普段私が絵画作品を鑑賞する際は、主に⾊使いの美しさや描き方に注目し、美しさを楽しむことが多い。何故それを描こうと思ったのかという作者のモチーフ選びの意図を考えることもあるが、美しさに満⾜したりタイトルを見てなんとなく理解したりして、深く考えることはなかった。しかし、出題されたモチーフを見た時は、熟考した。タイトルがないため、何を描いているのかが分からなかったからだ。そうして考えるうち、このモチーフに対する見方は広がっていった。そのことから、絵画作品は見せ方次第で受け手の解釈を広げることができると考えた。多様な解釈ができれば、鑑賞する楽しさを受け手に感じてもらうこともできるだろう。まず、タイトルを明かさずに鑑賞させる見せ方について論じる。今回のモチーフに、例えば「食べ物」というタイトルがついていたとする。その場合、受け手は真ん中のものは⽥楽かな、とか何故⽫にのっていないのだろうと考えるだろう。つまり、「これらは食べ物である」という前提で作品を鑑賞することが考えられる。しかしタイトルがついていなければどうか。受け手は何の前提もないまま、自分の記憶を探ってモチーフが何であるのか考える必要が⽣じる。そのことにより、食べ物である可能性や、はたまたスポンジである可能性まで検討しなくてはならない。タイトルを明かさないことで、受け手にモチーフについての解釈を広げさせることができる。また、タイトルを明かさない見せ方をすることで受け手にモチーフが何かということだけでなく、タイトルは何か考えさせることもできるだろう。例えば今回のモチーフに「四角」というタイトルがつけられていると受け手が考えたとしよう。その場合、同じ四角のようなモチーフであっても、⾊や想像する感触が違うということを改めて感じるのではないだろうか。そのことにより、モチーフやタイトルだけでなく、描かれ方についても新たな角度から考察することを捉せると考えられる。もう一つ、絵画作品を紙という凸凹のないもので鑑賞させる見せ方について論じる。美術館にあるような、筆致がはっきりと分かるような絵画作品を鑑賞する時、その作品でしか見られない凸凹があるとついそこに焦点を当ててしまうことが考えられる。凸凹がないにしても、本物の作品に限りなく近いものを見る際には、描かれている内容の他に「物」としての作品を鑑賞することに満⾜し、描かれた意図などについては考えない可能性もあるだろう。しかし紙という媒体で見せることで、作品の筆致や「物」としての価値に捉われすぎることなく、描かれた背景や意図について考える余裕ができると考える。あえて情報量を減らし、作品の表面だけでなく深いところまで考えることで、更に解釈が広がるのではないか。これらのことから、見せ方を変えることで多様な解釈をする楽しさを受け手に提供できると私は考える。芸術学科小論文一般選抜総合型選抜学校推薦型選抜 147小論文[教員コメント]高橋由一《豆腐》を見せて、日常の事物に潜む美への感性をはかる意図で出題しましたが、作品情報がなかったためか、豆腐だと気づいたひとはいませんでした。上の文章は、画題がわからないながらも、題名がない絵の解釈の多様性や、印刷された絵画作品を鑑賞する是非を問う等、型にはまらないすばらしい論述でした。提示された作品を見て、1,200字以内で自由に論じなさい。
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