてみられるようだ。 そこで、現代人の生活が少しでも快適に、そしてより100%の満足度に達するように、これらの問題点の精神面に関わる『ストレス』について、探ってみることにする。 あなたのストレス度チェック チェック項目 チェック欄 特に体調が悪いわけではないのに、時々めまいがする 手足がジーンと痺れることがある 運動中ではないのに動悸や胸が締め付けられることがある 肩こりがひどかったり、背中や腰が痛くなることが多い お腹が張ったりよく便秘や下痢をする やる気が出ず、ちょっとしたことでも疲れてだるいと感じる 体が疲れているときでもなかなか眠れない 朝寝起きが悪く、気分がどうも憂鬱になってしまう 外出するのが億劫で、人と会う約束があると気が重くなる なんとなく不安でイライラする 以前より怒りやすくなり、ささいなことでも切れてしまう 物事がなかなか決められない これからの先に自信がない 自分など、この世から消えてしまいたいと思うことがある 心の底から笑ったり楽しいと思えることが最近ほとんどない 【チェック項目から分かる結果】 0〜5個の人→青信号 タフな人で上手にストレスと付き合っていくタイプ。充分な睡眠とゆったりとした休息で回復する人。 6〜10個の人→黄信号 現代人ならば誰でもこの程度のストレスは抱えているという程度。自覚と自分なりの解消法が必要な人。 11〜15個の人→赤信号 ストレスを自覚していれば問題はないが、設問項目のようなことが長引く症状となった時は要注意。場合によっては、医師や専門家に相談が必要。 (星恵子医学博士によるチェック法を参照) 上のストレス度チェックを、アンケート対象者に再度行ってみたが、大半の人が過度のストレス下に気付かないうちに置かれていることが分かる。 自分の生活の質は『まあまあ』だと、感じていながら、そこにあるストレスは感じている以上のものがあるようだ。その現代人において自覚が薄いストレスとは、一体どのようなものなのだろうか? ・現代人に巣食う『ストレス』とは? 氈Dストレスの一般概念 突然、原因不明の病に倒れてしまい、ぜんそくのような症状を起こし、呼吸困難に陥ったり、めまいで倒れたりするケースがある。これらのケースはいずれも診断名を不定愁訴やパニック障害と診断された。これらの原因は全てストレスが原因であった。患者はカウンセリングなどの治療で全員が回復方向に向かった。 『ストレス』とは、例えれば、ボールに圧力がかかって、歪んだような状態のことをいいます。 このとき、ストレス状態を引き起こす要因を『ストレッサー』というのです。 図では『人間関係』や『仕事の忙しさ』や『不安』などが、『ストレッサー』に当たる。 軽いストレスでも、蓄積されれば体に影響を及ぼすのだ。 聖マリアンナ医科大学 星恵子教授によるストレス映像が実験の結果がある。 被験者の血液を採取して、イライラ感が生まれるまで待たせ、ようやく3時間後、また血液採取を行った結果、血液が変化していたのだ。正常の時の血液はスムーズに流れ、ストレスがかかった血液は流れが悪い。これはストレスにより『凝集』(血液が固まる現象を起こしていたこと)を起こしていたためである。 次の実験では、被験者に簡単な一桁の足し算を出し、手の平の温度を測定。結果、毛細血管が凝集し、体温が下がっている。ぜんそくなどもストレスがかかり毛細血管が収縮して発病したと思われる。 『ストレス』という言葉は、もともとは物理学に使われていた言葉なのだが、カナダの生理学者であるハンス・セリエ博士が1936年にイギリスの雑誌『ネイチャー』誌に『ストレス学説』を発表したことからこの言葉が使われることになった。 セリエ博士の『ストレス学説(ジェネラル・アダプテーション・シンドロームともいう)』が画期的だったのは、刺激の種類に関係なく、その刺激に適応していくときの反応とプロセスは同様のものを示すということを発見したことにある。 もちろん、当時の医学界では『ストレス』という言葉と共に、そんなに簡単に受け入れられる学説ではなかった。セリエ博士はどんな病気でも同じ症状を示すはずだといったのだから、無理もないことです。 さて、そのストレスだが、残念ながらなくすことはできません。生きている限りストレスは続くのです。 現代ストレス病といわれるいくつかの例がある。 ▲アメリカのホームズ博士らは、日常の出来事をストレッサーとして分析し数値化した。上の表はそのときの結果だが、配偶者の死を100として、43の出来事をストレス値の大きい順に表示。ここでは、その中でも、上位10位に絞っている。(※参考文献8) 『第3エイズ症候群』 これは、エイズ検査は陰性でも不安が多くなりエイズと似た湿疹ができたりする。 『男性型脱毛症』 これは、企業の女性管理職に起こり、男性ホルモンが過剰に分泌されることによる。 『主人在宅ストレス症候群』 これは、中年夫婦に起こりやすく、夫が家に居ることによって落ち着かなくなり、妻が呼吸困難に陥る。 『高速ライフスタイル症候群』 これは、無駄な時間が嫌で、余分な時間を作らないことに快感を覚えることである。 『ふれあい恐怖症候群』 これは、親の過剰な保護のもとで育ったために、子供の頃から他人と関わることを避ける、表面的な付き合いはできるが踏み込んだ付き合いになると逃げ腰になるなど、ひどい時には社会生活に適応できずに苦しむ。 『燃え尽き症候群』 ある日突然、燃え尽きたように無気力になるのが特徴。仕事一筋の男性が定年退職をした後で、子育てだけに全力投球してきた主婦が子供が巣立った後で陥りやすい。 『ヤマアラシ症候群』 他人との心理的な距離が測れず、常に人間関係でジレンマにさいなまれる。他人から傷つけられることを極端に恐れ、激しい自己主張を繰り返す。攻撃的なその姿はヤマアラシそっくり。そして、自分も相手も傷つけることになる。 『スーパーウーマン症候群』 仕事・家事・子育て_すべて完璧にやらないと気がすまない、まじめで手抜きができない女性がかかりやすい。そのストレスが度を越すと、息切れ・めまい・虚脱感などの症状を覚える。 『過敏性腸症候群』 現代社会が生んだ典型的なストレス病。出勤途中に突然お腹がごろごろ鳴り出しトイレに行かずにいられなくなる。最近では、主婦や小・中・高校生にも増える傾向がある。ひどい場合は出社拒否・登校拒否にも。 『サザエさん症候群』 「サザエさん」がはじまる日曜の夜、または月曜の朝になると必ず気分が落ち込む。憂鬱になって、頭痛・めまい・吐き気などの症状が出ることも。「出社拒否症」「月曜病」とも呼ばれる。 以上のほかにも、現代ストレス病は100種類以上はあるといわれている。(※参考文献9) というのも、ストレスとは、本来、生き物が外界あるいは内的な刺激に適応していく過程そのものを概念化したものだからです。 つまり、気候が変わればそれに適応し、飲み水が変わればそれに適応し、心理的なショックを受ければそれに適応していく、そうした環境に適応していくときの反応とプロセスのことをストレスというのだ。 私たちの意志とは関係なく、自然環境は常に変化をし、我々の心も自分ではどうにもならないくらい急激に変化することがある。こうした外的・内的環境の変化に適応していくことが、とりもなおさず『生きる』と言うことで、『ストレス』という言葉は『生きる』という言葉と同義語くらいに本来は考えてもいいくらいなのだ。 上記の『ストレス』という言葉のもともとの始まりからも分かるように、ストレスとは刺激に対する反応ということもできる。その反応には、当然良い反応もあれば、悪い反応もある。つまり、ストレスには『悪いストレス』だけでなく『良いストレス』もあるわけです。 ◆良いストレス(eustress) 『良いストレス』とは、例えば、目標・夢・スポーツ・良い人間関係など、自分を奮い立たせてくれたり、勇気づけてくれたり、元気にしてくれたりする刺激とその状態です。 こうした『良いストレス』が少ないと、人生は豊になりません。 ◆悪いストレス(distress) 『悪いストレス』とは、例えば、過労・悪い人間関係・不安など、自分の体や心が苦しくなったり、まわりの人に何らかの迷惑を及ぼしてしまったりするような刺激とその状態のことをいう。 しかしながら、同じストレスでも、受け止める人によって『良いストレス』になるか『悪いストレス』になるかが大きく異なってくる。 例えば、スポーツの好きな人には、スポーツは良いストレス状態を引き起こしますが、スポーツの嫌いな人には嫌な気持ちを起こさせるということがある。 あるいは、ある目標や機嫌をバネにしてがんばる人もいるが同じ目標や期限を仕方なく果たさなければならないノルマ、迫り来る締め切りと感じて自分を苦しめる人もいる。 ストレスは、ストレスレベルが高すぎても、また逆に低すぎても生産性は落ちるということが分かっている。ですから、最低5分の休養をとり、ポジティブイメージを作って、ストレスを人にとって良い緊張、もしくは適度なものに変えていく必要があるといえる。 前述のセリエ博士は『ストレスは生活のスパイスである』と言っている。 適度な『良いストレス』を持つようにし、その一方で、『悪いストレス』はできるだけ少なくし、あるいは何とか対処がしていくこと(ストレスを解消する・受け止め方を変える・悩みや不安はできるだけ外に出すなど)が重要であり、『ストレス社会』なる言葉まである現在、ストレスをうまく癒すということも、気分よく幸せな生活を送るためには大切な事だと思われます。(※参考文献10) .一般的なストレスに関するまとめ ・その1 ストレスの肯定的な考え方 『ストレス』に関してはたくさんの本やホームページがあります。