tonATELIER_Vol.02
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 雲肌麻紙の上に細い筆先を、同じ道を行き交うように幾度も幾度もなぞって描かれた黒々とした“墨の線”によって、童子の姿や腕や眼に形作られている。墨の線以外のわずかな色は、岩絵具と顔料による。凍てつく冷気と焦がし尽くす熱気とが混在するかのような町田久美の作品は、日本画の新しい可能性を示すとして国内外で高い評価を得ている。 「そういえば小学生の頃に、七夕の短冊に“美大に行く”って。でも描くことが好きだっただけで、それはクラスで上手という程度」 子供の頃は意外にもスポーツ少女だったという。小学生の頃から水泳と器械体操を続け、高校では新体操部に所属したが、退部、それから美大を目指した。 「個人競技ばかりやっていたので、したが、研究生を辞めた後は、まったく明後日の方向で活動していました。だからでしょうか、日本画と絡めて語られることがあると、何とも言えない不思議な気持ちや後ろめたさを感じてしまいます」というのだ。だから彼女は、自身が日本画の新しい世代のように注目を浴びることに、戸惑いを抱くという。Graduates' messageチーム主体の部の空気に馴染めず、結局すぐに辞めて美術部に入り直したという感じです」 ひとりでいる時間が多かった、と彼女は回顧する。学校生活にはあまり良い思い出がなく、予備校は地元とは別の都市へ。多摩美に入学してからも彼女の“ひとり”は続いた。 「同級生たちはある日突然、次のステージへ一気に登っていく。自分はどうしてそうじゃないのか、と。日本画専攻を選んだのは、油絵の具の匂いが駄目だったからで、絵を描いて受験できるのは他に日本画しかなかったから。古典模写の授業は好きで、熱心に描いていました。当時は大きな団体展に学生時代に入選することがひとつのステータスのようなところがありましたが、団体展には一度も出すことなく卒業したんです」 「わたしはたしかに日本画科で学びま 時代が人生と シンクロするときが必ずくるから、とにかく描き続ける。

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