32小野さんが、国立がこういう街になればいいのにと考えてイラストレーターに描いてもらったイラスト。街中に畑があり、米をつくり、バーベキューをする様子が描かれている。ないという。そういうスパイラルに入ってこの100年ぐらい、我々はがんばって、粉骨砕身やってきたんだなっていうのはすごく感じますね。大橋 これから先は、私たちが今の当たり前の均一均質な世界から思考としてどう抜け出すことができるか、広がることができるかですかね。バーベキューをやってるわけですね。それって何の意味があるのかというと、もう生産性ではないんですよね。少なくとも悪しき方向に向かわない力が必要だし、良きことが何かを考えて、そのアイデアを出して実現する力が必要だと思うんですよね。 要はいろんな要素があって、いろんな人がいて、それを多様と言ってしまうと最近の流行りの言葉になっちゃうんですけれども、ごちゃまぜで存在できている世界が半径2kmぐらいでつくれたらいいよねというのは、今、私が目指してるところではあります。大橋 『東京農業クリエイターズ』もページをめくるたびに、デザインの本だなって私思っていて、今のお話もそうですよね。 子供の頃の経験、体験を思い出してみると、親の手伝いの中に学びがあったり、友達と喧嘩したり、一緒に遊んだりする中に、いろんな要素が含まれてたっていうことですよね。小野さんは、混ざった状態でつくられてるんだなということをすごく思うし、それが私たちに大事なことですよね。 だから、大学の学びも文理融合や学際という言葉もあるんですが、細分化されて抽象的な研究の世界と全部がごちゃっとした具体的な暮らしを行き来して、最終的にいい具合にごちゃっとさせる。それがデザインなんですけど、小野さんが実践されていると思いました。小野 テレビの番組をつくっていたときに、現場で私が感じていたものの1万分の1もこの映像の中には落とし込めなかったという感覚がずっとありました。今にして思うと当たり前のことではあって、映像は、要は視覚と聴覚しか刺激できないんですよね。私が取材したときの熱気や匂いだったり、手触りやそこで食べた、飲んだものの味だったりが渾然一体となって、体験となって刻まれたものが、私が見聞きしたものなんですよね。それを分割して、切り取っただけでは伝わらないものがあります。 畑にふらっと誰かが来たときに、僕はその人と会話したり、その人に何かやってもらったりしている中で、どれだけ初めての何かを刺激できるんだろうかと思うんですよね。自分をキャストの1人として、今おっしゃっていただいたような、ごっちゃりとして何かを悪くない状態で提供できないかなというのが、思うところではあります。総合的な体験とともに、学ぶことが大事小野 私自身が考えている農の価値っていうのがあって、食は当然そうですよねっていうのはあるんですけれども、やっぱり学びも大事です。これだけ人が集まって、こういう話をしながら頭を使って生きてるわけなので、今出ない答えもいつか出るかもしれないっていうことに期待をかけることができます。そのためには学びも必要だと思うんですね。 一方で目的に向かって走り続けるマシーンではないから、癒しも必要だし、遊びも必要だし、美しさも必要だと思うんですよね。 それを自分なりにマインドマップ的に、国立がこういう町になればいいのにっていうのを、イラストレーターに描いていただいたのがこれです。街中に畑があるっていうことって、合理的に考えるとあまり合理的じゃないわけなんですよね。広い面積でお米をつくった方が食料生産性はいいわけなんですが、なぜか街中でちまちまと田んぼをやったりお米をつくったりして、みんなでちょっとずつ分けて、
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