Delicious water

鈴木 創大

作者によるコメント

ペットボトルに入った水が巻かれたラベルの情報により採水地の明記をされること、また掲げられた旗によりある土地に国家が提示されるように、展示室はフライヤーによってラベリングされている。
またネットを通じて見る映像や、逆の視点でみれば展示室の窓から見える風景もある種のラベルと考えうる。その風景(ラベル)を張り替えたとき、その空間に滞在した私たちの現在地は、貼り替えられた風景(ラベル)の住所や事象と関係を持つことが出来るのだろうか。
そのようなペラい場所性がある一方で空間にはインフラとしての水が引かれている
それらの水は視覚的なラベリングによる定義づけをされていない。流れ続けるそれらをきっかけに、遠くの場所を意識の中で繋ぐことでみえてくるパースペクティブのあわいに視野を向ける。

担当教員によるコメント

彼は、空間を記号的なラベルとして捉え、ネット空間や現実の映像空間を入れ子的仕組みにおいて錯綜させる。「旗」の内部のリアルリタイムの中継映像が、過去に旗を振った時の周囲のループ映像にはめ込まれる。また、画像の現在のアトリエの窓の向こうには、米国の過去に訪れた都市がリアルタイムで映され、現場としてのアトリエを含みつつ空間が多重化する。更に、ハイパーリアル化された多重時制的ラベル空間を相対化するために、現実の水をパイプで循環させる。「インフラ」と呼ぶこの装置はハイパー空間を皮肉にも支える唯一の現実である。彼は、ラベル化された場や風景の存在にかろうじて根拠を与えるものは、認識ではなく“もの”の循環であるという逆説を果敢にも提出する極めて知的な芸術家の一人である。

教授・中村 一美