『ナジャ』と 『ボヴァリー夫人』の比較に見る書き手と作中存在の関係

川田 麻由

作者によるコメント

アンドレ・ブルトンの『ナジャ』において、「ナジャはブルトンだ」という仮説をたて、その立証をフローベールの「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉との比較によって立証した。語り手と作中存在の接近に仮説の根拠を見出し、シュルレアリスムとリアリズムのアプローチによる書き手の内的本質の現れ方の共通点と差異を検証した。

担当教員によるコメント

シュルレアリスムの中心的存在であったアンドレ・ブルトン。その代表作『ナジャ』を論じることにおいて、文学におけるシュルレアリスムとリアリズムとの通底しあう関係を明らかにしようとする意欲的な論考。まず、書き手と語り手と作中の「私」、という三つのファクターの位相差を見極める。次に、語り手が作中の「私」を超えるほどに対象の女性ナジャに接近しながら、ナジャの中に自己を探求しようとするプロセスを分析する。リアリズム文学をフローベールに代表させて、そのことば「ボヴァリー夫人は私だ」を持ち出すあたりはアクロバティックな論の構えだが、ブルトンのフローベールへの発言の資料など、関係の周辺まで目配りができていて、そこが読ませどころの好論文となっている。

教授・平出隆