その多くは『ストレス』を良くないこととし、それにどう対処すればいいかが書かれてあります。その中から、ストレスに対する肯定的な考え方を見つけました。 『ストレス』という有名なホームページに、『リカちゃん先生VSストレス大魔人』というコーナーがあります。精神科医・香山リカさんの協力で作成されているものです。その中の「ストレスって何?」というページは、エッセイ風の文章でストレスについて書かれています。その中から、 「ストレス」はそもそも、私たちにとって役に立つものであったはず。 ストレスとはもともと、ピンチの時に次の行動に備えてからだが起こす反応。 ストレスとはそもそも、人間が生き延びていくためにはどうしても必要なもの。 (※参考文献11) また、このような本「ストレス『善玉』論」もあります。 ストレスの本質は、「生き甲斐と苦しみが背中合わせになったもの」。 ストレスを1つ1つ乗り越えることが、「人間」の発達。 ストレスは元来、避けるべき対象ではなく、乗り越えるべき対象。 (※参考文献12) ここまでストレスを肯定的に考えることが、本心からできればいいのですが、現実には、ストレスが原因と思われる症状があり、病気になる人もいます。 「ストレス『善玉』論」には、ストレスの弱者論についても書かれています。 ストレスで調子を崩す人は、「性格の問題、弱い人だから」のようなことを主張する人がいる。ストレス下で、症状を呈す人の方が正常なのだ、と。 自覚できる症状は、自分に対する信号だと考えることだできます。その信号に気付き、それに対して自分がどうすればいいかを考えることができます。それを気分よく生活するためのヒントやきっかけにすることができると思います。 ・その2 ストレスへの対処法 本やホームページを参考に、ストレスへの対処法を探してみました。 《gooで『ストレス』を検索すると23946件。『ストレス解消』は2788件。『ストレス解消法』は404件。『ストレスコントロール』は33件など。(2000年現在)》 具体的なストレス解消法は、『癒し』の方法とほぼ同じでした。 ストレスの対処法は、大きく分けて、次の3種類があると思います。 1.ストレスを受けないようにする ストレスの原因には、どうにかできそうなものと、どうにもできないものがあります。 @ストレスの原因を取り除く努力をする ストレスの原因を取り除ける可能性があるのならば、そのための方法を考え・努力することはいいことです。問題を正面からよく見て解決する方法を考えることが大事です。 状況や環境や人間関係を変えるのは難しいことも多いのですが、努力してみる価値はあります。結果はどうであれ、自分を育てることができると思います。 Aストレスを受けることを回避する ストレスを受けるような事・状況・場・人などと関わる機会や時間を無くす・減らす・無理して嫌なことをしない・嫌な所へは行かない・嫌な人とは会わない、など。ストレスで病気になってしまうくらいなら、このような選択をすることも一策です。 日常的なストレスから離れるために、旅をするのもストレスを一次的に回避する方法の一つです。 2.ストレスの受け方を軽くする ストレスはどんな状況でもありえます。すべてのことはストレスになり得る、と言われます。 @自分の考え方を変えて、ストレスを受けにくくする そのことがストレスになるか、どの程度のストレスになるかは、その人の受け止め方によります。同じことでも、前述したように、すごいストレスになる人、ストレスにならない人、やりがいや喜びになる人がいる場合があります。好きなものはストレス解消になり、嫌なものはストレスになる、と言うこともあります。 『完全主義はやめる(まぁ、いいか)』『ねばならない、と考えない』『なるようになる』などの考え方を心がけることもストレスをあまり受け取らない方法です。 他にもストレスと受けにくくする考え方がたくさんあります。 A気分転換をする 1つのストレスを長時間続けて受けると、ストレスが蓄積し症状が重くなります。そのような場合には、途中でストレスを避けるような気分転換・ストレス解消法を行うことでストレスの蓄積を軽くすることができます。蓄積する前なら、ちょっとした方法でも効果は大きいのです。 同じことを軽くする場合には、時々気分転換を心がけることです。自分なりの気分転換法がいくつかあることが大事です。 3.溜まったストレスを解消する ストレス溜まると気分が悪くなるし、ひどくなれば日常生活に支障をきたすことにもなります。溜まったストレスは早めに解消することが大事です。 @ストレスを発散・解消する 感情を素直に出してしまうことは人間らしいことだと思います。その後に「あー、スッキリした」といえるとさらにいいと思います。 溜まったストレスは『コリ』になることがあります。コリをほぐすには、動かすことです。身体的なコリならば、体操・ストレッチ・マッサージなど。心残りならば、楽しいこと、夢中になれること、希望のもてることなどを考えるなどがあります。 Aストレスにより消耗・疲弊した心身の回復をはかる いちばんいいのは、休息、特に睡眠だと思います。栄養を摂ることも大切です。 楽しいこと、好きなこと、夢中になれること、人を幸せにすることなどは、嫌なことを忘れられるという意味でも、やすらげる時間を持つことも、人の自然治癒力を働かせ回復を早めると思います。 笑うことは免疫力を高め、治癒力をアップさせるといいます。きっと、幸せな気分になると、いいホルモンとかが出たりして、溜まったストレスを解消するのに役立つと思います。 ・その3 気分よく生活するように心がける 気分よく生活することは、幸せに暮らすために大事なことですが、ストレスに対処するためにもいい方法だと思います。ストレスを受けにくくするためにも、溜まったストレスを減少させるためにも、気分を良くすることは役立つと思います。 そもそも、気分よく生活しよう、と意識している人は、少ないでしょう。気分なんて自然のもので自分ではどうしようもない、のような無意識の考えを持っている人も多いと思います。 気分転換法はたくさんあります。 気分が良くない時だったら、その時よりも気分を少しでも良くする方法はきっとあります。気分が少しいい時には、調子に乗ってさらに気分を良くする方法が見つかる場合があります。 『ストレス』という言葉を意識して生活している人は少ないと思います。 『ストレス』という言葉ではなく、気分を表す言葉や身体の症状を表す言葉を使って考えた方がいいようです。 「気分(身体の調子)が悪い。嫌だなー」で考えをやめてしまわない方がいいと思います。「気分(身体の調子)が悪くても、もう少し気分が良くなれたらいいな(もう少しこの症状が良くなったらいいな)。そのためには何をしたらいいかな?」のように考えることができれば、きっと何か方法が見つかると思います。 気分よく生活するための第一関門は、自分の気分に気付けることです。そのためには、「気分よく生活しよう」という意識を持ち、「気分はどう?」のように自分に聞いてみることです。自分の身体と心に耳とすませば、その声は聞こえてきます。 ストレスは、早期発見・早期対処が一番だと思います。そのために、気分よく生活することを心がけてみることは良いことです。というよりも、幸せに暮らすために気分よく生活することを心がけることで、ストレスなんか意識しなくていい、ということが本来は望ましいのですが。(※参考文献13) 。.アンケートに見られるストレス ここまでは、ストレスに関する一般的な話だったのだが、P.25の『ストレス度チェックの結果』において、黄信号・赤信号だった人たちと、青信号だった人たちとでは、何が違っていたのだろうか? アンケートの割合比較で見ていきたい。 【質問内容】 Q1.現在の住まいは都心である?(Yes/No) Q2.現在の住まいは集合住宅である?(Yes/No) Q3.現在の住まいにおいて、近所付き合いはある?(Yes/No) Q4.どちらかといえば、家にこもりがちである?(Yes/No) Q5.人付き合いは多いほうである?(Yes/No) Q6.友だちは多いほうである?(Yes/No) Q7.仕事(学業)以外に趣味がある?(Yes/No) Q8.現在の住まいで生き物を飼っている?(Yes/No) Q9.現在の住まいで植物を育てている?(Yes/No) 住まい自体の状況的には、Q1.Q2の結果から見ても、多少、青信号の人のほうが、郊外の一戸建てに住んでいるように感じるが大きな差は見られない。 また、人付き合いに関しても、青信号の人のほうが社交的かというとそうでもなく、黄・赤信号の人も社交的であることが見て取れる。 では、決定的な違いは何か? それは家での過ごし方にあるようだ。 青信号の人と大きく差が出た質問はQ3,Q4,Q7。 これは、自宅での過ごし方が出る質問だが、黄・赤信号の人たちは、どちらかといえば、近所の人とのコミュニケーションをとらないようだ。家に帰り着くと、TVを見たり、パソコンやゲームをしたりで、いったん家に入るとそこから出るという行動に出る人は少ないようだ。休みの日にしてもしかりで、ゴロゴロしていつも行く所で買い物をして帰るということが多いらしい。 確かに昔の長屋のように向こう三軒両隣を詳しく知っていると言うのもわずらわしい事かもしれないが、全くコミュニケーションをとらないといことは、自宅近辺の行動範囲を狭めていることにもつながる。 黄・赤の全員に言えることではないが、意外と自宅近辺の地理の方が、会社や学校の近くの地理よりも明るくないと言う人も見受けられた。 では、青の人たちはどのようにして近所の人たちともコミュニケーションをとっているのだろうか?