TAMABI NEWS 87号(日本画の伝統を超えて自由な発想が生まれる理由)|多摩美術大学
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 多摩美日本画のもう一つの特色は、春と夏に行われる年2回のコンクールです。長期休暇期間に学生が自由に制作した作品を教員たちが審査するというもので、多摩美日本画では、加山・横山が教員となる以前から続いています。 1964年に入学し、当時の様子をよく知る中野嘉之先生は、前述の動画インタビューの中でこのように語っています。「昔も今も形式は同じです。でも、昔の方が学生の人数が少なく、全員で10人程度でした。少人数だったにもかかわらず、現在の講評会と同じくらいの時間をかけて、先生たちが学生一人一人の作品について講評してくれました」  なかなか意見がまとまらず、深夜までディスカッションが続くことも。教え子の前で芸術論を戦わせるその姿に、学生たちは皆、心を引き締め、創作への思いを新たにしたといいます。 「あまり褒められることはありませんでしたが、絵について真剣に語ってもらえることがとてもありがたかった。学生としてではなく、作家として作品を見てもらっている感覚がありましたね。時には『何だ、これ』で終わることもあったのですが、なぜだろうと自分で考えるきっかけになるんですよ。コンクールの経験は、作家として生きる素地となったように思います」(加藤先生) 現在でも、多摩美のカリキュラムの軸は何といっても春と夏のコンクールにあります。宮先生はコンクールの位置付けについてこう述べています。 「1年から4年まで全員が課題に取り組み、コンクールに作品を出さないと留年になります。学生は休みの間に作品を仕上げ、コンクールで高く評価されると、作品が絵画北棟1階のロビーに飾られるので、精力的に良い作品を仕上げてきますね」 中野・米谷両先生の授業を受け、講評会でも多くの助言をもらいながら自己の作品と向き合ったという千々岩先生は、「講評会の時に、米谷先生がふと、『横山先生だったら何と言うだろうか、加山先生なら、どう答えるのだろうか』と自問する姿をよく目にしました。私自身、講評会の時には『中野先生だったら、米谷先生だったら何と言うだろう』と考えることがあります。先生の姿は今も自分の中で大切なよりどころとなっています」と話しました。1977年頃のコンクールの講評会。手前から堀文子、加山又造、山本丘人、上野泰郎、市川保道、桝田隆一、米谷清和コンクールの優秀作品は絵画北棟1階ロビーに展示される10コンクールの経験が、作家として生きる素地となる

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