12う」意義は果たすけれども、それがゴールではないという感じですかね。の動き方は全然違うんですよね。 裏には当然仕掛け人がいて、特に欧米系のギャラリーがすごかったです。今後を見据えて中国に進出するため、良さそうな作家をピックアップしていたんです。中国人作家に投機的にお金が入っていくのを見て、「アートと経済ってこんなに深く結びついているんだ」と実感しました。 中国の作家もおもしろいですよ。お金が入ると、突然飲食店を経営し始めたりする。そんな彼らの姿を見ていると、「アートは崇高なものではなく、1つの商売でもある」と気付きました。良くも悪くも、僕の中での作家像がかなり覆されました。 また、798芸術区で生活していると、中国のアートシーンと美大の世界に乖離を感じるようになりました。例えば、798芸術区では現代美術家のアイ・ウェイウェイさんが当たり前に歩いていて、他の作家と一緒になって「欧米のあの作家はどうなんだ」といった話をしていたりする。 一方で、美術大学はすごく閉じていました。友人に「どんな作家が好きなの」と訊ねると、「ミケランジェロ」と返ってくるような。でも、ある日突然変わるんですよね。何かに感化されて作品を作り始めて、それが北京の世界観に「ハマる」と一躍評価されていく。北京では政治的なメッセージ性を持った作品が評価される傾向が強くて、そういった作品を作る学生たちも同じく評価されていました。 作品には「経済や周囲の環境から評価される側面も確実にあるな」と思うと、いても立ってもいられ中国で、アートと社会、経済の結びつきを知る中村 以前、齊藤さんは自分のゴールに近いものとして、「彫刻というのは、人と人、それから人ともの、ものと環境の間の距離を測り、その関係を再構築すること」とおっしゃっていて印象的でした。中国の大学で制作する中で、この気付きに至ったんですか?齊藤 中国にいた頃は、まだものを作っていたんですよ。でも、「その中だけで閉じていてはいけない」という感覚もありました。そこで、大学付近の「798芸術区」という場所に通うようになります。798芸術区は、ニューヨークでいうソーホーやブルックリンのような雰囲気の場所でした。 僕が留学していた2000年代前半は、まさにチャイニーズバブルの走りのような時代です。オークションで、中国人画家の作品が100万ドルで落札されたのを皮切りに、毎年ものすごい勢いで中国人作家の作品の価値がつり上がっていました。 798芸術区は狭い世界だったので、作品に高値が付いた作家の中には、普段から顔を合わせているような人たちもいました。彼らの作品を間近で見ていたので、日本人と彼らの作品の間にさほどクオリティの差がないことを知っていました。でも、お金(中村)社会活動やお金の循環、仕組みやクリエイティビティをどう循環させるかという話につながります
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