その答えが、Q8,Q9にあるようだ。 青の人全員がというわけではないが、生き物を通じてのコミュニケーションの輪を広げたと言う人も多かった。その輪の中でだと、普段口下手な人でも、自分の得意分野ということで話し掛けやすく、そこでの情報交換が、行動範囲を広げ、自然と家にこもりがちになることも少なくなったのだと言う人もいた。 また、家の近くに知り合いがいるということで、疎外感も減りそのことがストレス軽減につながるようだと答えてくれた人もいた。 そして、これとは別に、単純に生き物に囲まれた生活が生きていることを印象付けられるため生き甲斐になりストレスが減ったと言う人は全体を見ても多かった。 このことから、一番落ち着くであろう自宅で、ストレスを溜めないことが大事であり、そのためには、適度なコミュニケーションを周りとも取り、疎外感を減らす生活を送ることが必要なようだ。 5.生活における癒し 前章まで見てきた中で、現代人には慢性的なストレスへの対抗手段として、『コミュニケーション』と『自宅での過ごし方』という行為が大切なのは分かっていただけると思うが、その中で、何を選んでコミュニケーションの手段とするかという問題が出てくる。もちろん、それは個人によって違ってくるのだろうが、その中で、今はまだ研究段階だが一つの研究報告がある。 それが『園芸療法』である。(※参考文献14〜25) 草花をプレゼントされて嫌な思いをする人はいないはずだ。ガーデニングもブームの一つである。あわただしい都市生活に疲れた現代人が草花が持つこんな不思議なパワーを、治療やリハビリテーションに取り入れる『園芸療法』が、医療・福祉などの現場で広がり始めている。 氈D園芸の効果 大昔から『病は気から』と言われてきましたが、最近の細胞免疫学は精神的ストレス下でのリンパ球の挙動を解析し、人の心と生態防御システムの関係を雄弁に説明する、精神免疫学と言う新しい学問分野を打ち立てました。前章にも述べましたが、『楽しく暮らすのが健康によい』のです。 アメリカ合衆国では、現代医学の力が及ばない患者の心の問題を癒すために、植物の力、音楽や絵画を用いる試みがあり、園芸療法、芸術療法を呼ばれています。 「園芸療法は作業療法の一環として、身体機能回復に有効ですが、何よりも心にもたらす効能に注目して欲しいですね」と日本園芸療法研究会会長 田中豊氏は語っている。 体の調子が悪いと家にこもりがちになるが、園芸をすれば、毎日外に出るのが習慣になる。外気や陽射しに当たることで、心身ともにリフレッシュする効果をもたらす。 リラックス効果も大きい。 「植物は世話をしなければ枯れてしまうが、慈しんでやれば季節によって様々な変化を見せ、成長を遂げていくもの。ゆっくり成長する植物を見ていれば、急いだり焦ったりすることが浅はかに見えるでしょう。病気が治らないと焦るより、ゆっくり着実に直していこうという気になるはずです」 さらに、作業の達成感も見逃せない。 「きちんと世話をすれば、青々とした葉、美しい花、見事な実が育ちます。自分が育てたのだと自信が持て、こうした達成感が、もっと他のことにも挑戦しようという大きなステップにつながるのです」 日本園芸療法研究会が、在宅看護の患者たちに鉢植えを渡したところ、大変好評だったという。 「鉢植えだけ渡しても仕方がないのでは、と思っていたのですが、患者さんたちがとても熱心で、その後も担当者が育て方の質問攻めにあったほどです」ということだ。 .園芸療法の歴史 園芸療法の起源は18世紀フランス。 精神障害者の施設で、食糧確保と精神安定のための農場を作ったのがルーツをされている。 園芸療法が大きな変化を遂げたのが、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国です。戦争で人を殺し、友を失い、自らの心と体が傷ついた合衆国兵士たちの精神的、身体的、社会的リハビリテーションが必要になったのです。彼らは園芸を行いながら、自らの心を癒し、体力を回復し、職業を得たのです。 この家庭を通して、米国各地の大学に園芸療法の講座が開設され、園芸療法の基礎理論、行い方が研究され、次第に園芸療法の対象も広がりを持つようになりました。 70年代の始には、園芸療法の資格が設けられ、園芸療法協会も設立されました。一方、1950年の北欧では、その後の福祉政策に大きな影響を与える流れが始まっていました。 『ノーマライゼーション』の始まりです。デンマークの障害を持った子供たちの両親が、障害者は施設に隔離するのではなく、障害を持ったまま地域で普通の生活ができるような社会を作るべきだと考え始めたのです。 この考え方は、合衆国の園芸療法にも取り入れられ、園芸の本家イギリスにも普及しました。医療教育、福祉の総合化がイメージされ、生活環境の質の向上・福祉の社会的基盤整備が行われました。その結果、合衆国やイギリスでは、あらゆる人々のための庭園とガーデニングをスローガンに、視覚障害者のための庭園(香りの庭)など、園芸療法のデモンストレーション・ガーデンが作られています。 。.園芸療法(Horticultural Therapy)とは 植物成分などの効能を利用した受動的な療法として『アロマテラピー(芳香療法)』があるが、その対極的な療法として自分自身が植物に働きかけることで能動的に癒しを得るものが『園芸療法』である。 合衆国の研究報告の園芸療法の効果として、不安と緊張がほぐれる創造的な表現ができるようになる、衝動を抑えることができるようになる、フラストレーションに耐えられるようになる、計画・順位・判断ができるようになる自分の行動やその結果に対する自己評価ができるようになるなどが評価されています。 『園芸療法』が農作業や園芸と異なるのは、生産性に重点をおくのではなく、育てるプロセスに最大の価値を見出す点。 園芸療法は性別・年齢・障害程度を問わない。介助者の手を借り、コミュニケーションをとりながら土を掘り返し、苗を植え、実を収穫する。こうした作業が五感を刺激し、人間本来の治癒能力を高めるのである。 日本人はせっかちで『園芸療法』には即効的な効果があったり、決定的な治療であると誤解しがちだが、そういったものではない。園芸療法の科学的証明はこれからである。しかし、穏やかに人の心に作用するのが特徴だ。 園芸療法で大事なのは、花や植物の心を理解し、共に暮らす気持ちを持つこと。つまり、花や植物を育てるなどして、花や植物がある生活を送ればよいということだ。 今あるプログラムは、60〜90分。 リハビリテーションの療法としては、『道具を握れるようになる』とか、『誰かと一言でも話をする』などの目標を設定し、介助者が成果をチェックする。作業には障害をカバーするアームホルダーのついたスコップや、握りを太く掴みやすくしたかまなどの専用具もある。さらにいえば、毎日の水やりが無理ならば、タイマーで自動的に水をやる道具もある。 花を植えるため、起き上がったり、立ったり、体を伸ばしたりすることで、自然に筋力がつき、スコップを握ったり掴んだりする動作も手足の関節を動かす『関節可動域』の訓練になる。視覚に支障をきたしている人も、香りのあるハーブ類を育てたりしている例もある。痴呆症にも効果があるとして、老人施設、デイケアセンターなどで導入するところも増えてきた。 広島県三次市の三次地区医師会医療センターは、今年4月から病院の屋上を利用して、園芸療法を始めた。週2回、作業療法士らが指導。脳卒中や人工透析患者、痴呆症のお年寄りら10〜15人が参加するが、要介護の痴呆症の老人が徘徊が少なくなり、精神的に落ち着きを見せるなど、効果が出たという。 このセンターの医院長 加藤芳郎氏は「馴染んだ花に触れることで昔の記憶を呼び起こし、鎮静作用もあるようだ。単調で押し付け気味な面もあったリハビリとは違って、楽しく副作用もない」と有効性を強調する。 しかし、園芸療法自体が国内ではスタートしたばかり。「こんな障害、あんな症状にはこの植物、あの作業が効くという対症療法的なアプローチではなく、草花を育てるということで自分の役割を再発見し、患者の意欲が高まることが最大の効果。園芸療法と聞くと構えてしまいがちだが、要は楽しんで植物を育てることです。庭や花壇がなくてもプランターや鉢植えで充分に楽しめます」と説く。 要するに、これといった特殊な作業方法があるというわけではない。ごく普通の花卉栽培の農家の仕事をするだけであり、園芸作業は草むしりに始まり草むしりに終わるとも言われている。しかしこの運動量がかなりのもので、運動不足を解消するためにスポーツジムなどに通うよりもずっと健康的である。 また、花や緑には情緒を安定させる効果がある。自然の中で汗を流し、花や植物と接していれば、知らないうちに心のわだかまりも消えるようだ。(※参考文献26) そして、それらより得られる達成感と感動が、どうも自分を見つめなおすきっかけとなり、小さな花が健気に、一つ一つが違う個性を持って一生懸命に生きている_ストレスに苛まれていた人たちが、それら植物に触発され何かに気付くことによってストレスから解放されていく。それが『園芸療法』の一番の特徴といえるだろう。 「.色彩による効果(『緑』について) ここまでは、『園芸』について、今研究されている医学的見地からの効果である。 園芸の作業自体が人の精神を落ち着ける作用があると説いているが、その肝心の植物自体の精神への作用はないのだろうか? 休みともなれば、都会に住む人々はこぞって郊外へ出かけていき、釣りやバーベキューなどアウトドアを楽しむことも最近での流行である。また、わざわざ外に出て行かなくても自然に親しむ方法として、手軽に楽しめる園芸がブームであり、プランターでも育てられる野菜やハーブの苗が、爆発的に売れているのも事実だ。 