26タンスを使った青野さんの作品。「『普段の生活を象徴するタンス』と『被災物』では見え方が大きく違ってくることに気付いた」と青野さん。全国的に展開している用語ではないんですよ。青野 震災を経て、私の意識もだんだん変わってきました。例えば、私の作品はタンスを使うことが多いのですが、「普段の生活を象徴するタンス」と「被災物」では見え方が大きく違ってくることに気付いた。そこを踏まえた上で、「地元の人たちに、きちんとしたものを残しておかないと」と思うようになったんです。 きっかけは、とある作品でした。妻の実家は三陸の宮古で衣料店を営んでいたんですが、津波でほとんど流されてしまって。最後に床だけが残ったので、思い出の床を何らかの形で残そうと思い、テーブルの中に埋め込んだんです。すると、今までとはまったく違う感覚がありました。妻は、普段は私の作品にはほとんど興味を抱かない人なのですが、「これはすごい」と言ってくれて。そこから、被災物を使った作品を作るようになりました。 最終的には、2019年にせんだいメディアテークで開催された「ものの,ねむり,越路山,こえ」で、津波に流された妻の実家を復元した「ウミノカゾク―津波に流された岩手県宮古市鍬ヶ崎さとう衣料店の復元から2019」という作品を発表しました。 作品は、「海の上にいかだを思わせる家が浮かんでいる」イメージで作りました。お店の裏側には「おじいさんの茶の間」があり、タンスを用いて床の間を表現しています。タンスの引き出しの中に、親戚縁者たちの被災物を入れました。 ここから、作品の質が変わってきます。それまでは、「四角いから」という物理的な理由でタンスを使っていたんですが、違う意味合いに移行してきました。タンスの引き出しの中に、「記憶の欠片などの色々なものが入っている」と思うようになったんです。頭の中の引き出しという言葉もありますしね。「私はいつまでタンスを使い続けるんだろう」なんて考えていたんですけれども、「タンスじゃないと表現できないものもあるんだな」と思ったりして。 展示会では、『僕の町にあったシンデン―八木山越路山神社の復元から2000~2019』という作品も展示しました。 せんだいメディアテークで個展を開催するにあたり、様々なことを考えました。宮古の街に鎮守の森として親しまれてきた神社があって、高い地形のおかげで神社だけが津波の被害から免れたりしていたのですが、仙台でもそうした街を見守ってきた神社があるのかな、とか。 震災当時、僕は八木山という高い場所に住んでいたのですが、昔は八木山にも神社があったので、その神社を再現しようと思って。神社には、拾ってきた鳥居を使用しています。木村 鳥居も津波で流されていたんですか?青野 鳥居は震災以前に拾いました。仙台のとある遊園地が開発時に神社を作っていたのですが、いらなくなったので破棄したらしいです。会場にも、「心のよりどころ」が必要だと思い、拾ってきたものを中心に神社を作りました。 実は、震災の前にほぼ鳥居だけの作品を作ったことがあるのですが、「どこからどこまでが作品なのか分からない」と評判が悪かった。それで、その作品から鳥居の部分だけを取り出して、八木山地区の歴史や思い出を詰め込みました。循環させるべきものと、永遠に保存するべきもの青野 タンスは引き出しが多いので、引き出しごとにいろんなものを詰められる。そうすると、いろんな思い出だらけになる感じなんですよね。木村 人間のモチーフが多くなったのは、震災後からですか?青野 そうですね。それまでは「四角い車がやっと」という感じで「人は無理だろうな」と思っていたんですが、タンスに埋め込むという手法を取ってから、
元のページ ../index.html#28