tonATELIER_Vol.02
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 ゆるやかに流れを曲げる川とローカル線の線路との間に挟まれた空き地、倉庫とも工場とも見える建物の裏手の、オイルの染み込んだコンクリートの地面の空き地に、錆びた鉄製の椅子や業務用の巨大な扇風機や縁の欠けた姿見鏡や何かの支柱らしきもの、ついさっきまで転がっていたそれらの“廃棄物”が、“拾い物”となり集積されて、“彫刻”化され、起き上がろうとしている。 彫刻家の利部志穂の作品である。父親の仕事用の道具置き場をアトリエとして使用しているが、雑音が聞こえなくなる瞬間、ひとりになれる場所や時間はすべてがアトリエだという。アトリエは持ち運びの自由なもの、と。 「あなたの作品はインスタレーション、それとも彫刻?ってよく聞かれるんですけど、実は自分でもよくわかりません。ただ、わたしは何をするにも彫刻家としやっているつもりです。彫刻家として、モノを見て、感じて、行動している。だから仮に歌手になったとしても彫刻家として唄を歌う」 実は、彼女は美大に新入生として通ったわけではない。ファッション系の女子大に入り、そこで出会った彫刻にのめり込み、気がつけば美術予備校に通いながら美大を目指すようになっていた。 「彫刻がカッコイイと思ったんです。わたしは流行好きのミーハーな高校生だったんです。ファッションとかカッコイイことが好きだったんです。だけどそれってすぐに飽きちゃう。そんなときに彫刻が気になってしかたなくなった。重くて、ダサイし、不自由で、ヘンテコだし、どうしてこんなものにひかれる人がいるのかなって。サービス精神が希薄というか、優しくないというか、それでいて突き放すようでもない。ただ、あるだけ。何も変化しなくて、あるがまま、ありのまま。何もしてくれなくて、包容『立つ,5/6,ホテルアオゾラ』 2010 写真:佐藤毅Graduates' message力のカケラもないくせに、いつも受け入れてくれる。観る人が勝手にいろんなことを感じてしまう」 ただ、あるだけ――。 ファッションなどの変わりゆくものを追いかけていた彼女にとって、何も動かず何も変わらない彫刻は、「それまで『土の上を歩く』 2007 写真:山本糾アトリエは持ち運び自由。 雑音が消えてひとりになれたなら、その瞬間はすべてがアトリエ。

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