こうした自然回帰の風潮をとらえて、 『都市の無機質な空間で生活していると、その反動としてカントリーライフに憧れるのだ』 『植物や動物と親しむことで、失われつつある人間性を取り戻そうとしている』 と、言われることも多く、それについては、前章のストレスとコミュニケーションでも述べたことだ。 しかし、人間が自然を求め、それによってやすらげるという理由は、どうやらそれだけではないようなのだ。 園芸、および庭を好む人間の心理には、『色彩』が関係しているようである。 (※参考文献27) このグラフからも分かるように、人間は情報のほとんどを視覚から得ている。 そして私たちは、目と皮膚でその色(=光)を感じている。 例えば、目隠しをした被験者に、服を着たままの状態で、右の背後から電気スタンドの光などを当てると、光の来る右の方向に体が傾く。電気スタンドにフィルターをつけて、当てる光の色を変えるとその色彩によって筋肉が緊張したり弛緩したりする。 こうした筋肉の現象を、脳波や汗の分泌のデータによって、客観的にあらわした数値を『ライトトーナス値』という。 一番筋肉が弛緩しているときの値は『23』である。 これを色別に計測すると、土壌のベージュ色は、筋肉が最もリラックスしている『23』という数値。ついで、海や空の青が『24』、木々の緑が『28』である。反対に、筋肉を緊張・興奮させる色は、黄色『30』、橙色『42』となっている。(※参考文献28) 大自然の中にいるとき、私たちが心身ともにゆったりとするのは、目に飛び込んでくるベージュ、水色、緑が生体機能を活性化させてくれるからである。 そう考えると、ベランダなどでの園芸も、忙しい生活の中で、心の緊張を解きほぐすためのアクセントになっているといえるだろう。 【光に対する筋肉組織の緊張度(ライトとーナス値)】 インテリアカラー 測定値(正常値=23) 緊張度 ベージュ(パステルトーン) 23 弛緩 ブルー 24 ↑ グリーン 28 ↑ イエロー 30 ↓ オレンジ 35 ↓ レッド 42 緊張・興奮 (※数値が小さいほどストレスが少ないと見ることができます。) この他にも、植物が持つ『緑』という色は、安全を表し、安心感を与えてくれる色である。(これは、草食動物が猛獣から身を隠す茂みの色からきているのだとも言われている) また、激しい赤と優雅な紫の中間にあって、穏やかで安らいだ気分と結びつく。そして、地球の台地を覆う緑は母なる大地であり、自然界の『色彩の母』とも呼ばれている。 ●人々が抱く『緑』が持つイメージには次のようなものがある。 落ち着き くつろぎ 安全 平和 安息 平等 永久 公平 慰安 親愛 安易 新鮮 自然 健康 さわやか 栄養 豊か 青春 成長 未熟 青二才 ●人々が『緑』から連想されるものには次のようなものがある。 信号 非常口 森 草原 野菜 葉緑素 エメラルド 田園 公園 青葉 ●『緑』が及ぼす生理作用や心理作用には次のようなものがある。 ・ 精神系統の鎮静作用、鎮痛作用、緊張緩和、催眠作用 ・ 緑色自体が、エネルギー・若さ・成長・繁殖力・希望・新生活というシグナルになって、見るものに働きかける ・ 筋肉や細胞組織を活性化させる ・ 交感神経に作用し、血管の緊張を解く。血圧も下がる ・ 下垂体を刺激し、内分泌系の働きを活発にする ・ 強壮剤、殺菌剤の役目を果たす ・ ストレスの減少 ・ 目を休める、アイレストグリーン、学校の黒板 ・ 食べ物の緑は人間の体を弱アルカリ性に保つ働きがある。 ・ 子供の絵の中に緑色があると、ストレス発散の意味がある。 ●この他にも『緑』に関する事例はある。 ・ 1920年代に医療現場の色が白から緑へ変わっていった。 医者から見れば手術中に血を見る→赤が目に付く→心理補色で緑が目の前をちらつく→壁が緑ならばちらつきがなくなる、ということらしい。 また、患者から見れば、病院内にいる時は精神不安定→緑があれば心理的に穏やかになれる。(配色実例参照) ・ 黄緑はスタートの色とされ、やる気がわく。 【配色実例】 色彩 Basic color Sub color (Key color) Accent color (Theme color) 全体に占める割合 70% 25% 5% 基本色 無彩色(白・アイボリーなど) 患者の治療に役に立つキーカラー 構成物 天井・壁面・床 カーテン・ドア・天井・床など ドア枠・調度品など 例1:内科系病棟 アイボリー・白 リードグリーン グリーン 落ち着きと安らぎ、副甲状腺ホルモンの分泌促進、苦痛と緊張を解きほぐし、喪失感の克服が見られた 例2:外科系病棟 アイボリー・白 スプレーグリーン ブルー 術後の回復促進、患者の沈静化、高血圧・感染・炎症を抑制する。下垂体ホルモンの分泌促進、生体の呼吸効率を高める回復の色 例3:ナースセンター・OP室など アイボリー・白 青緑類似色 青緑 生理的落ち着き、時間の過小評価、筋緊張の減少 (政府管掌成人病予防健診指定病院 引佐赤十字病院、新病棟配色実例(1995年12月)) 」.色彩調和 茶道のたしなみがない人でも、茶室に入ると心が静まり、さわやかさに満ちてくる。それは茶室が、計算しつくされたリラックス空間だからとも言われる。 和室の視空間を100%とすると、じゅらく壁、檜の柱、杉の天井、畳表などベージュ色が70%を占めている。これが、先の表でも取り上げた、ベーシックカラーである。ベーシックカラーとは、目に入る空間の中で背景の役割を果たす色で、いわば『色を見るための色』になっている。その故に、捨て色(foil color)ともよばれる。 ベーシックカラーを引き立てるのが、ふすま、障子などの白。これをサブ・カラーを呼び、視空間全体に占める割合は25%である。 そして、このような空間の中で際立つのが、袱紗、床の間の花、軸、茶碗、お茶、和服などの純色である。アクセント・カラーである純色の面積は、わずか5%にすぎない。 だからこそ、赤や紫の袱紗さばきが際立ち、床の間に飾った一輪の花の赤が目にしみる。 この微妙なバランスが最高のリラックスの空間を作りだす『黄金率』になっているのだ。 音楽は『時間のきざみ』がリズムを作り、色彩は70:25:5%の『面積のきざみ』がリズムを作る。 リズム(rhythm:律動)とは、一定の音が何回かに分かれて聞こえる場合、長短、高低、強弱、音質の相違などが変化する場合、音の聞こえない時間が挿入された場合など、時間経過の『刻み』をいう。必ず一定時間ごとに刻まれる拍という単位に乗ってつくられる。住まいでは、色彩の占める面積がリズムを作り出すのだ。 それにくわえて、抹茶の緑にも疲れた人々をほっとさせてくれる作用がある。緑については先に述べたような効果があるため、『カラーバランス+抹茶の緑』の相乗効果によって、茶室を出るときには別人のように元気になる人も多いのである。 このように、色の組み合わせによって、空間にある種のバランスの取れた状態を生み出すことを、色彩調和という。その手法としては、単色調和、同系色調和、類似色調和、補色調和の4種類がある。 、.年齢と色彩による効果 更に、色彩について見ていくと、人がなぜ年をとるほどに自然を求めるのか?園芸などの土いじりに興味が湧いてくるのか?ということも分かる。 人間は年をとるにつれて、世の中の嫌なもの汚い部分が見えて、つい気分までも暗くなるといわれるが、それは心理的な理由だけではなく、眼球そのものがくすんでくることにもよるのだ。 その証拠に、赤ん坊の目をのぞきこむと、青味を帯びて美しく澄んでいるのが分かる。しかし、大人になるにつれて、黄色味または茶色味を帯びた分泌物によって、濁ったようになってしまう。これは、水晶体に、メラニン色素が生成するからだ。 手や顔が紫外線を浴びると、皮膚の細胞にあるメラニン色素が形成され、肌を小麦色や褐色に変える。 メラニン色素には、太陽光線の50%を反射し、残り50%を吸収する働きがある。吸収された紫外線は熱に変わり、体内でビタミンDを生成する。つまり、メラニン色素は、遮光カーテンの役割を果たすわけである。 表皮に生成したメラニン色素の大部分は、時間が経過すると、新陳代謝と共に角質となって剥がれ落ちる。だが、沈着した色素は、シミになって茶色っぽく残ってしまう。 実は、これと同じ現象が、眼球の水晶体でも起こっているのだ。 水晶体に生成したメラニン色素は、太陽光線の放射エネルギーのうち、紫外線や短波長エネルギー(紫・青・緑など)によって、網膜が傷つかないように守る働きがある。いわば自然のサングラスをかけているようなものだ。 なお、メラニン色素がない子どもの水晶体は、青い光線の約10%しか吸収しない。子どもの網膜には、青や紫が充分に到達するため、積極的に青や紫を求めたり好んだりすることはないのだ。 一方、お年よりの目は、メラニン色素という天然サングラスで保護されているので、青い光線を85%も吸収してしまう。そのせいで、青や緑が網膜に到達せず、これらの色を渇望するようになるのである。 こう考えると、人々が年齢と共に、都会を離れて自然の豊かな田舎に住みたいと思うのは無理もない話なのかもしれない。(※参考文献29) 6.緑との共存実例 ここまでで、日常生活における『緑』(植物)が、いかに人々に潤いを与え、また癒してくれるかが分かっていただけたと思うが、ここからは、その『緑』というアイテムを、いかにうまく生活に取り込んでいくかということについて考えてみたい。 次にあげるものは、集合住宅ではないのだが、都心部での緑の取り入れ方としてこれからの参考になると思われる建物であるため取り上げた。 