風景の器

森田 七海

作者によるコメント

私は散歩へ出かけ、リラックスすることが心の拠り所であり、創作の源でした。
散歩をして空や建物などの日常風景を眺める時間にはぼんやりとした曖昧な心地よさがあると考え表現を試みました。その心地よさとは、ただそこに雑然とある日常風景の断片一つ一つが頭の中で混ざり合い、取り止めもなく巡る時に生み出されると考えます。
風景の器は、淡々と揺れ動く鏡が建物や空、フェンス、植物などの風景の断片を捉えて浮かび上がらせ取り止めもなく風景に触れる瞬間の思考の器です。この作品を通して自分の心の落ち着く場所や瞬間に思いを馳せたり、発見出来たらと思い、制作しました。

担当教員によるコメント

「風景の器」というタイトルの作品に具体的な「器」はない。そもそも風景を器に入れることはできないと普通は思うであろう。しかし、この作品を見た多くの人たちは、このタイトルに納得してしまうのではないだろうか。不定形の何枚もの鏡に映し出された風景は、器の水面に揺らいでいるようでなんとも心地よい。そしてその周りにある側面まで写真が施されたパネルも、一枚一枚が全体に呼応して見る者を惹きつける。
誰もが感じている日常の何気ない風景の心地よさ。しかし、それは当たり前すぎて日常に埋没してしまう。作者の森田七海は、その心地よさをさりげなく、そして鮮やかにこの作品で表現した。卒業制作展でこの作品をずっと眺めている人がいたのが、とても印象的だった。

教授・宮崎 光弘