ルイーズ・ブルジョワの《父の破壊》という作品がある。これは複数の彫刻が組み合わされ空間が構成されているインスタレーション作品である。暗く巨大な、高さが二メートル程ある洞窟のような空間が真っ赤なライトで照らされている。その中にはスツールに似た形状の物体が上下から生えている。中心にはテーブルのように見える長方形型の物体が置いてあり、その上にはグロテスクな、肉塊的なものがある。この作品はブルジョワが父を解体し、食卓で食べる場面らしい。抽象的な造形は、鑑賞者に想像する行為を促す。上下から飛び出た物体はまるでスツールにも、人体の管に付随するひだにも見える。食卓のように見えた空間は、人体の構造にもなりえる。でこぼこと生える物体は洞窟の中を圧迫し、そのリズムからは不気味な生命力を感じさせられ、まるで飲み込まれるかのようだ。作品は閉じられた空間ながらも、展示室全体を支配するような力を持つ。それはなぜか。展示室の中で展示台の上に置かれる彫刻は周囲の空間に影響をおよぼしながらも、具体的にどこからどこまでが彫刻の空間、という決まりは無い。それをあえて制限する事で、彫刻と空間が独特なリズムを生み出す。そのリズムが波のように唯一開かれた作品の正面から、展示空間へと伝播していく。抽象的な造形とそれが空間に作用する事で生まれるリズムが、この作品に力を与え、展示空間全体に作用している。この作品の閉じられた造形は、彫刻の空間に与える作用を増幅させ、より強力なものにした。人体にも見える彫刻空間が持つパワーは、展示空間全体を生命的なリズムで満たす。彫刻は通常、開かれた展示空間に置いてあるイメージが私の中にあった。しかしこの作品を見て、抽象的な造形が生むリズムが閉じられた空間にある事で変化する、制限された空間に展示される彫刻の可能性を感じた。「彫刻」という芸術は、絵や音楽では表現が難しい、より立体的な表現を、実に長い時間後世に遺し続けることができる芸術だ。しかし私は、有限であることの儚さを我々に示してくれる、「氷彫刻」に魅力をより強く感じる。何もない状態から形を作り、そこに要素や個性、修正を加えていく足し算の芸術である絵や音楽に対し、彫刻は形を削って作り出す引き算の芸術である。その異質さの中で、さらに異彩を放っているように感じるのが冰彫刻だ。手間と時間をかけるはずの彫刻において、作品自体と同じように、それに限りがある。時が経てば消えてしまうものを、氷彫刻家は作り続けているということだ。私は過去に一度、冰彫刻を目にしたことがある。知人の結婚式で、天駆けるペガサスの冰彫刻が飾られていた。私はその冰彫刻の前で、しばらく立ち止まることを余儀なくされた。あまりにも艶やかな胴や足のフォルム、羽のふんわりとした質感の表現、躍動感と迫力にとても惹きつけられたのだ。そして、私と同じように足を止める人は大勢いた。なぜ、ここまで冰彫刻が人を引きつけるのか。それは本来の彫刻と相反する性質がもたらす「親近感」だと考えた。一見たくましく力強い。でもどこか脆く、美しさをかねそなえる。そしていつかは消えてしまう。この性質は、まさしく人間のようだと感じる。冰彫刻が放つその儚さという「親近感」に、無意識下に人は惹かれ、さらにそこから時間が有限であること、生きるとは一瞬であること、いつか我々も還ることを知らされているのだと私は考えた。このように、冰彫刻とは「生きる芸術」である。それと同時に、我々に生きることの儚さを伝えてくれる、とても身近な芸術である。さらにそこにアーティストの意志やメッセージが加われば、その芸術はさらに多くを我々に教授してくれると考える。82問題2 | 「彫刻」について、800字以内で自由に論じなさい。小論文[教員コメント]「彫刻」という出題に対して、一般的な意味での「彫刻」の概念をはみ出してしまう、広義のインスタレーション作品である、ルイーズ・ブルジョワの『父の破壊』を取り上げたことが、まずなによりも素晴らしい。また、その作品の分析もきわめて具体的かつ詳細であり、一□の立派な美術批評となっている。[教員コメント]「彫刻」を、長い時間にわたって遺される立体作品とのみ考えるのではなく、それとはまったく対照的な、「有限であることの儚さ」を示してくれる「氷彫刻」を取り上げている点に大きな独創性がある。すぐに形を失ってしまうからこそ、「生きる芸術」として彫刻を捉えられるとの見解が素晴らしい。
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