今回取り上げる建物は、福岡県にある『アクロス福岡』である。この建物は天神中央公園とつながる階段状屋上庭園(ステップガ−デン)であり、エミリオ・アンバ−スの初案により、天神中央公園との植栽帯の連続性を重視し、都心にありがちな建物周辺の平面的植栽ではなく、公園からの景観を"山のイメ−ジ"に演出する為にも階段状の屋上庭園としています。 設計 : 日本設計、竹中工務店、エミリオ・アンバ−ス 用途 : シンフォニ−ホ−ル、国際会議場、オフィス、店鋪 所在地 : 福岡県福岡市中央区天神1−1−1 建築主 : 第一生命保険(相)・(株)三井不動産 規模 : B4F、14F、P1 延床面積、97,493m2(29,491坪) 上の地図を見ていただければ分かるように、都心部に位置している建物である。 この場所は、そもそも、旧県庁跡地であり、長年空き地のままで、その間は、イベントの広場として利用されてきた。アジアの拠点福岡という、キャッチフレーズのもと、国際会議場の名目で建てられたのが、このアクロス福岡であり、現在では、国際・文化・情報の交流とテーマに、大規模な公民複合施設として成り立っている。 建物周辺に関する分かりやすい資料があったので、次にそのまま添付させていただいた。 (※参考文献30) . 天神インターネット探偵局 アクロス福岡ステップガーデン。公園側 から見ると一年中緑が生い茂っている。 ここを登って、最上階の展望台まで行く ことが出来る。 アクロスの横面。一面ガラス張りで近代的。 明治通り側の外壁は、ビル風を防ぐように窪んだ構造となっている。 1階入口にある大きな回転扉。 明治通りから見た風景。 ビルの中に入ると、天井が吹き抜けに なっていて 広々とした空間が広がっている。 ここには、いろんなショップや飲食店 があり コンサートなども行われている。 地下に降りるとそのまま地下鉄乗り場や、天神地下街に抜ける通路に出ることが出来る。 ビルの入口の前にあるモニュ メント。 桜の広場・噴水広場・・・と書いてあったので、おそらくここは 噴水広場だと思う。 この公園は春になると、たくさんの人達が花見にやってくる。 ステップガーデンへの入口。ここから長〜い階段が続いている。 ちなみに、最上階展望台高さ60m・階段総数809段・植栽数37000本・樹種76種・回遊所要時間30分 だそうです。 公園でランニングしている人も_。 この撮影をした日は吹雪。いつもより人の少ない公園で元気に走り回る子供を発見。 公園を上から見た写真。隣に は薬院新川が流れている。 屋上から見た中洲・キャナルシティ方面。 ステップガーデンを登る時に使った階段。 下りる時もやっぱり階段・・・。急なので結構きつい。 以上が、簡単な周辺を含めた状況だが、緑の活用方の具体例があるので、住宅へも活用できる部分(構造・土壌などから)を見てみたい。 .アクロス福岡について・技術実例 1. 高層大規模ステップガーデン緑化技術_49 2. 植栽計画図_51 3. 人工土壌アクアソイル_52 4. 建設残土の緑化利用_54 5. 緑化技術_56 6. 緑化コンクリート_58 特徴・効果 1.都心にありがちな建物周辺の平面的植栽でなく、建物を一つの山と見立て、花鳥風月をテ−マに、四季折々の変化を演出する空間構成と植栽構成としました。 2.排水は自然の山の排水システムに倣い、トップフロア(13階)の雨水が、土壌に浸透し水みちを伝い、下階のステップガ−デンにしみ出し、グランドレベルまで達するシステムを基本としています。 3.パラペット立ち上がり部分の開発により暗渠型排水システムを確立し、連続性の植栽帯により、"山のイメ−ジに演出"が可能となりました。 排水システム 連続性のある植栽帯を構成する為、暗渠型排水システムにすると共に、防水層の保護、根の侵入対策としてパラペット立ち上がり部分を改善し、植栽範囲をパラペット際まで広げました。 改善内容 パラペット際の雨水に対し、瞬時のに雨水を排水することを考慮し、厚み100mmの、空気層を設置しました。排水ル−トは、自然の山の排水システムに倣い、トップフロアの雨水→土壌→水みち→ はね出しプランタ−→下階のステップガ−デン→グランドレベルとしました。 ■ 背景 作業所から出る建設残土は有料で廃棄処分されています。一方、植栽工事に用いられる畑土等の客土材は購入されています。 ■ 概要 本技術は作業所より発生する様々な種類の建設残土に、肥料分を補ったり、根が張りやすい良好な粒径分布に揃えるなどの改良を加えて、植栽に適した良質な土壌を低コストでつくり出す技術です。残土の種類ごとの改良規準、植栽樹木の生育管理規準が用意されています。 (▲建設残土利用概念図) ■ 特長 1. 植栽工事に用いる建設残土は、作業所間の根伐り工事情報をもとに調達します。 2. 建設残土は、改良が難しいシルト質や粘土質土壌でも比較的安価に良質の植栽用客土に変わります。 3. 残土の改良は作業所にて耕耘機を用いて行い、樹木の根系の大部分が分布する表層40〜50cmの深さで主に化学性の改良を施します。 地球に学んだ環境の創造技術 ■ 背景 竹中工務店は早くから「設計に緑を」というスローガンをかかげ、作品に反映させてきました。建物の外部だけではなく、人工地盤上や、アトリウムなどの室内の緑についても最先端の技術を追及してきました。 ■ 概要 実験計画法を用いた実験では、植栽樹木の生育要因効果を明らかにした結果、植栽工事で樹木がほとんど枯れることなく、また雑草の侵入もない条件を見出すことができました。 また、作業所で発生する建設残土に、肥料分を補ったり、根が張りやすい良好な粒径分布にそろえるなどの改良を加えることにより、植栽に適した客土として利用することを可能にしました。 ■ 特長 1. アクロス福岡では76種類33、000本の樹木が植栽されました。 1年経過時点で樹木枯損率は 0.3% であり、通常樹木枯損率 3〜5%より一桁小さく、また、雑草もほとんど出ていません。 2. 従来、建設残土を高額を払って捨て、一方で植栽用の客土を高額で購入していました。建設残土緑化利用技術の適用により、残土を安いコストで改良し植栽用客土として用いることができ、大幅にコスト削減が可能になりました。 ■ 概要 緑化コンクリートは、コンクリート上に直接植栽が可能なコンクリートのことであり、コンクリート構造物に緑を取り入れる技術の一つとして開発したものです。緑化コンクリートは建築物や土木構造物の斜面、あるいは河川の親水護岸などの緑化に適用でき、壁面や造成法面を直接緑化できます。また、雨水や流水で侵食されにくい植栽基盤を作ることができます。 ■ 特長 1. 緑化コンクリートは力学的機能を受け持つコンクリートと植栽基盤が合体した新材料で、粗骨材(砕石など)をセメントペーストだけで固めた連続した空間を持つコンクリートに、保水材と肥料を充填して上に薄く土を固着させたものです。 2. 芝やツタなどの植物を直接植栽することにより、河川の護岸、道路法面、擁壁面、建築物の内外壁面、屋上などの従来緑化が困難とされていた部分への植栽が可能となります。 3. 現地での打設の場合は、施工面の状態に応じた施工ができます。 4. PC化することによって、ビルや集合住宅の外壁や外部空間にも使え、駐車場にも適用できます。横浜市では緑地と認定されました。 5. 多自然型護岸工法として多く用いられています。 ・ 緑化コンクリートの構成 ・ 緑化コンクリートの実施例 (※参考文献31) 7.『用』と『景』 氈D実用と観賞 話を暮らしの庭へと戻すが、『緑』を生活に取り入れていく際のキーワードとして、『用』と『景』がある。『用』とは実用のことで、『景』は景観とその鑑賞を意味すると考えていただきたい。実用と鑑賞は、緑を生活に取り込む上で欠かすことができない観点であり、この2つそれぞれへの配分をどのくらいの割合で行うかが庭の性質を大きく変えるものだといっていい。 用と景の観点を記した重要なものとして従来から『露地聞書』の次の一説がよく取り上げられてきた。 飛石を据えるとき千利休は「わたり」、つまり飛石を踏んで渡ってゆく実用の観点を6割、『景気』すなわち景観上の美点な配置を4割に考えたが、一方の弟子の古田織部はこの割合が逆であった、という話である。 『露地聞書』は江戸時代初期までの茶人たちの経験を、秘伝書の形式にまとめたものである。茶の心構え全般と茶庭の作り方についての指針が記されている。そして、ここに引用した頃は、飛石について語られているのはもちろんだが、実際は造園全般への姿勢が語られていると受け取ってもいいだろう。つまり、この文が意味するところをもう少し広げて考えると、視覚からの庭園評価と利用による庭園評価の二つの姿勢の差を表現していると見ることができる。庭の価値を鑑賞だけから考えるのか。それとも利用の観点からも考えるのかによって、庭の見方、理解の仕方は随分違ってくる。 そこで、2章・3章で見てきた庭の歴的背景を簡単に図式にまとめた。 こうした流れを見ると、用と景が互いに主張し合い、両方を兼ね備えたものは少ない。 しかし用と景は、主張し合いそのシェアを取り合う関係ではなく、むしろ補い合い助けある関係が望ましい。そして、近代になって、庭がむしろ『景』を引き受けすぎた点からいえば、『用』を基盤にしてその上に『景』を考えるのがこれからの庭造りには意味のあることだと思われる。 近代は、動的な活動・レクリエーションを公園や運動場に取り込んだ。東西ともに庭園内で本来行われていた乗馬や弓術や釣り、狩猟など近代のスポーツが公園が生まれたことによって活動の場を移し、庭とはもっぱら『景』に特化されるようになった。 