33デッサンをするときのように、目を細めてぼんやりと見る感じが、課題に向き合う姿勢として何より大事だと思っている。目を凝らしても上っ面を追うだけでは本質はますますはっきりとは見えない。知れば知るほど分からなくなってくる。聞こえの良い言葉を発することはできても実態を伴うのは難しい。今は分かってもいなくて、ちゃんとできてもいないんだけれども、でもずっと向き合い複雑なまま追い求めて、諦めない。バカにされるようなアイデアだって、きっと何かできるさ。今⽇のアイデアの足りなさを反省しつつ明⽇はもう少し更新させたいと願いながら床につく。そういう⽇々の、い わばすっぴんな実践がデザインなのでは ないか。レクチャーのアーカイブ映像を、サーキュラー・オフィスのWebサイト(https://circularoffice.tamabi.ac.jp/)やYouTubeチャンネル「TUB Tama Art University(多摩美術大学 TUB)」で公開しています。ぜひご覧ください。 農業にもちょっとそういうところがあって、都市で生活していると、何となくオーガニック的な何かだったりに引かれるというのがありますよね。一方で、我々の実際の生活を支えてるスタンダードは農薬を蒔いている方の農業なので、そこを忘れてはいけないと思います。実際の我々の生命を支える技術は何なのかということは、受け止めた方がいいっていうのは感じるところではありますね。大橋 その体験を提供しているのが、こういう空間なんじゃないかということですね。小野さんが提供する場は、軋轢でも何でもごちゃまぜになった価値みたいなものを体験できるのかなと思いました。小野 全部のっぺりとしちゃったら、何もおもしろくないので。スタンダードは尊重しつつ、どうしたらあまり外れすぎない程度に、都市の中に第3の空間を作れるのか? 我々の事業の持続性で考えると、ほどほどに踏み外しながら、行ったり来たりしながら、説得力を持って何かを語っていくのが大事だと思っています。複雑なまま向き合い続ける──大橋由三子大橋 絵を描いたりすることは、身体を使いますよね。学びっていうのは、ものを作ったり身体を通したりしないと、耳から入ってきているだけでは難しいところがありますよね。小野 ごちゃっとしているんだけど、悪くないなっていう場所を作っていきたいですね。それが結果的に、持続性につながるのかどうなのかよく分からないんですが、そうせざるを得ない何かではあるなっていうふうには思うんです。ごちゃまぜになった価値を体験できる場小野 スタンダードが明確で、ある程度しっかりしてるからこそ多様な価値があり得るわけで。例えば、ここにいるみなさんが本当に多様になって、1人1人まったく違いすぎて会話も成り立たない存在だったら、そもそも社会を成り立たせる指標すら生まれないと思うんですよね。今の均一均質な世界からどう抜け出すことができるか、広がることができるか(大橋)
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