記憶の構骼/じかんのけいしき
LI ZHIHUI
作者によるコメント
時間と情緒は、わたしの身に野蛮でありながらも、幻覚のように存在している。
それは、現実だと捕らわれる物理的な存在らと交わって、まとわりついて発生した叙情面的な事物という意味であり、そこに投げかけた否定性から自分が成り立たされてくるという感覚でもある。
私は現実を作り上げようとしている。現実だと呼びながらもそれは、常に失われた時間の欠片のことを指しているかもしれなくて、その現実はかつて記憶と感受力によって立てられ、また記憶と感受力によって拡散し融解していく。私はただそれを観察と記録する存在としていたいし、失われた時を再び見たかった。
担当教員によるコメント
リさんの作品は、置かれているものや絵画、また音(音声)に意味を読みとる必要性を与えない。いや厳密に言えば、制作においてものが持つ意味性を無視することは不可能であり、作家自身もこの置かれているものたちを選ぶ意味や理由があるに違いない。そうであるにもかかわらず、リさんの作品から、意味(思考)を読みとる必要性を感じることがない。それは矛盾であるのだが、その矛盾を自覚した時にものに対する人の眼差しは変わるのである。リさんのものに対する眼差しとは、矛盾しながらも意味と無意味が両極で引っ張り合うことで、どちらでもありどちらでもない、そのような眼差しでものを見ているのではないか。それは、木々の揺れるざわざわを意味なく感動する時の眼差し、つまり直覚的な眼差しなのである。
教授・栗原 一成
- 作品名記憶の構骼/じかんのけいしき
- 作家名LI ZHIHUI
- 素材・技法パネル、鉄パイプ、油彩、オーディオディバイス/キャンバス、油彩、鉄パイプ、コンクリートブロック、土、植物
- サイズ1620×970mm/可変
- 学科・専攻・コース
- カテゴリー
- 担当教員