『庭園』といわれると、視覚芸術のように思われ、その働きを狭めていった理由の一つはここにある。(P.8のグラフ参照) 庭は、単に自然の素材を駆使して作り上げられた造形芸術ではない。たとえ芸術作品であるとしても、視覚を満足させるだけの芸術ではなく、これを使って様々な楽しみが作り出され、しかもそこで暮らすための生きた芸術品だという考えがあっていいと思われる。 近世に数多く生み出されて回遊式の大名庭園は、そんな性格を持った庭園の代表格だ。この庭園は、武家社会の社交と遊興の場であり、政治にも関わる装置だった。茶の湯・能・狂言・連歌・俳諧など当時の芸術活動の場であり、また鴨猟・乗馬・弓術・釣りなどのスポーツまで引き受ける幅の広い性格を持っていた。また桂離宮や修学院離宮など同時代の公家の別荘も同じような機能を持っており、この時代の庭園は武家社会と公家社会をつなぐ装置として大きな役割を担っていた。 一人自然と向き合って対話する場として、確かに庭は求められる。しかし庭園の歴史を振り返れば、一人ではなく何人か、あるいは大勢でともに自然を楽しむ『共感の場』でもあることは明らかである。 庭は一人での『実感』と大勢での『共感』の場といえる。 庭はかつて社交の場として作り出されてきたこと、そしてだからこそ、そこに集う人々によって維持され整備され、造形に心が配られた歴史的経緯があるのだ。 しかし、上のグラフを見ていただければ明らかだが、例え立派な庭園を手に入れたとしても、現代人はその維持管理に悲鳴を上げ、どうつかっていいのか分からず途方に暮れてしまうように思えて仕方がない。 個人の評価、個性の尊重の考え方がいくら進んでも、対人関係、社交のわざが乏しければ庭はまったく生きてこないのだ。公園にしても然りである。その使い方は日本ではまだ数百年前の輸入品を持て余し、日本の独自性というのもがまだ開発途上に思われる。 庭の歴史、造園に関する展開を見てきた目から、現代の庭造りに欠けているものは、各時代の各階層が楽しんだ社交の機能へ思いをいたすことではないかと思われる。 これからの庭のあり方、意味を考え、それを深く味わうには、近代においてあまりに強くなりすぎた視覚観賞をしばらく忘れることが大事かと思われる。 『庭園』が与えてくれる楽しみには、それぞれの庭を書いた図面や絵巻や文書を通して、ここの庭園誕生の背景や様式の歴史を知ること、そして実際の庭園を観賞することがある。すなわち庭園には、歴史を知る楽しさと観賞の楽しさが備わっている。しかし、もっとも豊かな庭園の楽しみは、こうした歴史と観賞の楽しみを含み込んだ使う楽しみである。 「歴史も豊かにあり造形も美しい庭園で、うまい酒と美味い食べ物を用意して気のおけない仲間と語らいつつ時を過ごせたら、これほど楽しい庭園との付き合いはないだろう。そうしてこそ初めて本当の庭園を知ったことになる。庭園はそんな楽しみを求めて作られたことを忘れないでいただきたい。ありがたく観賞するだけでは庭園の美も造園の心も見えてこない。」(国際日本文化研究センター教授 白幡洋三郎氏 談) この言葉のように、庭園とよばれる大規模のものだけでなく、生活の中に身近に存在する『庭』であっても、五感の楽しみに応える『用』の観点からも作られていくことが必要不可欠であろう。 .現状(特に集合住宅において) 『庭』に対する意識を聞くと、庭自体を見たくもないという人はさすがに0%だったが、消極的である『見ているだけでいい』という意見も35%という高い結果となった。 この前のページP.45の『NO.と答えた理由は?』という質問に答えてもらった人は、ほぼこの『見ているだけでいい』と答えた人たちだった。この人たちのほとんどが、 更にいうと10〜30歳代である。 この世代に共通して言えることは、全員がそうであるというわけではないが、与えられることに慣れており、どちらかというと自ら率先して物を作ることには慣れていない人が多いようだった。 その逆に、年齢が上がってくると、老後の趣味のために、または、前章で述べた、緑への回帰現象のために、『園芸』や『庭造り』に興味を持ち始める人が増えるのだ。 今回の研究において、私が感じたのは、世間(マスメディアにおいて)がガーデニングや園芸ブームと言っていても、庭に関する意識が薄い人はまだまだ多いということである。そして、それにあてはまるのはやはり集合住宅に居住している人たちであり、その中でも、若い人たちの意識が思いのほか低いことにある。 一戸建てを購入する際には、『庭付き』であることが当たり前になっている。ゆえに、一戸建て購入者の庭への意識は自然と高い。 しかし、集合住宅購入者は家からの『景色』重視であり、『庭』への意識は低い。たとえ、庭を考えたとしても、現在ある集合住宅での庭となると、『ガーデニング』と現在では呼ばれる『ベランダ園芸』にならざるを得ない。 現在では、『ガーデニング』に重点をおいたこのような集合住宅も経ち始めてはいるが、これはこれで、『園芸をしなければならない』という、押し付けがましい感も否めないし、また、個々の家庭においては取り入れられたとしても、それが外観、要するに周りへの還元に至っていないようだ。 周りへの還元が少ないと、前章で述べたコミュニケーションの意味あいも、緑のある居住区での安らぎ感も薄いと思われる。 これからの住宅、特に現在においては『緑』を取り入れることに消極的である集合住宅において、今まで興味があった人も、また興味を持てなかった人も共存できる集合住宅を考えたい。 8.今後の住宅での緑化の展望 氈D世代と感覚 6章での建造物における緑化の実例および方法により、今まで以上の緑化、庭造りが住宅においても可能なことは分かっていただけたと思う。この驚異の緑化が、都心に居住する人々の希薄になった人間関係により多くのコミュニケーション機会を与えるものとして期待したい。ここでも、特に集合住宅における庭(緑化)に重点を置く。 前に行ったアンケート(P.62とP.64のグラフ参照)では、庭は欲しいが面倒くさいと言う若い人の意見も多かったため、物を買うように、景色もお金を払えば手に入るということになるとお金を払うのか?という質問をすると、上のグラフのような結果となった。 『YES.』と『NO.』の中間にある『金額による』という答えは、安ければ安いほど良いという人たちであり『ほぼYES.』という人たちである。 また、このアンケートの『YES.』+『金額による』という支持者は、たぶんにもれず、若い10〜30歳代の人たちだった。この世代は、P.64でも述べたが、物を作るのはあまり好まないが、スタイリッシュに生きることには関心が高く、お金さえあれば、生活の向上のために買って揃えたいという共通点がある。 逆に『NO.』と答えた人は、先ほどの世代より上で、特に50歳以上の人が多かった。 また、先ほどの質問とは逆で、お金をもらえれば庭を造る、手入れをするか?という質問に対しては、『YES.』+『金額による』が合わせて62%となった。しかし、若い人の意見としては、『お金をもらえるのならばやりたいが、継続して行う自信には欠ける』というものも多く聞かれた。 一方、55歳以上の人からでは、『お金をもらってやることができればベストだろうが、例えお金をもらえなかったとしても、見てくれた人にきれいだと言ってもらえれば良い』などという意見も多かった。 私が思うに、一軒家では、このような人たちが両方居住することはなく、住む人の自由意志において、見せる庭にしても、実用の庭(家庭菜園や、果樹の栽培など)にしてもよいが、一つの庭にしかできないことが多い。 しかし、集合住宅であれば、先に述べたように、景色をお金で買いたいという人も、逆に作って人に還元したいという人も共存するわけである。その両方を満たす庭(緑化)ができるならば、今の日本においてよく見られる、家を囲い外界と隔離して接触を少なくする生活ではなく、色々な意味においてコミュニケーションの多い安らげる生活が手に入るのではないかと考えることができる。 .集合住宅における『用』と『景』 7章で述べたようなの『用』と『景』は、集合住宅の中ではそれぞれ何にあたいするのだろうか? 大きくは、上の図のように分けられると思うが、集合住宅においては『用』と『景』とは別に『公』(パブリック)と『私』(プライベート)が存在する。特に、『公』の中の『景』となると、それは独りよがりではなく、そこに住まうみんなの意見が反映されるべきであり、さらに不特定多数の目に触れることを考慮に入れるとなると、そこには『美観』というものも含まれることになる。 今述べたことは一般論であり、誰しもが分かっているようでありながら、意外とその実状は違っているのだ。 例を挙げてそれらを説明したい。 一般的に言って、建物周辺のことのついては、設計段階から設計士や建設会社、施主である集合住宅のオーナーなどの意向によりある程度決まっており、美観を損なうような造りにはもちろんされていない。 問題なのは、個人宅ということになる。 ガーデニングやベランダ園芸は、『景』を重視した『見せたい』と言う意志の人が造ったものに関して言えば美観にも優れ美しいものである。しかし、一方で『用』を重視してしまった人のものは、どうしても美観が二の次になりがちであるのは否めない。 これは、3章を思い出していただけるとよいと思うが、この傾向は日本においては昔からあることである。というのも、盆栽などの趣味の園芸では、それらを持ち寄る発表の場での飾り方は美しくても、日々それらを育てる場は、庭の隅であったり、また、町屋では路地に無造作に並べられたりしており、庶民的で親しみやすいが美観には欠けていた。 