入試ガイド2021|多摩美術大学
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日本画油画版画彫刻工芸グラフィックプロダクトテキスタイル環境メディア芸術情報芸術統合演劇舞踊劇場美術小さい頃、「銀河鉄道の夜」という物語が大好きで何度も何度も読み返していた。ジョバンニとカムパネルラが旅する夜空の美しさに、当時の私は魅せられていたのだ。「銀河鉄道の夜」にでてくる「夜」というのは、不思議で、しかしながら繊細である。例えば、ジョバンニは夜に「銀河ステーション」という不思議な声に導かれ、銀河鉄道に乗る。乗車中に出会うのは、光を反射する水晶玉やさそり座の光。どれも淡く、そして優しくジョバンニとカムパネルラの二人を迎える光として描かれている。作者が「夜」に対し不思議で、繊細な印象を抱いていたことがわかる。私もいつしか「夜」に対してそのような印象を抱くようになっていた。だが、美術の教科書をながめていた時、ある作品に出会い、「夜」の印象がくつがえされることになった。ファン・ゴッホの《星月夜》である。まるで火の玉のような星が、青い空をうごめいている。「銀河鉄道の夜」の「夜」よりも明るく、彩度の高い「夜」に、私は驚いた。「夜」という言葉から連想される景色は人それぞれである。宮沢が考える「夜」は、不思議で繊細なものだった。しかし、ファン・ゴッホの場合はそれよりも明るく、火が燃えているかのような強さを「夜」に対して抱いていた。私は二人が同じ「夜」という言葉から、全く異なる印象を抱いていることに驚いた。もし「夜展」という展覧会を企画したら、どうなるのだろう。私が抱いていた夜の「不思議で繊細」という印象は、どんどん変わってしまうかもしれない。複数の作品を並べて、比較することというのは、同時にその作者たちの考えのズレを見ることなのだ。宮沢とファン・ゴッホの描いた「夜」を通して、私はそう感じた。同じワードから連想するものがほとんど同じになることは、ありえない、ということを知ったのだ。たくさんのアーティストの「夜」をみて、いつか自分だけの「夜」をつくりたい、と私は考えている。夜の美術館が好きだ。初めて夜に訪れた美術館は、東京都美術館だった。「クリムト展」を観賞するために、夕暮れが始まる頃、美術館の前に着く。人はまばらで、暖色のライティングは私を誘っている気がした。以前にも来たことがある場所なのに、全く別の印象を受けた。美術館が、普段よりずっと大人びた場所に思えたのだ。クリムトの絵画は、夜の美術館の空気と合っていた。展覧会の目玉であった《ユディトⅠ》をはじめとする作品たちは、官能と退廃を余すところなく発していた。閉館時間の二十時まで、私はずっと作品を観賞していた。美術館の建物を出ると、外はすっかり暗かった。電飾がほどこされたエスカレーターに乗った時、帰りたくないと思った。上まで昇りきった先には、美術館の門がある。そこを出たら、私は現実に引き戻されてしまう。こんなにも後ろ髪を引かれるのは、初めてだった。夜の魅力とは何だろうか。夜には太陽がない。圧倒的な光の存在が消えると、目に見えるものもぐっと少なくなる。そして、夜には抽象化する力があるのだ。さらに、人の灯した小さな光によって夜の魅力は増す。夜は美術館自体を一つの美術作品のようにしてしまう。昼間の美術館は、はっきりとその姿を目視できる良さがあるが、個人的には夜のおぼろげな姿のほうが好きだ。美術館という場所は、やはりどこか非日常を感じさせる。日常に近い美術にも、気軽さを感じて素敵だと思うのだが、私は美術館が現実を忘れさせるために存在すべきだと思う。夜の美術館は、私たちをより現実から連れ出してくれる。私は、あの夜感じた、この空間に居続けたいという気持ちを忘れないだろう。そして、私のような感覚を、私の作る展覧会で観賞者にも与えたい。 「夜」について考えた時、私はまずレンブラントが描いた《夜警》という作品が頭に浮かんだ。そのため《夜警》を通して「夜」が与えるイメージについて論じていきたいと思う。レンブラント作《夜警》は夜に行われた夜警の様子を描いた作品として知られている。しかし《夜警》はもともと夜の様子を描いたものではなく、作品が描かれた後の時代に《夜警》というタイトルがつけられたと考えられている。この作品が夜の様子を描いた作品だという根拠になるのは、背景に塗られた夜を連想させる暗い絵の具の色であろう。だがこの根拠として考えられる絵の具の色は、時代を経て劣化したことによるものとされており、作者の意志を持って描かれた「夜」の光景ではない。しかしながらこの絵はいまだに修復されずに「夜」をイメージする色を保持しつづけている。ではなぜ《夜警》は夜の姿を描いた作品として受け継がれ、《夜警》という題で世に広まったのだろうか。その理由として、私は「夜」という言葉や世界観に帰依したイメージが、この作品において魅力になったためであると考える。「夜」という言葉や世界観が持つイメージとして、不吉であったり、恐ろしかったりということも挙げられるだろう。このイメージは人間が感じる本能であり、夜の闇に対する危機意識でもある。《夜警》について改めて考えてみる。この絵は夜警の様子を主題としており、そこから派生して考えると「この兵士たちは何故警備をしているのであろうか」「この場面ではどのような事が起きたのだろうか」といった疑問が生まれる。これらの疑問は「恐れ」や「危険」というイメージに結びつけて考えることができるだろう。それは「夜」という言葉・世界観の持つイメージと類似する。つまり、警備という主題と「夜」という光景は同じような意味を感じさせる言葉であり、これらの相互作用によってより人々の想像をかき立てるプラスの要素となっている。夜はそのような印象を与える。一般選抜■■■教員コメント宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」から書かれた夜の魅力をとても繊細に抽出し、さらにゴッホの《星月夜》から描かれた夜の魅力を、賢治とは対照的に抽出している文章力がなによりも評価されます。そうした二つの異なった表現の夜を一つに並べた展示を実現できたら、と進めて行く後半も大変興味深く読めます。教員コメント普段とは異なった夜の美術館を訪れた経験と、そこで見たクリムトの絵画の具体的な印象からはじめる冒頭部分が素晴らしいと思います。そうした自身の体験を踏まえ、昼とは異なった夜の魅力を「夜には、抽象化する力がある」とまとめ、さらに今後目指すべき展示にまで言及していく構想力も優れています。教員コメントレンブラントの《夜警》という著名な作品のタイトルは、もともと夜の光景を描いたものではなく後から付けられたものだったという美術史の常識からはじめて、しかし、それではなぜ人々はこの作品を夜という言葉とともに納得して見ていったのか、具体例をあげて文章を構成していく力が優れています。      小論文[問題2]

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