1935[昭和10] ─多摩帝国美術学校誕生杉浦 非水近藤 清吾設立認可翌日の9月7日,建設中の上野毛校舎隣接地で最初の始業式が行われた北 昤吉牧野 虎雄12 . 13• 4月,帝国美術学校北昤吉校長は,徴兵猶予の条件であった財団法人化と 専門学校昇格の実現のため,東京横浜電鉄(現東急電鉄)から上野毛への移転を条件に 財政援助を得る• 5月,学校昇格運動をおこしていた学生たちの一部が移転反対に転じ, 同盟休校(5月15日,6月24日解除)に発展,騒動は校友会・保護者・地元町民会にまで広がり,やむなく残留派と移転昇格派との分裂に至る• 将来の再合併を期待しつつ,木下成太郎校主,若干の教員,約150名の学生が吉祥寺に残り,北昤吉,多数の教員,図案科を中心とする約80名の学生が上野毛に移転することになった 木下と北は,吉祥寺の校舎所有権等を裁判で争い,係争は1944年まで続いた• 8月14日,多摩帝国美術学校の設立を申請(9月6日認可) 創設者:北昤吉(哲学者・政治家),杉浦非水(図案家),牧野虎雄(洋画家),近藤清吾(医学博士)• 9月,多摩帝国美術学校創立 校地:東京市世田谷区玉川上野毛町 校長:杉浦非水/名誉校長:北昤吉/理事長:国沢新兵衛 日本画科・西洋画科・図案科・彫刻科の4科を設置 修業年限:本科5年/収容定員:500名 入学定員:115名(日本画科15名・西洋画科60名・図案科30名・彫刻科10名)• 学苑社(渋谷区千駄ヶ谷町)を仮校舎として授業を開始• 11月,上野毛校地に今井兼次設計の校舎が竣工• 12月,多摩帝国美術学校開校新築落成記念祭を開催専門学校昇格をめざし,新天地となる世田谷区玉川上野毛町に移転が決定した.吉祥寺から移ってきた学生は約80名.千駄ヶ谷の北昤吉が経営する学苑社を仮校舎として授業を受けながら,新校舎の竣工を心待ちにしていた.
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