ベランダ園芸にもその傾向があるのだ。特にこれは、ベランダで家庭菜園などのさらなる『用』に重点を置く人に見られる。 【ベランダ菜園例】 ・狭い庭やベランダでもできるおいしい野菜の作り方 @ 落ち葉を集めて米ぬかを混ぜ、ビニール袋に入れ3ヶ 月以上寝かせて、堆肥を作る。 A 市販されている赤玉土に同量の@を混ぜ合わせ、そこ に市販の有機質肥料を全体の2〜3割加える。 B 大きめのポリ袋(お米の袋などでもOK)の下の部分を 切って穴を作り、水のはけ口を作る。〈図1参照〉 C 袋を3分の1ぐらい折り込んで、袋の中にAの土を入 れ、野菜の種を植えて育てる。 D 野菜の成長に合わせて袋の折り込みをあげていき、土を たしていく。 (イチゴなど、小さめのものは袋を切って使用すれば、 物干し竿などにかけて使うこともできます。 〈図2参照〉) (※参考文献32) これらを見ていただいても分かるように、『用』重視になると、美観は無いに等しい。 また、住まう人それぞれの個性が強く、統一感が無いのも、傍から見るとバラバラで美しいとは言い難くなることがある。 だが、ベランダは確かに個人の所有空間であり、人に指図を受ける場ではない。しかし、そこから他の人へ与える印象というものもこれから居住する上では大事になるのだ。 それでは、これら『用』と『景』、『公』と『私』、『美観』をいかに融合して生活に取り込めばよいのだろうか。 。.『用』と『景』のハード面 まず、ハード面としての外観には、 1. 統一性がある 2. 緑が外からでも目に入ってくる 3. 居住者たちが集える、もしくは共同で作業を行える広場がある 以上が入っていると良いと考えられる。 また、個人宅においても『見せる(見られる)庭(ベランダ)』と『個人のみが楽しみ(趣味)を味わう庭』に分けると、先に述べた外観との折り合いもつくのではないかと思われる。 無論庭としての敷地があれば分けることは可能だが、ベランダなどの1mそこそこの広さでそんなことは無理だという意見もあるだろう。そこで私が考えるのは前章のアクロス福岡で使用されている技術の利用である。 今のような集合住宅のベランダの手すりではなく、 その手すり自体にある程度の幅を持たせ、そこにプラ ンターのような溝を作り直に植栽できるようにした り、もしくは前章に挙げた緑化コンクリートの利用で 、外観の一部を緑化できれば、コンクリートの巨大な 建造物という威圧感も減り、家が今まで以上の安らぎ の地に変わるのも夢ではない。 また、他のアプローチもある。 上に記したような方法では、ベランダ自体はどうし ても、コンクリートの塀で囲まれた空間にしがちであ る。しかし、現在の集合住宅には、檻のような格子状 の手すりを持つベランダも多い。これらを使用すると、どうしてもベランダ内の様子が筒抜けで、このことが統一感を損ねているという現状もある。そこで、ベランダ自体を芝地のような状態(アクロス福岡でいうならばステップガーデンのこと)にそれぞれをし、そのベランダと部屋の間に中間的な空間『サンルーム(温室)』のようなところを作るといいと思う。 そこは土間的にタイル張りにして防水性も良くしておけば、外側のガラス戸を開ければ外にもなり、閉め切れば部屋の一つとして温室にもなる。 このような部屋があれば、むろん雨天にはそこに洗濯物を干すこともできるだろうし、室内の寒暖の差がこの空間により緩和されるため、二重ガラスにせずとも室内で結露起こすことも少なくなると考えられる。 閉め切ってしまうことができるという性格上、そこは『私』の意識の高い空間であり、そこにおいては何をするにしても制限はない。 『公』と『私』を分ければ、自分のやりたいことができる上、見た目もすっきりするという利点は大きいし、隣と同じような空間が少しでもあるということは、空間のつながりがあるため連帯感のような感覚からコミュニケーションは取りやすい、と言える。 このような『私的空間での〈公〉的部分』の話はなにも集合住宅に限ったものではない。 一戸建ての庭に関しても、同じようなことが言えるのだ。 現在の一戸建てというと、どうしても、身の丈より塀で家の周りをぐるりと囲ってしまい、閉塞感があり、コミュニケーションが希薄になりがちだ。 塀を高くしてしまうというは、防犯上良いようにも感じるが、逆に侵入者を隠すための死角を作ってしまうことにもなるし、また、個々の個性が反映された庭造りができる反面、町並みに統一感がなくなるという弱点にもなる。 それを改善すべく、最近では『○○通り』(○○の例:レンガ通り、イングリッシュガーデンストリート、など)と銘打ち、街ぐるみで、大まかな外観を整え、コンクリートの強固で高い塀で家を囲むことをやめ、生垣や向こうが見える柵で敷地を仕切る個人住宅も増えつつあり、これにより、地域における連帯感が生まれたことにより、コミュニケーションが広がったという例も数多い。 この例から言っても、ある程度の外観の統一性を図るということは、コミュニケーションの希薄な現代においては大事なことだと言えよう。 「.『用』と『景』のソフト面 ここでいうソフト面とは、住まい方のことである。 個々の住居での住まい方(ベランダや庭の使い方)については、先に述べた通り、見えるところと見えないところを上手く使い分けていくことが大事である。 また、7章で見た緑化コンクリートなどを利用すれば、緑は豊富にもかかわらず、手間要らずという一挙両得な手法もあるので、庭造りや園芸が苦手だ言う若い人たちの手を煩わせることも少ないだろう。 しかし、集合住宅内での公共の場の手入れとなると時々というわけにもいかず、誰かが常に手入れをする必要がある。 そこで、ソフト面としては、 1.個々の居住区では、ベランダ(庭)の見えるところを見えないところを上手く使い分ける 2.公共の場の手入れについては、住んでいる人たちの中でやりたい人が引き受ける (この際、手入れに参加しない人はその文の労力に相当する金額を支払うなど、何らかの方法で公平を期すようにする) 簡単には以上のようなことが挙げられる。 2に関しては、この章の『氈D世代と感覚』の現状を踏まえて追加した。具体的に言うならば、今回のアンケートにおいては、進んでやりたい人というのが55歳を過ぎた人たちにあたり、お金を払う側が若い人たちにあたる。このような始からの取り決めがあれば、公共の場が荒れることもなく、高いお金を出して手入れをするための業者を頼まなくても良い上、トラブルも少なく、また、お金を払っている人たちでも暇があるならば自由に参加できるシステムを整えると年齢を越えたコミュニケーションの輪も広がるという利点もある。 また、上のグラフより、若い人は庭への興味よりも眺めへの興味の方が強いことが分かる。 しかも眺めの良い上層階を選んだ若い人の大半は独身者であり、35歳未満でも結婚したり、子どもがいたりなどすると下層へ移りたくなるという傾向にあるようだ。 また、35歳以上の人では、圧倒的に下層に住みたい人が多かったが、特に50歳代後半になると庭弄りを趣味とし、さらにエレベーターや階段を使わなくても移動ができる下層の方が行動範囲を狭めずにすみそうだから、という意見も聞かれた。確かに、年齢が上がってくると、人は意思が固くなければ家に閉じこもりがちになる。 上層階は確かに眺めはいいが、地面との連続性に欠ける。 年齢が高くなると周りとの一体感を求め下層の方を好み、若いと周りとの共感は得たいが干渉は受けたくないという表れから上層を好む傾向にあるようだ。 このことと、前に述べたソフト面を兼ね合せると、若いうちは上層階で眺め重視の生活を送り、年齢が上がってくると下層階に住み、また、周りの環境作りを手がける生活をする。(コミュニケーションを図る広場や見られるための庭造りをする、など) このような大まかな循環機能ができれば、色々と言われなくても見ていることで庭造りや環境整備の仕方、また自然と人々の間にコミュニケーションが生まれることが考えられる。 このことは、振り返ってみれば、昔からある長屋や町屋などの生活に通じている。たしかに長屋などのように隣同士であれば干渉しすぎてしまうことも、上下になれば少しの干渉で距離が保たれた関係でのコミュニケーションが図れるだろう。 今の日本のシステムでは難しいとは思うが、諸外国のように、今の自分の生活や感覚に合った住居に住み替えるという意識が出てきてもいいと思われるのだ。 9.おわりに 現代社会において、『庭』は必要か?という問いかけに対し、一言で答えるのならば、『必要である』ということだ。 歴史的背景からすると、庭の派生は、大富豪の所有地からの出発であった。むろんその後も、様々な様式を経て、一般庶民の手にするものとなった。しかし、その我々庶民の手に渡るまでに、貴族や武士の権力の象徴となったことから、現代においても『庭』と聞くと最上級の趣向品のような扱いを受けているという事実は否めない。 たしかに大規模な庭園となれば金持ちの道楽という見方で倦厭されるかもしれないが、日々の生活に根ざした庭というものは、我々に安らぎを与える糧となり得るのだ。 現代人にはストレスがつきものであり、これを取り除くことは残念ながらできない。 そんな生活の中で、『緑』の色自体が体に良いことも、その存在が良いことも分かっており、緑のある生活は、日々の生活を癒してくれるのである。 しかしながら、『緑ある生活は良い』と分かっていながらも、集合住宅の居住者は、一戸建てで『土』が生活の中にまだ身近にある居住者よりも、『緑』の取り入れ方は下手な部分がある。 