入試ガイド2022
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日本画油画版画彫刻工芸グラフィックプロダクトテキスタイル環境メディア芸術情報芸術学統合演劇舞踊劇場美術 人間が「つくる」ものとは、一体どれほどあるだろうか。物を「つくる」、関係を「つくる」、場を「つくる」、時間を「つくる」、他にもつくることが出来るものは数多く存在するはずだ。「つくる」のそれぞれ言葉の意味は違うが、そのいずれもが何か新しいものを創造しているように思える。人類は、ものづくりがあったからこそ種として発展をとげ、絶滅の危機に怯えることのない生活すらも「つくる」ことに成功したと言えるかもしれない。しかし私は「つくる」ことを、何かの価値を上からどんどん塗り重ねていくことだと考えている。つくっているのはものではなく、ものの価値であり、その行為こそが「つくる」ということなのだ。人間という生き物は、全く新しい何かをつくることはできない。地球上にすでにつくられた素材で、自分の人生でつくられた思考のパターンで、親からつくられた体で、誰かにつくられた道具を使って「つくる」をしている。そうして人類は生き、発展してきた。例えば、関係をつくろうと思ったとき、あなたはその関係をつくりたいと思った相手を既に知っている。あなたがすることは「一方的な知り合い」から別の何かに価値を上塗りすることと同じだと言える。絵を描いたとき、あなたはキャンバスに「絵」という新たな価値を与え、もしモチーフがあったとすれば、そのモチーフは絵を見た人の頭の中で「○○が描いた絵のモチーフ」という価値を与えられることになる。ものを「つくる」、すなわち価値を与えていく上で必要とされるのは創造だけではない。想像も不可欠だ。想像するだけでは実はともなわないのだから意味がない、というのは間違いなのだ。塗り替えられる価値が花や実ならば、想像は種の部分にあたる。「つくる」ことはさながら成長の過程である。想像、アイデアがなくては「つくる」は始まりすらしない。ものを「つくる」上で最も大切なプロセスは、想像の段階にあるとも言える。どのような素材を使うかを考え、手に取った時点でそれは想像していることになり、創造の入り口に立っていることにもなるのだ。人は「つくる」をしながら想像し、創造する。「つくる」とは、ものに新たな価値を与えることであり、「そうぞう」することなのだ。人間はいかに少ない価値であっても塗り替え、「つくる」ことができる。物や、時間や、場だけではない。言葉にならない小さなものでも、私たちは「そうぞう」していくことができる。私は人間が「つくる」ものの数を数えたことは一度もないが、きっとそれは無限にあり、次の「つくる」を「つくる」ことが出来る可能性を秘めているのだと思う。私はそんな、誰かを支える「つくる」を作りたい。何かを「つくる」ことは、人間が古代から常に取り組んできたことの一つであり、人類は「つくる」ことによって発展してきた。生きるための「つくる」という行為を、私はとても美しいと思う。私が「つくる」ことに美を感じるのは、工場を見たときだ。日夜様々なものがつくられる場である工場に対して良いイメージを持っている人は多くはないだろう。環境汚染の観点から、美しいというよりもむしろ汚いと思う人もいるかもしれない。しかし私は工場の外に張りめぐらされたパイプや、規則的に並べられた金属、そして夜に電灯が点いたときの様子などを見て美しいと感じるのだ。そもそも工場は、より早く効率的にものを生産するため、つまりより美しくものをつくるために生まれたのではないだろうか。工場は美を追求してつくられたものであるから美しいと私は感じるのだ。また、「つくる」ことは「生み出す」ことでもあり、何かを生み出すことは人間だけではなく自然の中でも常に行われていることだ。自然の中では常に生命が生み出され、生きて、死んでいく。しかしその中でまた次の生命が生み出され、バトンタッチがされ、途切れることなく繋がっていく。自然の中ではこのような生きるためのシステムがつくられていて、私はそれをとても美しいと思う。木々のさざめきや草花に隠れた小さな生き物たち、太陽と木の葉がつくり出す木陰のグラデーション、そして澄んだ空気。そんな美しい自然は、全て自然が生きるために生み出したものであるから美しいのかもしれない、と私は思う。工場と自然は一見正反対のもののように見えるが、どちらも何かをつくり、生み出している場所だという共通点がある。だから私はどちらも美しいと感じるのだ。職人が道具をつくり出す様子に感心する心と、自然の中で生命が生み出される様子に感動する心は、全く違うもののように見えるが、どちらも「つくられる」瞬間によって動かされている心なのかもしれない。このような何かがつくられる場面は日常にあふれている。生命を生み出すことだけではなく、料理をつくることも立派な生きるための「つくる」行為だ。また、現代では様々な技術の発達で、多くのものがより美しくあるために改良の手を加えられたり、新しく発明されたりしている。そうした美を追求する研究者や発明家はある種アーティストであり、つくられた道具などは一種の芸術作品なのだ。私たちの生活にはこうした何かをつくる機会や、つくられたものがあふれている。私たちの生活は美しいもので囲まれているのだ。そのことに気付くだけで、いつもの生活がより豊かなものになるだろうと私は思う。特別選抜A■■■・芸術の見方2.0 美術館×演劇という新しい提案・LONG TIME "JIHANKI" GALLERY以上2点教員コメントまず「つくる」という言葉を、できる限りその意味内容を拡張する所から始めている点が見事です。その後、それら多くの意味に共有されている「価値」の付与という条件を見出し、さらに「つくる」を実現するためには2つの「そうぞう」(想像と創造)が必要であるとまとめている点もまた見事です。教員コメント誰もが美しさとは無縁だと思っている工場に「つくる」という行為が孕んでいる美を発見し、それを「生み出す」ことと捉え直し、さらに工場とは一見すると正反対である「自然」に同様の「生み出す」力を位置づける点が独創的です。人為と自然の間に営まれる生活に芸術を定位させる点も魅力的です。提出された課題と、課題に対する教員コメントを芸術学科ホームページに公開しています。[芸術学科ホームページ] http://www2.tamabi.ac.jp/geigaku/admission/koubo/芸術学《特別選抜A:学校推薦型選抜》        提出課題タイトル小論文 「つくる」について、1200字以内で自由に述べなさい。

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