tonATELIER_Vol.04
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いますけど、僕はそうじゃないと思います。だけど別々じゃなくて、一緒に並んでいる。同時代の表現として二つがあってもいいんじゃないかと。僕は現代美術の展覧会をやりたいと思っていました。でも今はこういう視点から現代美術を考えていきたいと思うんです。それに現代美術も広告のデザインも、モノを作っている作家さんの緊張感は同じだということもよく分かりましたし」 彼には現代美術に対して純粋な思い入れがある。それは多摩美で過ごした日々があまりにも新鮮だったからだ。 「多摩美の授業は衝撃的でした。大学の授業って、大きな教室の黒板の前に教授がいて講義するイメージでしょ。質問されることもあまりないし、討論とか議論もなく、ただ先生の話をずうっと聞いている。でも多摩美は違うんです。現役の作家でもある先生が、たとえば『僕はなぜこの石を拾ったか』なんて話を延々と語っている。そんな授業は、衝撃でしたよね。で、先生は作家だから、実際に展覧会を開いていて、僕らは観にいくわけですよ。僕はこの作品の作者の声を直接聞いている。これはスゴイことだなと思っちゃいますよね。音楽でも文学でも先生方は現役の作家や評論家でしたからね。本物の詩人と廊下ですれ違うなんてことも普通では想像できませんよ」 一般の大学でも美術は学べる。芸術学部のある大学だってある。でも彼は多摩美の芸術学科を受験した。 彼が受験した動機はというと、実は少しミーハーなものだった。当時はバブルの時代で、広告デザイナーやコピーライターとかが、なんとなく憧れの職業であり、そういう職種につくには美術だ、とひらめいたからだ。 「だから実をいうと、大学に入ったときは、学芸員という職業すら知らなかったんです。コマーシャルといった広告業界に憧れて、なんとなく美大を受けちゃった。勉強は苦手だったし、そのときのの芸術学科はデッサンが受験科目になかったから運よく合格したんですけど、少し勘ちがいしていましたね。ただ美術を学ぶことは何か本質的なことに結びつく、漠然とですが、そんな期待を持っていました」 野田尚稔は、世田谷美術館の学芸員だ。東京都世田谷区にかかわりのあるデザイナーやイラストレーター、家具デザイナーや建築家の作り出した日常のなかにあるアートをとり上げ、独自の視点で展示した展覧会を手がけていることで注目されている。 「デザインについての企画展を担当する際、区立の美術館なので地元在住の作家さんをとり上げるという発想が最初に浮かんだのですが、その条件だけでは展覧会は成立しません。それで“スタンダード”という視点で作品作りをしている作家さんにしようと思ったんです。例えば、広告のデザインというのは流行に左右されるはずなのに、普遍性のある作品を作り続けている作家さんたちがいる。そのことを紹介したかったんです」 ということは、広告などのデザインや建築が現代美術のひとつとして融合しているということなのだろうかと問いかけると、彼は、それは違うという。 「美術とデザインはもはや区別するものじゃなくて融合しているというひとも同時代に現代美術ともうひとつのアートがある勘違いから始まった美術との出会い「自分の感情について考えてみる。」

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