多摩美術大学|サーキュラー・オフィス 2023 年度 活動報告書
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14齊藤さんが代表を務めた「ふじよしだ定住促進センター(当時は、一般財団法人富士吉田みんなの貯金箱財団)」のWebサイト。富士吉田市での様々な活動を支援した。そんなものなのかな」と悩み始めたんです。 それで、「このまま行くか、自分でものを作る方に立ち戻るか」を考えた結果、一旦休学してオファーを頂いていたベネチアビエンナーレの仕事に従事しました。もう1度、自分の作家性を語る時間を取ったわけです。そこで、「やはり自分は、何かを作ることがやりたい」と気付きました。そこで、大学と連携協定を結んでいた山梨県の富士吉田市に入って、実際に物事を動かしていくことにしました。中村 決めたら、どんどん動いていく。富士吉田ではどういう取り組みをされたんですか。齊藤 財団法人を立ち上げました。富士吉田でフィールドワークを行う中で衝撃だったのが、「行政が何もしてくれないから、うちの地域はこんな状況なんだ」とか「大きい企業が何もしないから、地域が盛り上がらないんだ」とか、地域住民からネガティブな意見が多かったことですね。「そこは自分たちでどうにかするもんでしょう」と思ったのですが、それを言葉にしても仕方がない。そこで、自分たちの力で、自分たちの課題を解決できる仕組みを作ることにしたんです。 富士吉田には、富士山の天然水を利用して事業する企業が多かったのですが、地域住民はそういった企業に「地域の財産を吸い上げている」といったネガティブな印象を抱いていました。そこで、そういった企業と交渉して、地域活動のための寄付金を募り、それを財源にして財団法人をつくりました。 そこから、富士吉田に作家を誘致し、一緒に地方を作っていくという活動を始めました。地元の空き家物件を改装して、新宿ゴールデン街のような、ちょっとイカしたスナック街をつくりました。中村 この取り組みも、循環的な仕組み作りにリンクする話ですよね。サーキュラーに関する話は、どうしても資源再生や自然保護に目が行きがちだと思うんですけど、これはむしろ社会活動やお金の循環、仕組みやクリエイティビティをどう循環させるかという話につながります。齊藤 話がずれてしまうかもしれないんですが、僕にしてみれば、循環と彫刻は似ているんですよ。彫刻とは、「関係性を構築して、美しい状態を作ること」ですが、循環も、「詰まりを解消したり、足りないピースを組み込んだりすることで、歯車を回していくようなこと」だと思うんです。 富士吉田でも、お金の仕組みや人の流れを適切に組み合わせることで、地域の活動を回すための仕組みを作ることができたな、と。ある程度仕組みができてくると、僕がいなくても地域は適切に回っていく。一種の生態系のようになっていきます。「環境保護活動だけの人たち」にはならない中村 富士吉田をある程度形にしたところで長崎県の対馬に移られて、大崎町の取り組みに従事していくんですよね。齊藤 ハードワークで体調を崩したこともあり、富士吉田の事業の引き継ぎを行いました。同時期に結婚も決まったので、妻と縁のある対馬に引っ越したんです。するとどこからか情報が漏れて、「大崎町に来てみないか」と声を掛けられた。それが、今の活動を始めたきっかけです。中村 大崎町はその時点ですでにリサイクルに取り組まれていたわけですよね。当時の大崎町はどんな感じでしたか?齊藤 「こんなにすごい自治体をなぜ知らなかったのか」と自分が恥ずかしくなるくらいでした。リサイクル率も80%を超えていて、仕組みも上手くできている。地域住民も情熱を持って事業に取り組んでいました。リサイクル率日本一も何度か受賞しているのに、全国的な知名度は低いという状況です。 当時、富士吉田の活動に矛盾を感じて悩んでいました。富士吉田では地方創生に乗っかるかたちでプ

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