明治・大正時代における博物館教育の受容と形成, 棚橋源太郎と東京教育博物館

島田 萌

作者によるコメント

フィンランド留学中に訪問した2つの博物館での展示から、博物館は知的好奇心を満たすための施設であるだけではなく、教育的支配施設でもあるのではないか?と疑問を抱いた。そこで、本論では博物館教育に注目し、日本において博物館と教育が関連づけられた過程を辿る。特に、日本の博物館黎明期である明治・大正時代に焦点を当て、東京教育博物館(現在の国立科学博物館)で棚橋源太郎によって進められた、博物館の学校教育・通俗教育(社会教育)への利用について考察した。

担当教員によるコメント

「博物館・博物館教育とは」という問いから、まず、明治から大正の博物館事業の外観を辿り、博物館とは制度であり、教育機関であるのではないかと示し、近代的な制度・教育の場として存在すると言う疑問を提示、その上で博物館が「国民国家を規定するため」存在し、「民衆に国民であることを自覚させる」要素を持つことは、根本的に変わっていないのかもしれないと結ぶ。一方で、博物館が誕生以来、人々に驚きと楽しさを与えてきたことも事実であり、自身がインターンシップの中で教えられた“Our product is invisible thing.”という言葉がとても印象に残っていると記す。本論文は、彼女自身の経験から生まれたもので、経験をどのように解釈するかといった論じるための始まりのあり方がはっきりと現れている論文である。

教授・海老塚 耕一

  • 作品名
    明治・大正時代における博物館教育の受容と形成, 棚橋源太郎と東京教育博物館
  • 作家名
    島田 萌
  • 学科・専攻・コース