お問い合わせ美術館概要スペシャルコンテンツ関連イベント展覧会紹介開催概要トップページ 四国霊場開創1200年記念  祈りの道へ −四国遍路と土佐のほとけ− 2014年11月22日(土)〜2015年1月18日(日)多摩美術大学美術館


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監修者より<日々遍路>

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2015年1月12日(月)

土佐に酒ありき、人ありき(4)

写真

 笹野の大日如来像のことは、私にとっては生涯忘れられない思い出です。須崎市での調査に伺った時、記憶にあるのは夏の暑い日のことだったと思うのですが、このお像と初めて出会いました。破損も激しく、近世の修理の後もお像の尊容を著しく劣化させていた。しかし、そのお像の持つ確固とした表現の力は、その作者が並大抵の仏師ではないことはすぐにわかりました。時代は鎌倉時代初期から中期にかけて、その構造の特色である上げ底式の像底は、運慶が確立したものと言っていいでしょう。盗難のことなどを考え、焦る気持ちを抑えて約二年の間その存在を発表しませんでした。ただ、お一人だけ「これからこのお仏像が、そう遠くない時期に全国から大きな反響を受けることになります」と話をさせていただいたのが、当時、須崎市教育長だった小野さんです。つい先日、本展の会場でなん年ぶりかの再会をしました。その夜はお互いに、今だから話せる話に花が咲きました。忙中に一時の清涼をいただいた、楽しいひと時でした。

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2015年1月10日(土)

廃仏毀釈

●  明治の新政府は、その当初から宗教政策として「神仏分離令」を発し、その結果「廃仏」運動が各地で巻き起こりました。土佐もまたその風を受けて、廃寺や僧侶の還俗がおこなわれましたが、その一方で、地域の人々はそれまで信仰を寄せてきたほとけさまを壊すことに畏怖を感じ、官憲が来る前に仏像を地面に埋めたり、東洋町名留川観音堂のような場所に仏像を隠したりしました。高知県の東端の東洋町では、小さな稲荷社の土中にも埋められていることを教えてくださったのですが、私が「地面に仏像が埋まっているわけないでしょう」と言ったら、なんと翌朝、一晩かかって掘り出したと言って40センチ近くある役行者と前鬼・後鬼の木像を宿まで持ってきてくれました。本当にたまげた!

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2015年1月9日(金)

土佐の湛慶流

雪蹊寺 毘沙門天像 撮影:大屋 孝雄  高知市の長浜の雪蹊寺という臨済宗のお寺があります。四国霊場の33番。仏像好きな方には鎌倉時代の仏師湛慶の作品のあることでも有名なお寺です。
 なぜか高知にはこの湛慶の時代の仏像が多く残されています。本展に出品されている、須崎市笹野の大日如来像、佐川町の上郷阿弥陀如来像。それに近年、確認された土佐市宇佐・青龍寺の地蔵菩薩像の胎内には「正安四(1301)年 壬寅 二月十五日事始 同三月五日造功畢/願主法眼和尚位棟覚/佛師湛慶之流/但馬法眼慶誉湛慶之流」という銘記があったとされており、湛慶の弟子がやはりここ土佐で仏像を制作していたことがわかっています。やはりこうした事跡を重ねて見てゆくと仏師湛慶は、やはりこの地に来ていた気がしてなりません。造形を、その地域の様式として残すには、やはりそこにその人がいなくてはできないことがあると思うからです。雪蹊寺さんには今回の展示で、幕末に描かれた「高祖大師秘密縁起」をご出品いただいただいています。

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2015年1月8日(木)

土佐に友ありき、酒ありき(3)

笹野大日堂大日如来像、記者発表当時の写真  この展覧会では、東京で展示の準備をしている傍ら、高知でも多くの方が走り回ってくださいました。福原僚子さんは私が高知にいた頃、十年間リサーチアシスタントとしてお世話になったかたです。ものごしも穏やかで、素晴らしい調整能力の持ち主ですが、本当はこれぞハチキンの見本のような方でもあります。今回は、金剛頂寺の仏画や歓喜寺の如来坐像などの解説を執筆していただきました。今月は、いっぱい高知のおばちゃん(おばさま)たちを引き連れてきてくださいます。今は赤岡町・絵金蔵の副蔵主です。こちらへも是非。
http://www.ekingura.com

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2015年1月7日(水)

新年のご挨拶

豊楽寺 天部形立像 写真  明けましておめでとうございます。本展も、残すところ二週間となりました。昨年は、光谷先生に調査をいただいて、椎名観音堂の十一面観音像が1066年、定福寺の六地蔵が1185年がその用材の伐採年であることが明らかになりました。これまで高知県下の仏像では、豊楽寺の薬師如来像が1153年、金林寺の不動明王像が1213年に造立されたものであることが造像銘からわかっていましたが、こうした科学的な方法により新たな時代の刻印が発見されることは感慨深いところです。歴史的な記録の少ない地方では、さらにこうした非破壊調査がなされることを期待しています。また陳列されている豊楽寺の天部形立像、定福寺の六地蔵像は、状況から判断して各一具が同一の大径木(たいけいぼく)から造られていることも分かりました。多くの皆さまのお越しを、お待ちしております。

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