tonATELIER_Vol.04
9/23

ミスチョイスからの決意 2006年のことだ。福永大介の作品がギャラリーに展示されていた。多摩美を卒業してから2年がたっていた。静寂を画面一杯にたたえたその作品のように、彼の語り口は落ち着きがあって言葉によどみがなく一音一音が新鮮に響いてくる。 「美大を目指す多くの人と同じように僕も子供の頃から絵を描くのが好きでした。でも、中学までは絵よりもバスケットに夢中になっていたスポーツ少年だったんです。かなり真剣でしたね。でもある日、このままバスケをやってもプロにはなれないと気がついて、じゃあ絵を描こうと」 バスケ少年だった彼は中学生のときに将来を見据えたという。そして頭の回路は連想を始めた。美術をやるなら美大と連想したが、 「それまで僕の頭には美大に進むにはどうすればよいかという考えが欠落していたみたいで、そういう理由で高校は普通科に進学して、美術部に入ったんですけど、最初はまったく無気力でしたね。何かが違う。やる気もなくて、誰ともコミュニケーションがとれない。とりたくない。だから友達もできない」 孤独で悶々とした高校生活が急転したのは、美大予備校の存在を知ってからだった。 「予備校に通い始めてようやく面白くなった。だって周りには僕と同じような人がいっぱいいたんです。それで本気で美大を目指し始めたんですけど、高校3年生になると、進学というのが現実的になるでしょ。すると父に反対されたんです。それもストレートに。それでも僕は美大に行きたいから話し合って、現役で合格したらということでした」ていたかあまり記憶にないという。 父親の反対を押し切り美大進学を宣言したものの、自分が思うような力がなかなかつかない。だから美大がダメなら専門学校でもいいから絵を描きたいと思っていたのだそうだ。ところが彼は現役で多摩美に入学した。それも希望通りに絵画学科だ。 現役で多摩美に入学したのだけれどそれは「補欠」だったのだそうだ。それでもとにかく入学したのだから、美術に前のめりになっていったかというと、そうではなかった。 「入学してみると、何かモヤモヤしてきたんです。美大は浪人して入学してくる人が多くて、そういう人は基礎がしっかりしているんですけど、僕は現役生だし予備校でも好き勝手やっていたから基礎ができていなかったんです。どういうものを描きたいかという明確なものもないくせに、主張だけはあるんですね。授業で出された課題を何とかこなすだけで、モヤモヤばかりで前のめりになれない状態が続きましたね。周りには絵画だけじゃなくてインスタレーションや立体、映像など、いろんなことをやっている人たちがいて、今思うと絵だけじゃなくいろんなものを自分に取り込みたい、インプットしたいという欲求が大きかったんでしょうね。だから多摩美の4年間はモンモンに始まって次に焦りで、もうバラバラでした」 自分にインプットしたいという欲求。悶々と自分の表現したいことの根本を探る日々が続いた。 「どんどん更新されていく自分がいて、だからその都度作品も変わっていく」 自分自身を上書きし、更新を繰り返していくので、どんな作品を描い09孤独な落ちこぼれの覚悟「美術の可能性を探りたい。」

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る