お問い合わせ美術館概要スペシャルコンテンツ関連イベント展覧会紹介開催概要トップページ 四国霊場開創1200年記念  祈りの道へ −四国遍路と土佐のほとけ− 2014年11月22日(土)〜2015年1月18日(日)多摩美術大学美術館


四国遍路について  監修者より<日々遍路>  学芸員の<日々進行中>  リンク集


監修者より<日々遍路>

9 8 7 6 5 4 3 2 1 最初 次ページ

2014年10月11日(土)

黒潮の流れに ―金剛頂寺観音菩薩立像(今回はレプリカ出)―(下)

金剛頂寺観音菩薩立像  坂井住職は金剛頂寺の古文書に、かつてこの地が「無縁所」(アジール)であったことが記されているのを知り興味を持った。古代以来寺院が果たした「無縁所」、すなわちいかなる境遇にある者もここに入れば生死の問題から解き放たれる場所、という発想は、寺院本来のあるべき性格としてしばしば法話などで語られていた。
 金剛頂寺の観音菩薩立像は金銅製の小さな仏さまだが、四国最古の仏像の一つである。現在は真っ黒な色をしているが、これはある時期に火災にあったことを物語るもので、造立された当初は金色に輝いていた。細面の面相と身体には限られた装飾しか着けずそれがまた作品の品格を高めている。飛鳥時代から 奈良時代にかけて多くの金銅仏が中国朝鮮半島から請来され、または畿内周辺でも制作された。この観音像もまたそうしたものの一つと考えられる。
 以前、土佐にはもう一つ「海の道」があるという話を聞いたことがある。土佐沖で流された船が紀州や伊豆半島で打ち揚げられた話を聞いたが、実はこの観音さまとそっくりな仏像が今は東京都になっている三宅島海蔵寺に伝わっている。二つの仏像を結びつけるのがこの「海の道」だろうと思う。この小さな仏さまからグローバルな世界が見えてくる予感がした。(今回はレプリカ出品)

(青)

2014年10月10日(金)

黒潮の流れに ―金剛頂寺観音菩薩立像(今回はレプリカ出)―(上)

御厨洞(みくろどう)からの写真  空海の『三教指帰』によると若き日の空海はここ室戸の地で修業し、虚空蔵菩薩求聞持法を行い悟りの境地を得たと伝えられている。今日、室戸に残る最御崎寺、金剛頂寺はいずれも平安時代以来の古刹で、おそらく空海と縁の深い寺院と考えられている。空海が修行したと伝えられる御厨洞(みくろどう)から外を見ると、明るい光の向こうに空と海が広がり、その地平線の近くで深い色になっているのが黒潮だと教えられた。金剛頂寺住職の坂井智宏さんには私が高知にいた時分から本当にお世話になった方だ。今は真言宗豊山派の宗務総長で、眼光の鋭い厳しい方だが、ひとたび相手の想いが分かると親身になって相談に乗ってくださる。この展覧会にも初日のイベントにお越し下さることになっている。

(青)

2014年10月9日(木)

カメラマンの大屋孝雄さん

カメラマンの大屋孝雄さん  今回の展覧会で、あの美しい仏像写真を撮ってくださったのはカメラマンの大屋孝雄さん。以前、「東北のオカザリ―神宿りの紙飾り―」展を見て、上手い写真だなあと感心したのがきっかけでした。仏像の写真は、本当に難しく、最も仏像の見てほしいと思うポジションを探すのに時間がかかるのですが、大屋さんはまさに天性の仏像カメラマンと言いたくなるほどスムーズにポジションを選んでいらっしゃいました。私がカメラを構える必要がなかったのは、本当にありがたかったです。たぶん現代の日本を代表する仏像の写真家だと思います。

(青)

2014年10月8日(水)

須崎市・笹野大日如来像の思い出(下)

笹野の大日如来坐像の写真 撮影:大屋 孝雄  笹野大日如来像と出会ってから二年間、このお像のことは誰にも話せなかった。盗難の問題などが脳裏をよぎったからだ。ちょうど高知県の香美市立美術館で開かれた「古仏との対話」展を機会に、この仏像が歴史的にも美術的にも貴重なものであるかという事を地元の皆さんにはなしに伺った。ただし、まず今後のこのお仏像の管理や修復に関しての問題があることも含めてお話ししなくてはならず、厳しい話もしばしばあった。展覧会へ出品後、しばらくの期間を香美市立美術館の収蔵庫で保管させていただく事になった。そんな話を聞きつけたマスコミは「仏像盗難」をテーマにした特集のなかで、相次いでこの大日如来像のことを紹介してくれた。それがきっかけで日本全国から善意の寄付が寄せられた。今年,久しぶりに笹野へ伺ったおりには、二十六軒しかない集落総出で、屋台のでるような夏の縁日が催されていた。さらに、むかし誰かに教わったという「大日の舞」を踊る地元のおばあさんまで現れた。そこには真新しい収蔵庫に安置された、あの青年を思わせる面立ちの大日如来像が祀られ、夜通しのにぎやかな土佐の宴が続いた。(高知県指定文化財)

(青)

2014年10月6日(月)

須崎市・笹野大日如来像の思い出(中)

笹野の大日如来坐像の写真 撮影:大屋 孝雄  笹野の大日如来像は恐らく運慶の長子湛慶周辺の仏師の手になるものと考えられる。興味深いことに、高知県下には高知市長浜の雪蹊寺にその真作が多く残されているほか、隣町の佐川町・大乗院の阿弥陀三尊像や今回出品されている上郷阿弥陀堂の阿弥陀如来などもやはり湛慶時代の作品と考えられる。湛慶は鎌倉時代の京都の三十三間堂や東寺の復興事業で大仏師職をつとめるなど、この時代の仏師界のニューリーダーとして頭角をあらわした。かつて湛慶は父運慶の陰にかくれてその作家としての評価は芳しいものではなかった。しかしながら近年になってその評価は改められつつある。運慶の写実的で圧倒的な勢いのある表現様式には及ばないが、湛慶は雪蹊寺の禅貳師童子像をはじめ京都・高山寺にある「仔犬」像や「神鹿」像などのような愛らしい造形を得意としていた気がする。おそらく上分大日堂の大日如来像も運慶の時代から湛慶の時代へと工房が引き継がれる過渡期の作品と考えられ、その品格のある相貌や小像ながら厚く胸板をつくる感じは運慶の資質を引き継いだものにしか成しえない表現がみられる。

(青)
9 8 7 6 5 4 3 2 1 最初 次ページ
▲ 画面のトップへ戻る

多摩美術大学

Copyright (c) 2014-2015 Tama Art University