皮膚, 馬

髙橋 拓也

作者によるコメント

絵が出来た後に、その絵が自分にとってどのようなものなのか分かることがある。皮膚は麻キャンバスの裏からジェルメディウムを押し出す技法を見つけた時、人の絵が描ける気がした。絵が出来た後になって、自分の幼少の頃の写真を思い出した。アトピーで顔が傷だらけだが、満面の笑みの写真だ。制作後には、その写真から生きる強さを感じられるようになった。馬の絵は2枚同時に描くことが、自分の中では重要だった。目に見えるもの見えないものに反応する。互いに影響し合う絵から引き摺り出されるものが、繋がっていく感覚がする。その中で、音や詩的言語が重要だと思った。なぜ馬なのかずっと考えていたが、まだ分からない。常立の馬はずっと頭の中にある。

担当教員によるコメント

はじめてこの絵を見た時、馬が描かれていることを認識する前に馬じゃないものを感じた。いや、馬は最初から見えていた。見えていたのにも関わらず、馬であることの意味的根拠は必要なく、馬が見えないと言ってもいいくらいの感覚を得ることができた。そもそも、ものを見て美しいとか何か魅力を感じる時、ものを認識しているのではなく知覚しているのだから、ものは見えていないとも言える。では、ものの認識が先に見えてしまう絵とはどういったものか、それは意味世界(物語)が充満している絵で、それを見る側は、自己の意味世界を重ね合わせることに留まり、そこに知覚作用が起きることはない。高橋さん自身、「なぜ馬なのかずっと考えていたが、まだ分からない」と語っていた。この分からなさが、馬を認識するのではなく知覚することを喚起するのではないか。

教授・栗原 一成

  • 作品名
    皮膚, 馬
  • 作家名
    髙橋 拓也
  • 作品情報
    『皮膚』
    素材・技法:ミクストメディア
    サイズ:H1620×W1303mm

    『馬』
    素材・技法:ミクストメディア
    サイズ:H1940×2590mm/H1940×W2590mm
  • 学科・専攻・コース