TAMABI NEWS 89号(世界基準を、超えていく。)|多摩美術大学
14/20

1989年 教授、上野毛に美術学部二部開設 92年 株式会社バボットを設立 96年、教務部長に就任した髙橋教授は本学の教育改組に取り組みます。その一つが21世紀の高度情報化社会を見据えた新学科の設置です。芸術的創造性と情報工学技術とを兼ね備えた人材の育成を目指し、開設のためのメンバーを学内外から招集。97年に本学に着任した情報デザイン楠房子教授もその一人でした。「よく士郎さんのアトリエで会議を行っていました。毎回たくさんのバボットの中に隠れている士郎さんを探すところから始まるんです。楽しかったですね」(楠教授) 美術学部での情報関連学科の設置は前例がないことから申請は困難を極め、髙橋教授と担当職員らは当時の文部省に十数回にも及ぶ訪問を重ねまし計画にも長年にわたって携わっています。「広く学内から意見を募り、委員会で取りまとめたプランを理事会に提案するのですが、その中でも士郎先生はかなり早い段階から、メディアを中心とした新しい情報ネットワークの核を作らないといけないということを盛んにおっしゃっていました。いつも5歩先のビジョンを語る天才肌で、パッと聞くと奇抜に聞こえますが、その思考を追うと常に多摩美全体の行く末ばかりを考えていると感じられました」(田淵教授) 髙橋教授がこれまでに興味関心を寄せてきた多角的で分散的で膨大な情報はすべて多摩美に収斂されている―ということは、髙橋教授のWebサイトにも顕著に表れています。「ページに隠し部屋のような部分があって、それをクリックすると我々のキャンパスプランのヒントになるような情報をたくさんアップしてくれているのです。連絡はメールで一言のみ。一見、無愛想にも思えますが、内心はものすごく気遣いをされる方でした」(田淵教授) 昼間は八王子、夜間は上野毛で授業を行う 1996年 教務部長に就任 98年 美術学部の改組転換 た。工学部相当のカリキュラムと楠教授を含む博士4名の専任教員をそろえるなどの条件を整えてようやく受理されることとなりました。アメリカでGoogleが設立された98年、日本の美術大学では初となる情報デザイン学科を開設。髙橋教授も同学科に移籍し、その基盤作りに参画しました。「まるで自分の子どもが生まれたかのように喜んでいました。数年前に大学設置分科会専門委員を務めたのですが、本当に新学科の設置は厳しい審査で、あの頃の士郎さんの苦労が改めてわかりました」(楠教授)メディアネットワーク構想の提唱 髙橋教授が98年の教育改組と平行して取り組んだのが八王子キャンパスの再開発です。帝国美術学校に端を発し35年に上野毛で開学、53年に大 2001年、八王子キャンパスに、本学の美と知の蓄積を共有し発信する場の一つとしてメディアセンターが完成。オープン記念特別展覧会「INSIGHT VISION/メディアの記憶と創造へ」では作家・高橋士郎の巨大バボットで建物に顔と手足が取り付けられ、多くの反響を呼びました。教務部長の任期が満了した03年、髙橋教授は本学卒業生として初めて多摩美術大学学長に就任。持ち前のリーダーシップを発揮して引き続き改革を推し進めました。05年、NHKの人形劇「三国志」「平家物語」などで知られる人形美術家・川本喜八郎氏の新作の撮影がメディアセンターで行われ、髙橋教授も製作実行委員の一人として名を連ねます。髙橋教授の立体デザイン時代の教え子であり、当時、NHKのデザインセンターで映像美術を手がけていた山下恒彦・現 劇場美術デザイン教授からの相談がきっかけでした。「川本 八王子キャンパスの再開発と教育改組を実施 情報デザイン学科を開設、 同学科教授に就任 2001年 メディアセンターが完成 03年 多摩美術大学第7代学長に就任学化を果たした本学は、さらなる教育の充実を図るため、60年から4年間にわたり多摩ニュータウン最西部に約2万坪の土地を購入。68年に当時の石田英一郎学長が発表した「総合美術大学構想」に基づき、69年に現在の共通教育棟が完成しました。学園紛争後の71年に大学移転を開始し74年に完了したものの、東京都の多摩ニュータウン事業の停滞に伴い開発が頓挫。94年にようやく校地の拡張が実現し、大規模なキャンパス建設計画が再開。教育・研究のソフトとハードの融合をテーマに、美術学生のための創作研究の環境づくりと大学の社会的使命の実現を目指しました。 現キャンパス設計室長の環境デザイン田淵諭教授は、83年に建築科(当時)の非常勤講師として着任した頃から髙橋教授との交流があり、本学の建設さんから折口信夫の幻想小説『死者の書』の製作の打診があったのですが、スタジオを長期間抑えるのが難しく、士郎先生に相談したところ、『学生も撮影に参加でき、川本さんから学べる機会になるなら』という条件で使用可と言っていただき、多摩美とのコラボレーション授業として実現したのです」(山下教授)髙橋教授は、多摩美の特長は商業デザイナーであった初代校長・杉浦非水の時代から社会と密接にかかわる美術教育にあるとし、在野の私学として産学連携にもしっかりと取り組むべきという考えを持っていました。1年以上にわたって行われた撮影の間、川本氏は客員教授として人形制作の指導にあたったほか、山下教授はじめ映像スタッフの皆さんも持ち回りで特別講義を実施、学生たちに刺激を与え続けました。「入学早々に入試で描いたデッサンのことで声をかけていただいて以来、NHKに就職する時も多摩美の教員になる時も、私の人生の岐路にはいつも士郎先生がいた。恩師中の恩師だと思っています」(山下教授) オープン記念特別展覧会「INSIGHT VISION」開催 大学院美術研究科博士後期課程を開設 株式会社バボットを設立八王子キャンパス再開発メディアセンターに巨大バボット第7代学長に就任14多摩美の改革・卒業生として初の学長に社会とつながる美術教育の実践思いやりのあるキャンパスに美は為るな美大初の情報デザイン学科を開設19902000

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る