さらに、今回のアンケートを通じて、世代によってのものの考え方の大きな違いを感じ、若い人たちは折角の庭の良さを知らぬまま、面倒くさいという理由のみで生活から切り捨てがちであるという実態も分かった。 日々に安らぎを得たいと思うのならば、面倒くさがらず、コミュニケーションや緑を、誰しもが率先してこれからの生活に取り入れていくべきことである。 その手立てとして、『用』と『景』・『公』と『私』・『美観』の項目について(詳しいことに関しては前章を参照して欲しい)、自分のライフスタイル、そして年齢を頭に入れた上で、『庭』と向き合い、生活への取り入れ方、生かし方を考えていく必要がある。 現在は『庭』から設計していく建物は少なく、どちらかといえば後付け的なものが多い。 しかし今回『庭』という一言のキーワードで、建物などのハード面から、そこへの住まい方のソフト面にまで話が及ぶことができ、そう考えると『庭』から設計を進めていくことは可能だといえる。 『庭造り』や『緑』が生活に安らぎという潤いを与えてくれる結果が出た以上、これから自分が設計していく上では、このことを念頭に置き、我が家が一番安らげる場所となれるようなシステム作りを心がけたい。 最後に、今回のアンケートの配布を手伝って下さった方々と、数回に渡るアンケートに回答を寄せていただいた多くの方々に、厚く御礼申し上げます。 2000.3.2. 付録 部屋、ベランダ、庭に折角草花を飾るのならば、それら植物から得られる『植物パワー』を利用してはいかがでしょう。ここからは、余談であり、生活のヒントにでもしていただければ幸いです。 【飾る方角】 【相性の良い樹木】 ◎九星方位一覧表に基づく◎ 一白水星 大正7、昭和2、11、20、29、38、47、56、平成2年生まれ 二黒土星 大正6、昭和元、10、19、28、37、46、55、平成元年生まれ 三碧木星 大正5、14、昭和9、18、27、36、38、45、54、63、平成9年生まれ 四緑木星 大正4、13、昭和8、17、26、35、44、53、62、平成8年生まれ 五黄土星 大正3、12、昭和7、16、25、34、43、52、61、平成7年生まれ 六白金星 大正2、11、昭和6,15、24、33、42、51、60、平成6年生まれ 七赤金星 大正元、10、昭和5、14、23、32、41、50、59、平成5年生まれ 八白土星 明治44、大正9、昭和4、13、22、31、40、49、58、平成4年生まれ 九紫火星 明治43、大正8、昭和3、12、21、30、39、48、57、平成3年生まれ ※ ここでは太陰暦を使っているので立春(2月3日か4日)以前に生まれた人は、前年の生まれとなる。 一白水星人 白を基調としたもの カーネーション・チューリップ・カスミソウ・バラなど 常緑樹 イチイ・カヤ・アカマツ・クロマツ 落葉樹 エンジュ・ネムノキ・ハナミズキ 生垣 サンゴジュ・イヌマキ・カイズカイブキ 二黒土星人 黄色かオレンジを主体にしたもの ガーベラ・チューリップ・ヒマワリ・パンジー・マリーゴースドなど 常緑樹 アカマツ・カクレミノ・タイサンボク・ダイスギ・イヌツゲ 落葉樹 アカメガシ・ウメ・カエデ・エンジュ・ニセアカシア・クロチク 生垣 ヒバ類・サワラ・ツゲ 三碧木星人 青色でまとめたもの ロベリア・センニチコウ・アジサイ・ラベンダー・サイネリアなど 常緑樹 モッコク・モチノキ・ヤマモモ・ツバキ・ダイスギ 落葉樹 ハナミズキ・モミジ・シモクレン 生垣 カイズカイブキ・ベニカナメ・シラカシ・キンモクセイ 四緑木星人 グリーンが目立つ観葉植物 アジアンタム・カポック・ゴールドクレストなど 常緑樹 モッコク・アカマツ・クロガネモチ・モチノキ・サザンカ・ダチカンツバキ 落葉樹 シラカバ・トサミズキ・ヤマボウシ・サルスベリ 生垣 マテバシイ・モチノキ・ネズミモチ・カイズカイブキ 五黄土星人 黄色とピンクを基調としたもの シクラメン・サイネリア・カーネーション・チューリップ・バラなど 常緑樹 ゴヨウマツ・ダギョウジョウ・カクレイノ・ヒラギモウセイ・イチ イ 落葉樹 ソロ・サルスベリ・ヤマモミジ・エンジュ・ハナミズキ・ヤマボウシ 生垣 サザンカ・ヤブツバキ・マサキ・キンモクセイ・ネズミモチ 六白金星人 紫がメインでピンクが浮き立つ混ぜ方をしたもの デイジー・アジサイ・ヒヤシンス・ストックなど 常緑樹 ヒラギンナン・ゴヨウマツ・コウヤマキ・コノテガシワ・イチイ・ラカンマキ・サンゴジュ 落葉樹 ハナミズキ・ソロ・モミジ類・ウメ・ヒメシャラ 生垣 ツゲ・イヌマキ・サワラ・サンゴジュ 七赤金星人 ミカン色や黄色が目立つもの ヤマブキ・ベニバナ・フリージア・マリーゴールド・キンセンカ・ヒマワリ 常緑樹 クロマツ・イチイ・カワレミノ・ネズミモチ・タチカンツバキ・タイサンボク 落葉樹 シャラ・トサミズキ・コブシ・サルズベリ 生垣 サワラ・カイズカイブキ・モチノキ・マサキ・ヤブチバキ 八白土星人 黄色を基調としたもの ガーベラ・チューリップ・ヒマワリ・パンジー・マリーゴールドなど 常緑樹 サンゴジュ・ツゲ・ヤマモモ・ダイサンボク・モッコク・キンモクセイ 落葉樹 ハナミズキ・ハナモクレン・ナムノキ・ウメ・センダン・タカオモミジ・シラカバ 生垣 ヒイラギモクセイ・サンゴジュ・サザンカ・バニカナメ 九紫火星人 赤を主体にしたもの アネモネ・アウイトピー・ポインセチア・バラ・サルビア・キンモクセイ・ダリアなど 常緑樹 ゴヨウマツ・キャラボク・モッコク・ツゲ・ヒイラギモクセイ 落葉樹 カエデ・モミジ・シャラ・ソロ 生垣 アラカシ・ヒバ類・ヤブツバキ・ドウダンツツジ・ヒイラギ 【十二支生まれの星にあう観葉植物と飾る方位】 子 種 類:アロエ類・アイビー類・アグラオマネ・アジアンタムなど 飾る方位:北方位がベスト。北方位が無理ならば南方位でも良い。 丑 種 類:カラジウム・オジズルラン・クテナンテ・オスモキシロンなど 飾る方位:北東方位が最適。南西方位でも良い。 寅 種 類:ベンジャミナ・ゴムノキ・クロトン・コーヒーノキ・サンセベリアなど 飾る方位:部屋の中から見て北東方位の少し東よりが最適。南西方位の少し西よりもベター。 卯 種 類:カポック・シンゴニウム・ストレリチア・ディーフェンバキア・タマシダなど 飾る方位:東方位か西方位が効果的。 辰 種 類:アイビー類・ベゴニア・フィデンドロンなど 飾る方位:部屋の東南方位で少し東よりがベスト。北西方位の西よりでも良い。 巳 種 類:ポトス・ペペロミア・ポリスキアス・モンステラなど、またラベンダーなどのハーブ類も効果が高い。 飾る方位:東南方位で少し南よりが最高。 午 種 類:アナナス類・アンスリウム・グズマニア・レイシネ・花が咲くハーブの鉢物 飾る方位:南方位のみがベスト。 未 種 類:ポトス・ドラセナ類・ベゴニア・ユッカ・タコノキ・トルミエアなど 飾る方位:南西方位で少し南よりがベスト。北東方位の北よりも良い。 申 種 類:アナナス類・アスパラガス・オリヅルラン・ロエオ類・アスプレニウム・エピスキアなど 飾る方位:南西方位で少し西よりか、北東方位の東よりがベスト。 酉 種 類:カラジウム・クロトン・ゴムノキ・カンノチク・カラテア類など 飾る方位:西方位・東方位が最も効果的。 戌 種 類:ドラセナ類・アジアンタム・シャコバサボテン・ゴムノキ・ディーフェンバキアなど 飾る方位:北西方位の西よりと東南方位の南よりがベスト。 亥 種 類:ハーブの鉢物・ベゴニアレックス類・コンパクタ類・ネフロレピス・フィロデントロンなど 飾る方位:北西方位が最適。東南方位の南よりも良い。 10.参考文献一覧 1. 佐藤洋一郎『DNAが語る稲作文明』(NHKブックス) 2. 武居二郎・尼崎博正『庭園を歩く』(昭和堂) 3. 白幡洋二郎『庭園の美・造園の心』(NHK出版) 4. 『CONFORT No.23』 (建築資料研究社) 5. 日_貞夫『日本の伝統・色とかたち』(グラフィック社) 6. 『東京・鎌倉・横浜名庭を歩く』(JTBキャンブックス) 7. ロバート・フォーチュン(三宅馨 訳) 『幕末日本探訪記―江戸と北京』(講談社学術文庫) 8. こころとからだの健康マガジン『pumpkin』(潮出版社) 9. F.E.R.C Research Database-File No.0727(HP) 10.ストレスケア・オンライン編集部『Stress CARE ONLINE』(HP) 11.『リカちゃん先生VSストレス大魔人』(HP) 12.中沢正夫『ストレス『善玉』論』(角川文庫) 13.本多時生『人生相談』(HP) 14.豊田正博『はじめてみよう園芸療法』(家の光協会) 15.吉長元孝『園芸療法のすすめ』(創森社) 16.グロッセ世津子『園芸療法』(日本地域社会研究所) 17.小川節子『人生をたがやす週末農園』(TOTO出版) 18.近藤まなみ『癒しのガーデニング』(創森社) 19.日本造園学会編『緑空間のユニバーサルデザイン』(学芸出版社) 20.浅野房世・亀山始・三宅祥介『人にやさしい公園づくり』(鹿島出版会) 21.小原秀雄『万物の死』(ブルーバックス) 22.栗原康『共生の生態学』(岩波新書) 23.岡本祐三『高齢者医療と福祉』(岩波新書) 24.三井秀樹『ガーデニングの愉しみ』(中公新書) 25.ビルモリソン他『パーマカルチャー』(農林漁業文化協会) 26.『特集アスペクト45 癒しの植物』(アスペクト) 27.野村順一『色の秘密』増補(文藝春秋、ネスコ刊) 28.野村順一『色彩生命論(イリスの色)』(住宅新報社) 29.野村順一『謎解き色彩学』(ワニ文庫) 30.『天神インターネット探偵局』(HP) 31.竹中工務店技術開発HP 32.『知恵MONセレクション』(HP)